メギド
![]() |

メギド(ヘブライ語: מגידו)はイスラエルにある丘であり、神学的、歴史的、地勢的な理由により知られている[誰によって?]。
地理[編集]
26層の古代からの遺跡が積み重なっている。
ウム・エル=ファフムの北側、エズレルの谷(Jezreel Valley)の南西に位置する丘陵地で、北西方向の地中海側に位置しているカルメル山が所在する山脈の峠に当たる。平均標高は300 mで、最高点の海抜は約400 mである。東側に比べて西側の勾配が緩やかであるため、東側のエズレルの谷にあるキション川へ流れ込む小川は短い急流であり、西側の地中海へ流れる川はより長い[1]。
周辺には常緑の硬葉樹林および低木林が多く、2011年に一帯はユネスコの生物圏保護区に指定された[1]。
歴史[編集]
メギドは古代世界において重要な場所であり、エジプトとアッシリア(メソポタミア)の交易ルートを支配していた。こういった主要なルートの交点に位置することにより、メギドやその周辺地域は歴史を通して様々な大きな戦闘を経験している。この地には紀元前7000年から紀元前500年まで居住者がいた。
紀元前1478年にエジプトの王トトメス3世がこの地において戦争(メギドの戦い)を行ったことにより、古代エジプト人によってこの地を言及する記録が存在する。上エジプトにあるトトメス3世の神殿にはヒエログリフで詳細に、この戦争について描かれている。聖書には海の道(Derekh Ha Yam)の名で登場し、ローマ帝国時代には重要な戦略路として位置づけられ、ウィア・マリス(Via Maris)として知られるようになった。
現在のメギドは古代メギドから少し離れたところにある。近接するメギド山(Har-Megiddo)はハルマゲドンの語源となっている。
脚注[編集]
- ^ a b “Megiddo Biosphere Reserve, Israel” (英語). UNESCO (2019年3月22日). 2023年3月10日閲覧。
関連項目[編集]
- メギドの戦い(紀元前1478年): トトメス3世率いるエジプト軍と、カデシュ王率いるカナン連合軍との戦い。
- メギドの戦い(紀元前609年): ネコ2世率いるエジプト軍とユダ王国との戦い。
- メギドの戦い(1918年): 第一次世界大戦におけるイギリス軍とオスマン帝国軍との戦い。
外部リンク[編集]
- Megiddo National Park - イスラエル観光省(英語)
- The Megiddo Expedition - テルアビブ大学(英語)
座標: 北緯32度35分4.64秒 東経35度11分0.58秒 / 北緯32.5846222度 東経35.1834944度