ムスチスラフ・スヴャトスラヴィチ (ルィリスク公)

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ムスチスラフ・スヴャトスラヴィチロシア語: Мстислав Святославич、? - 1241年)は歴代ルィリスク公のうちの1人である。ルィリスク公スヴャトスラフの死後、ルィリスク公国を統治した。このスヴャトスラフをムスチスラフの父とみなす説がある[1]

ムスチスラフは1185年ポロヴェツ族への遠征に参加した。また、おそらくムスチスラフはクルスク公オレグ[注 1]などの、セヴェルシチナの諸公国(チェルニゴフ公国とその分領公国)の公たちと共に、1223年カルカ河畔の戦いに参加したと思われる。1230年代後半に本格化するモンゴルのルーシ侵攻の過程において、セヴェルシチナの諸公国はモンゴル帝国軍に蹂躙された。そして、ルーシ侵攻の後モンゴル帝国軍の総司令官バトゥハンガリー王国方面へ侵攻し、1241年に再びルーシ方面へと帰還するが、ムスチスラフはこのバトゥの帰還前に殺害された[2]。その理由は不明である。 妻に関する史料は残されていない。オレグと、おそらくアンドレイがムスチスラフの子である。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ なお、オレグをムスチスラフの兄とする説がある[1]

出典

  1. ^ a b Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
  2. ^ Суздальская летопись