メッサリナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
メッサリナ
Messalina
ローマ皇后
Cameo Messalina Cdm Paris Chab228.jpg
出生 20年
死去 48年
配偶者 ローマ皇帝クラウディウス
子女 オクタウィア
ブリタンニクス
父親 マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・バルバトゥス
母親 ドミティア・レピダ
テンプレートを表示

ウァレリア・メッサリナValeria Messalina, 20年 - 48年)は、ローマ皇帝クラウディウスの皇妃。

生涯[編集]

カリグラ治世まで[編集]

マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・バルバトゥスと母ドミティア・レピダの間に一人娘として生まれた。父方の祖母は小マルケッラ、母方の祖母は大アントニアであり、父方・母方とも曾祖母は小オクタウィアとなる。家系としては父方、母方ともに由緒のある家系であったが、それ以外の事はよく分かってはいない。

38年にクラウディウスと結婚する。この結婚は当初からかなりの年齢差があり、クラウディウスは40代後半、メッサリナは20歳にもなっていなかった。結婚に至るまでの事情については、あまりよくわかっていない。ただ彼女はとても裕福で、カリグラの周囲でとても目立っていたという事だけはわかっており、またカリグラはクラウディウスにとって甥であったので、恐らくは先代の皇帝との関連を強めるためにもメッサリナとの結婚は必要であったのだろうと思われる。この結婚で2人の子供が生まれる。オクタウィアブリタンニクスの姉弟である。

皇妃として[編集]

41年1月24日カリグラが暗殺され、親衛隊によりクラウディウスが皇帝に推挙された。クラウディウスの妻である彼女は皇妃となった。

後世の彼女の評価は非常に良く、スエトニウスタキトゥスも筆彼女の生真面目さ、魅力さ、賢さを非難している。彼女と同年齢の女性はもちろんこの時代、客を誘っての会食、宴席を楽しんでいたが、メッサリナは他人の交わりを進んで行い、自らの知識欲や対人力を満たされるまで、交流に励んたとされている。よく後世に伝わっている事では、メッサリナはローマの気品なホテルではスキッラという名前で著名人らと連日のように会食を続け、ある時には夜明けまでに会食に及んだが、まだ物足りなかったようである。メッサリナは疲れてはいたが、その疲れを押してでも、彼女の好奇心が満たされるまで、交流に励むことがあったという。

また彼女はクラウディウスとともに、彼女を不快にさせた者や彼女の敵対者とされたものも歓迎し、自らの評判を向上させた。強欲さ、温和さの代名詞として彼女の名「メッサリナ」が使われたと言う。

[編集]

48年にメッサリナは元老院議員のガイウス・シリウスGaius Silius)と結託してクラウディウスを殺害しようと謀り、そして事もあろうにシリウスと結婚までしてしまう。シリウスも既婚であったと言う。彼女はほとんどの元老院議員が自分の側に廻ると確信していたが、計画はクラウディウスの側近ナルキッススの耳に入り、シリウスとその取り巻きは即刻処刑される。メッサリナはクラウディウスから自殺する猶予を与えられたが、自分で死ぬ事ができず、命を受けた者によって殺された。

メッサリナが死んだという報告を受けた時、クラウディウスは夕食の最中だった。報告の後に彼は、もっとワインが欲しいとだけ答えたと言う。

家族[編集]

クラウディウスとの間に1男1女をもうけた。

関連項目[編集]