ムーレイ・イスマーイール

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当時のヨーロッパ人が描いたムーレイ・イスマーイールの銅版画

ムーレイ・イスマーイール(アラビア語: 、1645年[1] - 1727年)は、アラウィー朝モロッコの第2代スルターン(在位1672年 - 1727年)。専制君主として長期間君臨し、メクネスに壮大な宮殿を建設するなどして知られている。 イギリスやスペインと抗争を繰り広げて国土を奪還し、また、国内の諸勢力を制圧することでモロッコの統一をほぼ成し遂げ、アラウィー朝を強固なものとした。その過程で奴隷化した欧州人を使役し、フランスに倣い、国力や文化の興隆に力を入れ、またメクネスを始めとする都市基盤を整備した。

晩年に自身のための壮麗な陵墓(モスク)をメクネスに建設し始めるが、完成を見ることなく薨去した。

50歳頃の時点で700人を越える子息がいた、と伝わる。なおこの数字に「娘」は含まれていない。生涯に産まれた子供の数は800人を超えるともされている。


脚注[編集]

  1. ^ 1634年とも。

参考文献[編集]