メルフェルデン=ヴァルドルフ

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紋章 地図
(郡の位置)
Wappen Mörfelden-Walldorf.png Locator map GG in Germany.svg
基本情報
連邦州: ヘッセン州
行政管区: ダルムシュタット行政管区
郡: グロース=ゲーラウ郡
緯度経度: 北緯49度59分
東経08度33分
標高: 海抜 104 m
面積: 44.16 km²
人口:

33,623人(2015年12月31日現在) [1]

人口密度: 761 人/km²
郵便番号: 64546
市外局番: 06105
ナンバープレート: GG
自治体コード: 06 4 33 008
行政庁舎の住所: Westendstraße 8
64546 Mörfelden-Walldorf
ウェブサイト: www.moerfelden-walldorf.de
首長: ハインツ=ペーター・ベッカー (Heinz-Peter Becker)
州内の位置
Mörfelden-Walldorf in GG.svg

メルフェルデン=ヴァルドルフ (Mörfelden-Walldorf) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州グロース=ゲーラウ郡に属す市である。人口 34,000人を超え、リュッセルスハイム・アム・マインに次いで同郡で 2番目に大きな街である。

地理[編集]

位置[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフは、ライン=マイン地方のマイン川下流盆地に位置する。ヘッセン州南部のフランクフルト・アム・マインダルムシュタットヴィースバーデンの大都市トライアングル内にあり、フランクフルト空港の南側にあたる。北部のヴァルドルフ区の中心と南部のメルフェルデン区の中心は約 3.8 km 離れている。両市区の間には種苗栽培園と総合学校があるだけの空き地が約 1.5 km ある。広大なメンヒブルーフ自然保護地区の多くの部分が市の西部にある。メルフェルデンの東、アウトバーン A5号線沿いのオーバーヴァルベルク (145 m) は、旧塵芥処理場のあった場所で、グロース=ゲーラウ郡の最高地点にあたる。

隣接する市町村[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフは、北は郡独立市のフランクフルト・アム・マインおよびノイ=イーゼンブルクオッフェンバッハ郡)、東はランゲンおよびエーゲルスバッハ(ともにオッフェンバッハ郡)、南はエルツハウゼンヴァイターシュタット(ともにダルムシュタット=ディーブルク郡)およびビュッテルボルングロース=ゲーラウ郡)、西はグロース=ゲーラウナウハイムおよびリュッセルスハイム・アム・マイン(いずれもグロース=ゲーラウ郡)と境を接している。

市の構成[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフは、メルフェルデンおよびヴァルドルフの 2つの市区からなる。かつてはヴァルドルフの北東にグントハイムという村があった。

歴史[編集]

メルフェルデン[編集]

メルフェルデンは、ロルシュ・コデックス830年から 850年までの間に Mersenualt という表記で記録されており、フランク王国領に属した。メルフェルデンは、時代とともに史料中に以下の表記で記録されている: 1016年 Mersfelt、13世紀から14世紀 Mersevelt、1413年 Merßfeldt、1550年 Merffeld、1573年 Mehrfelden、1614以降現在の Mörfelden[2]。メルフェルデンの教会は、1304年にはすでに「グントホールに支教会をもつ教区教会」となっていた。

メルフェルデン周辺は、中世には「ヴィルトバン・ドライアイヒ」と呼ばれる狩猟場の一部をなす広い森林地域であった。この狩猟場と帝国との関係は狩猟場法で規定されていた。これは1338年皇帝ルートヴィヒ・フォン・バイエルンランゲンのマイゲリヒトで制定したものである。この中でこの村はいわゆる 30 ヴィルトフーベン(森の村)の 1つ Mersevelt として記載されている。

この村は交易路沿いの交通の便が良い場所にあったことから、15世紀には税関が設けられるなど交易・交通の要衝に発展した。三十年戦争がこの発展を妨げた。この村は何度も掠奪され、荒廃した。その後ペストがこの町を襲い、1648年に戦争が終わった時には、栄えていた交易地は跡形もなくなっていた。人口が約 500人に達したのはそれから何世紀も経ってからであった。18世紀末にメルフェルデンの人口はやっと約 900人にまで回復した[3]

