メルセデス・ベンツ・W165

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メルセデス・ベンツ・W165
カテゴリー ヴォワチュレット
コンストラクター メルセデス・ベンツ
デザイナー マックス・サイラー
アルベルト・ヘス
マックス・ヴァグナー
ルドルフ・ウーレンハウト
主要諸元
シャシー チューブラーフレーム(楕円鋼管)
サスペンション(前) ウィッシュボーン式独立懸架サスペンション, コイルスプリング, 油圧式ダンパー
サスペンション(後) ド・ディオン式サスペンション, トーションバー,油圧式ダンパー(操縦時調整可能)
エンジン M164 1.5L V8 スーパーチャージャー付 フロントエンジン 縦置き
トランスミッション メルセデス・ベンツ 5速
出力 254馬力
主要成績
チーム ダイムラー・ベンツ AG
ドライバー ルドルフ・カラツィオラ
ヘルマン・ラング
ドライバーズタイトル 0
初戦 1939年のトリポリグランプリ
出走優勝ポールFラップ
1101
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メルセデス・ベンツ・W165 (Mercedes-Benz W165) は、メルセデス・ベンツが開発したヴォワチュレットレース用のレーシングカー。W165はその唯一の実戦となった1939年トリポリグランプリにおいて1-2フィニッシュでの優勝を記録した。このレースではヘルマン・ラングがチームメイトのルドルフ・カラツィオラを抑えて優勝を飾った。

W165はこの年のトリポリグランプリ英語版に参加することを目的として僅か6ヶ月で設計・開発された。北アフリカの高速サーキットで行われるトリポリグランプリは当時のモーターレーシングにおける重要なイベントの1つだったが、1939年のグランプリ開催に当たり主催者はルールを改正し、メルセデスやアウトウニオンの既存のマシンは参加不可能になった。これはドイツ勢の圧倒的な勝利を嫌い、代わりにアルファロメオマセラティといったイタリアメーカーを優勝させるための試みだった。W165は第二次世界大戦後のレースに参加することは無かったが、スーパーチャージャー付 1.5L V8エンジンを搭載するこのマシンは1946年から1951年までの戦後のグランプリにもレギュレーション上は参戦可能だった。一方で1939年のトリポリグランプリにも参戦し、W165と対決したアルファロメオ・158は戦後間もない時期のグランプリにおける最も強力なマシンとなった。1938年から1939年までメルセデスのグランプリ・レーシングカーとして主に使用されたのは大排気量のW154であり、小排気量で活躍できるカテゴリーが限られるW165はこの1レースを最後に二度と使用されることはなかった[1]インディアナポリス・モーター・スピードウェイの当時のオーナー、トニー・ハルマン英語版の招待を受けたカラツィオラは1946年のインディ500にW165で参加しようとしたが、スイス税関がW165を国外に持ち出すことを許可しなかったため、カラツィオラの計画は実現しなかった[2]

記録[編集]

非選手権グランプリ[編集]

レース サーキット ドライバー 結果 カテゴリー レポート
1939 トリポリグランプリ英語版 メラハ・サーキット ヘルマン・ラング 1 ヴォワチュレット 詳細
ルドルフ・カラツィオラ 2

脚注[編集]

  1. ^ Mercedes-Benz”. 2016年12月3日閲覧。
  2. ^ Thomas O'Keefe. “East Meets West: Mercedes-Benz at Indy”. AtlasF1.com. 2010年1月27日閲覧。

外部リンク[編集]