ムールマンスク (軽巡洋艦・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ムールマンスク
Мурманск
艦歴
起工 1953年1月28日 第402造船工場
進水 1955年4月24日
竣工 1955年9月22日
所属 Naval Ensign of the Soviet Union.svg ソ連海軍北方艦隊
Naval Ensign of Russia.svg ロシア海軍北方艦隊
除籍 1992年7月3日
要目
艦種 軽巡洋艦
艦型 68-bis号計画型
工場番号 302
排水量 満載排水量 16300 t
基準排水量 14700 t
全長 210 m
205 m(水線長)
全幅 22 m
21.2 m(水線長)
喫水 6.9 m
機関 TV-7蒸気タービン機関 2 基
KV68型重油専焼 6 基
出力 118000 hp
86800 kWt
スクリュー(直径4.58 m) 2 基
速力 最大速度 33.1 kn
巡航速度 16 kn
航続距離 9000 /16 kn
8700 浬/18 kn
乗員 1270 名
武装 152 mm3連装MK-5-bis 4 基
100 mm連装高角砲SM-5-1bis 6 基
37 mm連装機関砲V-11M 16 基
533 mm5連装魚雷発射管PTA-53-68-bis 2 基
1908年式機雷 132 個[1]
1926年式機雷 76 個[1]
「クラープ」型機雷 68 個[1]
情報処理装置 戦闘情報管制装置「ズヴェノー」 1 基
レーダー 両用捜索レーダー「ギューイス2」 1 基
水上捜索レーダー「リーフ」 1 基
ソナー 水中ソナー「タミル」 1 基
射撃管制装置 対水上管制装置「ザールプ」 2 基
両用管制装置「ヤーコリ」(SPN-500の一部) 2 基
魚雷発射管管制装置「ザリャー」 1 基
測距儀 対水上火砲用測距装置KDP2-8-III 2 基
両用測距装置SPN-500 2 基
センサー 温度探知機「ソーンツェ1」 1 基
識別装置 対空電波識別装置「ファーケルMO」 1 基
装甲 舷側 100 mm
甲板 50 mm
砲塔 175 mm
司令塔 130 mm
脚注
  1. ^ a b c 機雷は、1908年式、1926年式、「クラープ」のいずれかを搭載した際の最大積載数。

ムールマンスク[1](ロシア語:Мурманск)は、ソ連で建造された軽巡洋艦(Легкий крейсер)である。

ロシアの都市ムールマンスクに因む艦名は、第二次世界大戦時にアメリカより貸与されたオマハ級軽巡洋艦ミルウォーキー(USS Milwaukee, CL-5)に命名されていたものから受け継がれた。

艦歴[編集]

建造[編集]

ムールマンスクは、68-bis型軽巡洋艦(スヴェルドロフ級巡洋艦)の14番艦として計画された。1953年1月28日セヴェロドヴィンスク第402造船工場で起工、9月25日にはソ連海軍に編入された。1955年4月24日には進水1955年9月22日に竣工した。北方艦隊に配備され、軍艦旗を掲げたのは10月6日であった。

活動[編集]

1962年2月には、第6(ミサイル)分艦隊に配属された。1964年10月17日から21日にかけては、ノルウェートロンハイムを訪問した。1978年5月10日から14日にかけては、フランスボルドーを訪問した。

1970年には、ムールマンスクはいくつもの大きな任務を担った。4月8日スペイン沖で原子力潜水艦K-8が遭難すると、ムールマンスクはこれの救難活動に当たった。73 名の救出に成功したものの艦は沈没、多数の命が失われた。

4月から5月にかけて実施された軍事演習「オケアン」に参加し、北方艦隊の海軍大将セミョーン・ローボフの指揮下、ムールマンスクは北海のソ連艦隊の旗艦を務めた。

この年11月1日から翌1971年7月31日にかけては戦域となっている中東地域に派遣され、消耗戦争に関してイスラエル休戦したばかりのエジプトに対する軍事的支援を行った。