1600年にメルフェルデンはヘッセン=ダルムシュタット方伯領となり、1806年からはヘッセン大公国領に属した。行政上、この町は、1820年までアムト・ケルスターバッハに属した。このアムトは1816年からはヘッセン大公国のプロヴィンツ・シュタルケンブルクに属した。1821年に大公国にラントラーツベツィルク制が導入され、メルフェルデンはラントラーツベツィルク・ドルンベルクの一部となった。1832年にさらに組織変更がなされ、クライス(郡)が設けられた。これによりメルフェルデンは、グロース=ゲーラウ郡に組み込まれた。大公国のプロヴィンツ、郡、ラントラーツベツィルクは 1848年7月31日に廃止され、レギールングスベツィルクに改組されたが、1852年5月12日に元に戻された。この1848年から1852年までの間、メルフェルデンはレギールングスベツィルク・ダルムシュタットに属した。その後、今日に至るまでの行政改革のいずれにおいてもこの町の所属は変わっていない[2]

19世紀にこの町は、ベッドタウンとして発展した。1920年代にメルフェルデンは労働者運動の牙城となった。こうした発展は1930年代のナチ党の権力掌握によって終結した。

第二次世界大戦後、1948年通貨改革によりメルフェルデンは便利な住宅地となった。初めは被追放者難民の受け容れによって、その後は継続的な人口流入によって急速な人口増加が起こった。これは 21世紀に入るまで続いた[3]

この町は、1968年3月18日にヘッセン内務大臣により市に昇格した。

ヴァルドルフ[編集]

ワルドー派の教会

ヴァルドルフは、1699年に「Waldenserkolonie am Gundhof」(グルントホーフのワルドー派コロニー)として 14家族によって建設された。これについては、ヘッセン=ダルムシュタット方伯エルンスト=ルートヴィヒが、三十年戦争で住む者が大幅に減少した土地にワルドー派プロテスタントフランス人難民)を受け容れる、と説明している。この町は 1715年から現在の名前になっている。行政上の変遷は上記メルフェルデンを参照のこと。

長年にわたる経済的苦境の後、フランクフルトオランダイギリススイスの改革派組織からの寄附に助けられ、1804/05年にヴァルドルフに教会が建設された。ドイツ語の浸透は徐々にしか進行しなかったが、1815年には神事でフランス語が使われなくなった。

その後、1879年に鉄道 フランクフルト - マンハイム線が営業を開始すると、この町はそれまでの農村からベッドタウンに変貌していった。しかし継続的な移住による発展は、両世界大戦によって阻まれた。

1935年頃から1944年まで、ヴァルドルフには強制収容所ヴァルドルフ分所があった。1944年にユダヤ人の男女 1,700人がハンガリーから強制的に送致され、フランクフルト空港で滑走路の拡張・修繕工事に従事させられた。こうした過去の一場面は初め忘れ去られていたが、1972年に興味を持った 3人の若者が再発見した。このできごとは2003年の映画「ロルバーン」(直訳すると「滑走路」)のテーマとしても扱われた[4][5]。2000年にかつての強制収容所ヴァルドルフ分所跡に記念碑が建立され、歴史学習路の出発点となっている。この記念碑は、この収容所で生き延びた女性の臨席の下、作家ペーター・ヘルトリングの協力によって除幕された。

第二次世界大戦後、多くの被追放者や難民を受け容れたことで、多くの問題が生じたものの、小都市へ発展していった。

この町は、1962年にヘッセン州議会の議決によって市に昇格した[6]

メルフェルデン=ヴァルドルフ[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフ市は、フランクフルト・アム・マイン市からの合併要求の圧力の下、1977年1月1日にヘッセン州の地域再編に伴ってそれまで独立した市であったメルフェルデンとヴァルドルフとが法に従って合併して成立した。この街は1年間ヴァルトフェルデンと称していたが、新たに発足した市の委員会が州行政当局に働きかけ、1978年1月1日にメルフェルデン=ヴァルドルフと改名した。

行政[編集]

ヴァルドルフにある市庁舎

メルフェルデン=ヴァルドルフは、伝統的に労働党が強い土地であった。1933年以前、当時独立した町村であった現在の両市区は、ドイツ共産党の牙城であった。NSDAPは長い間メルフェルデンに地盤を築くことができなかった。

議会[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフの市議会は、45議席からなる[7]

2006年3月26日の議会選挙で SPD は、第1党の地位を失った。議席を伸ばしたのは、1970年代から町議会に参画した DKPで あった。しかし、反対派は赤 - 緑連携(ドイツ社会民主党と緑の党との連携)を成立させた。フランクフルト空港の西滑走路に対する反対運動以降、緑の党はメルフェルデン=ヴァルドルフのしっかりと地盤を築いている。

首長[編集]

