モシ人

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モシ人
Moaaga
総人口
ブルキナファソの旗 ブルキナファソ620万人
コートジボワールの旗 コートジボワール120万人
ガーナの旗 ガーナ160,140人
居住地域
ブルキナファソ全域、ガーナ北部、コートジボワール北部
言語
モシ語
宗教
伝統宗教、キリスト教イスラム教

モシ人Mossi)は、アフリカ民族。自称は単数形がmoaaga、複数形がmooseである。ブルキナファソを中心とした西アフリカサバンナ地帯に居住する。

歴史[編集]

モシ人の神話によれば、モシの王家は現在のガーナ北部にいるダゴンバ人の姫とマンデ人の狩人の間に生まれた、ウエドラオゴという名の王が始祖だという。

史実では、15世紀中頃[1]テンゴドゴ英語版を都とするこの地域にモシ王国が勃興し、強力な騎馬軍によって、当時全盛期にあったマリ帝国ソンガイ王国からも独立を保っていた。しばらくしてワヒグヤ: Ouahigouya、ワイグヤ)を都とする北部モシ、ワガドゥグーを都とする中部モシが、テンゴドゴ英語版を都とする南部モシから独立して三国に分かれ、19世紀までそれぞれ独立を保った。

19世紀後半になるとフランスがこの地域に勢力を伸ばし(フランス領スーダンen:Senegambia and Nigeren:Upper Senegal and Niger)、1919年仏領オートボルタ植民地が成立したが、モシ諸国はよく組織された国家を持っていたため、フランスはこの地域に間接統治を取り入れ、各王国を利用して植民地支配を進めていったため、王の権力は残った。

オートボルタ共和国1960年に独立すると、モシ人はオートボルタの多数派民族となったが、ブルキナファソとなっても同国内においてはさほど特定民族への富や権力の集中が起こっておらず、国内においてモシ人と他民族との軋轢は起こっていない。

1985年Christmas Warでは、マリ共和国ブルキナファソが交戦した。

文化[編集]

モシ人は農耕民族であり、トウジンビエモロコシなどを栽培している。定住民であり、集落は散村をなしている。伝統的住居は、円筒形の泥壁の上に円錐形の草屋根を乗せたもので、家の中に部屋の仕切りはない。

ガーナ北部に居住するダゴンバ人やマンブルシ人とは、言語、文化、王の系譜などが良く似通っており、近縁の民族とされている。

脚注[編集]

  1. ^ 現地の伝説では1120年という説をとっている。