改装[編集]

1972年1月28日から1973年11月30日にかけては、セヴァストーポリセヴモルザヴォートオーバーホールを受けた。1988年から1989年にかけて実施された改修工事により、ムールマンスクは統制巡洋艦となった。この工事には、2400万ルーブリの費用がかけられた。

しかし、それにも拘らず1989年12月1日には戦列から除外され、コラ半島の停泊地にてモスボール状態に入れられた。その間にソ連は解体し、ムールマンスクもロシア海軍の管轄下に移った。

除籍[編集]

1992年7月3日には武装解除され海軍より除籍された。艦を解体して売却することにより、海軍は資金を得る予定であった。そのため、12月31日には乗員は解散され、艦は1994年インドの民間会社へ解体のため売却された。

その後[編集]

除籍されたムールマンスクは、1994年12月、保管されていた停泊地よりインドに向けて曳航された。しかし、その途中で曳航索が切れ漂流、同年12月25日、ノルウェーフィンマルク県ハスヴィクにあるSørøya[2]西端、Sørværの北西にあるGåsholmen[3]北東[4]に座礁しているのが地元の漁師と住民により発見された。ムールマンスクは右舷側に横転し、完全に横倒しとなっていた。復旧作業が行われ、横転状態からは回復したが、曳航に失敗し、その場に放棄された。

Sørøya島沿岸に座礁し放棄されていた状態のムールマンスク
画面左側後方の島がGåsholmen
(2002年1月の撮影)

以後、放棄されたムールマンスクは、ノルウェー当局により危険であるとされて原則として立ち入りは禁止されていたものの、特に厳しい接近・立ち入り禁止規制は行われず、以後、環境汚染の恐れが指摘されながらもちょっとした観光スポットとなった。ロシア人観光客が無断で乗艦し、艦にロシア海軍軍艦旗ロシア国旗を掲げる[5]、というトラブルが複数回起きたため、立ち入り禁止規制を厳格化することが検討されたが、有人による常駐監視が難しいため、厳格な立ち入り禁止規制が行われることはなかった。

その後、年々浸水が進み、激しく錆びつきつつも2000年代に入っても上部構造がまだ水上から確認できる状態で残存していたが、2009年には撤去計画の資金の目処が付き、座礁地点の水深が浅すぎて浮揚できたとしても曳航は不可能と判断されたために、Sørøya島とGåsholmen島を繋ぐ形で周囲に防波堤を作って隔離した後に水を抜き、乾ドックの状態として解体撤去する工法が採用された。2012年4月には周囲の乾ドック化が開始され、同年夏に乾ドック化が完成、解体作業は12月にはほぼ終了し、2013年までに撤去が完了した。

ムールマンスク自体は完全に撤去されたが、乾ドック化に伴って埋め立てられた浅瀬が2015年現在でも部分的に水上に残っており、往時を窺うことができる。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 日本語のカタカナ表記では“ムルマンスク”とも
  2. ^ Google マップの日本語版では「セール島」表記[1]
    他のカタカナ表記としては、「スーロイヤ島」(帝国書院『新詳高等地図』)、「セレヤ島」(旺文社『アトラス現代世界』)、「ソロヤ島」(日本語Wikipedia「ハスヴィク」の項)等がある。
  3. ^ 「島」というよりは「岩」に近い小さな岩石島である。
    なお、北欧各地には同名の地名が各所にある。
  4. ^ 北緯70度38分10.2秒
    東経21度57分21.6秒
  5. ^ ソビエト国旗やソビエト海軍旗が掲げられた例もあった。

参考文献[編集]

  • 世界の艦船 1月号増刊 2010.no.718 近代巡洋艦史』海人社:刊 2009年
  • アンドレイ・V.ポルトフ:著『世界の艦船 12月号増刊 2010.no.734 ソ連/ロシア巡洋艦建造史』海人社:刊 2010年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]