市長は、2007年から SPDの政治家ハインツ=ペーター・ベッカーが務めている[8]

姉妹都市[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフは、以下の3つの自治体と姉妹自治体となっている[9]

文化と見所[編集]

博物館[編集]

  • メルフェルデンの郷土博物館 [10]
  • ヴァルドルフの郷土博物館 [11]
メルフェルデンの郷土博物館 
ヴァルドルフの郷土博物館 

見所[編集]

1751年建造の歴史的な旅館「金のリンゴ館」、ランクガッセ 
メルフェルデンの旧市庁舎。全景は "Erzählstein" の泉 
1693年建造の旧鍛冶屋、ヒンターガッセ 
メルフェルデンの木組み建築 
泉と木組み建築 
プロテスタント教会 
メルフェルデンの水道塔、フランクフルター通り 
メンヒブルッフの狩猟館 

[編集]

  • メルフェラー・ケルプ(聖ガルスの日)
  • ヴァルドルファー・ケルプ
  • ヴァルドルフのカーニバル協会「1.CCW ディー・ブッシュシュパッツェン」のパーティー
  • メルフェルデンのカーニバル協会「ディー・ザントハーゼン」e.V. の女性パーティー
  • 「サウンド・オブ・ファッシング」(カーニバルの音楽祭)
  • ファッシングディスコ「ルンメル・イム・ジュンゲル」
  • 「MöWa - Rockt」
  • 「ゾンマーフレー」
  • グルントホーフの歴史祭
  • ジャム祭
  • ジャズフェスト
  • 「ブルース・ミーツ・カリビーク」
  • 旧市街祭(不定期)
  • 「ルント・ウム・ディー・ケルシュ」(プロテスタント教会組織の祭)
  • ケーゲルクラブ・オリンピア・メルフェルデンのダレスのグリル祭
  • ヴァルドルフの釣り祭
  • メルフェラー射撃祭
  • シュネプフェンゼーのヒュッテ祭
  • ヴァルドルフのギッケル祭
  • メルフェルデンのヒンケル祭
  • ワイン祭
  • 4月23日の国際子供祭

サークル、クラブ[編集]

  • TTC メルフェルデンはかつては、長い間ドイツでトップクラスの卓球クラブであった。1950年代には、1954/55年、1955/56年、1956/57年、1959/60年シーズンの計4回ドイツチャンピオンになっている。卓球ブンデスリーガの創設メンバーの 1つであり、1966年から69年まで、および1971年から 1981年まで、ブンデスリーガに所属していた。
  • トゥルンゲゼルシャフト・ヴァルドルフ 1896 e.V(TGS ヴァルドルフ)は、4000人以上の会員を擁しており、数多くのスポーツ種目がある。TGS ヴァルドルフの合気道部門は、1972年にアルフレート・ハイマンによって設立された。フィットネス・スタジオはこのクラブで最大の1000人以上の会員がおり、2007年にスペースが拡張された。この他に、ハンドボールファウストボール射撃競技アーチェリー陸上競技ウィンタースポーツインラインスケートハイキングクライミングスカートテニスダンス(スタンダードおよびラテン)、柔道、徒手体操および健康体操、レジャースポーツ、フラッグフットボールジャズダンスおよびモダンダンス、カントリー・アンド・ウェスタン・ダンス、縄跳び、器械体操などの部門がある。
  • SV ロート=ヴァイス・ヴァルドルフは、1914年に設立された多彩なスポーツのクラブで、卓球、ケーゲル、体操、音楽といった部門がある。
  • シュポルト・ウント・クルツゥールフェライン (SKV) メルフェルデン(スポーツおよび文化サークル)には、合気道、アコーディオンバドミントン吹奏楽民謡サッカー合唱、体操、ハンドボール、ヘルツシュポルト(心臓病のリハビリ運動)、柔道、ケーゲル、陸上競技、自転車競技、ダンス、テニス、バレーボール、ウォータースポーツ、ウィンタースポーツの部門がある。
  • SKG ヴァルドルフ 1888 e.V.: サッカー、卓球、バドミントン、バーンゴルフ、射撃、合唱、バレーボール、体操、スポールブール、カーニバル、クリケットトライアスロン(チーム・メヴァトロン)
  • SC キッカーズ 1966 e.V. メルフェルデン: サッカー(女子サッカー)
  • 射撃クラブ・テル=メルフェルデン

広域文化遊歩道「ユグノー派とワルドー派の径」[編集]

広域文化遊歩道「ユグノー派ワルドー派の径」は、フランスル・ポエ=ラヴァルおよびイタリアトリノからメルフェルデン=ヴァルドルフを経て、ヘッセン州北部のバート・カールスハーフェンまで延びている。全 1,800 km のうち、9 km がオーバーヴァルトゼー(メルフェルデンの東に位置する湖)沿いおよびヴァルドルフを通っている。オーバーヴァルトゼーおよびシュネプフェンゼー沿いには、信仰と教団、中世の信徒活動と亡命、異国への到着といったテーマの解説板によってワルドー派の歴史が紹介されている[12]

ジーグリット・ジーゲレ作 "Drei Hohe Tore"(3つの高い門)

公共スペースの芸術[編集]

メルフェルデン=ヴァルドルフ市では、人口当たりにすると驚くべき数の芸術作品が公共スペースに展示されている[13]。人口当たりのその数は連邦平均を遙かに上回る[14]。その背景と起源は、ヴァルドルフの芸術家オットー・シャフナーが1998年に創設し、毎年開催される芸術コンクール「公園の彫刻」に求めることができる。後に彼は、他の芸術家と共同でコムナーレ・ギャラリー・メルフェルデン=ヴァルドルフを開設した[15]。このコムナーレ・ギャラリーは、現代芸術の展示の他に、毎年夏に「公園の彫刻」を主催している。成功して名声を得ている芸術家の中にも、かつてここに出展していた人もいる。たとえば、E.R.ネーレ、ヴェーレ・レーム、あるいはパフォーマンス・アーティストのオットマール・ヘルルなどである。「公園の彫刻」は、地域を越えて有名なイベントに成長した。市の公共スペースに展示されている作品の多くは、アーティストからの貸与であったり、あるいは「公園の彫刻」との関連で市が手に入れたものである。

"Drei Tänzerinnen"(3人の踊る女) 
"For ballett"(バレエのための) 
"Gegen den Strich"(毛並みに逆らう) 
"Huckepack"(背に) 
"K" 
"Lauscher"(耳またはスパイ) 
"Stier"(雄牛) 
"Waldenserbrunnen"(ワルドー派の泉) 

人物[編集]

出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

参考文献[編集]

  • Carl Horst Hoferichter: Die Stadt Mörfelden. Geschichte und Dokumentation. Hrsg. Magistrat der Stadt Mörfelden-Walldorf, 1991 [Hardcover, 22 x 26.5 cm, 448 S.]
  • Mörfelden gestern. Bilder - Berichte - Gebabbel - Erinnerungen. Hrsg. Blickpunkt, Stadtzeitung der Deutschen Kommunistischen Partei (DKP), Mörfelden / Rudi Hechler, 1986 [Softcover, 21 x 19.5 cm, 268 S.]

これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。

引用[編集]

  1. ^ ヘッセン州の自治体別人口
  2. ^ a b Historisches Orslexikon: Mörfelden, Landesgeschichtliches Informationssystem (LAGIS) Hessen(2013年4月29日 閲覧)
  3. ^ a b Stadtgeschichte - Mörfelden, Mörfelden-Walldorf(2013年4月29日 閲覧)
  4. ^ Die Rollbahn, GG Online(2013年4月29日 閲覧)
  5. ^ Die Rollbahn, Basis-Film(2013年4月29日 閲覧)
  6. ^ Stadtgeschichte - Wallforf, Mörfelden-Walldorf(2013年4月29日 閲覧)
  7. ^ 2011年3月27日の市議会議員選挙結果、ヘッセン州統計局(2013年4月30日 閲覧)
  8. ^ メルフェルデン=ヴァルドルフの市長選挙結果、ヘッセン州統計局(2013年4月30日 閲覧)
  9. ^ Städtepartnerschaften メルフェルデン=ヴァルドルフ市の公式ウェブサイト(2013年4月30日 閲覧)
  10. ^ Museum Mörfelden, GG Online(2013年4月30日 閲覧)
  11. ^ Museum Walldorf, GG 0nline(2013年4月30日 閲覧)
  12. ^ Oberwaldberg / Oberwaldsee, GG Online(2013年5月1日 閲覧)
  13. ^ SkulpTour Mörfelden-Walldorf, Welt der Form(2013年5月1日 閲覧)
  14. ^ Skulptur im öffentlichen (Stadt-)Raum, Welt der Form(2013年5月1日 閲覧)
  15. ^ Die KOMMUNALE GALERIE(2013年5月1日 閲覧)

外部リンク[編集]