ムアンチャイ・キティカセム
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基本情報 | |
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本名 | Natawut Jantaweemol |
通称 | J-Okay |
階級 | フライ級 |
国籍 |
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誕生日 | 1968年11月11日(54歳) |
出身地 |
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スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 25 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 4 |
ムアンチャイ・キティカセム(英: Muangchai Kittikasem; 1968年11月11日 - )は、タイの元男子プロボクサー。チャイナート県出身。IBF世界ジュニアフライ級王者、WBC世界フライ級王者を経験した。
来歴[編集]
ムエタイ選手としてキャリアを積み、1988年6月10日、ボクシングデビュー[注釈 1]。
1989年5月2日、7戦目で世界初挑戦。IBF世界ジュニアフライ級王者タシー・マカロス(フィリピン)に挑み、12回判定勝ち。無敗の世界王者に輝いた。以後、3度の防衛に成功。
1990年7月29日、4度目の防衛戦。米国・アリゾナ州フェニックスでマイケル・カルバハル(米国)と対戦。7回TKO負けで王座から陥落し、プロ初黒星を喫した。
1991年2月15日、2階級制覇を懸けての世界再挑戦。同国人のWBC世界フライ級王者ソット・チタラダに挑み、6回TKO勝ち。2階級制覇に成功した。
1991年5月18日、初防衛戦。敵地で元WBC世界ジュニアフライ級王者(15度防衛)張正九(韓国)と対戦しTKO勝ち[注釈 2]。
1992年2月28日、3度目の防衛戦でチタラダと再戦し、9回TKO勝ち。
1992年6月23日、4度目の防衛戦は初の日本での試合。両国国技館でユーリ海老原[注釈 3]と対戦。8回KO負けとなり王座から陥落した。なお、この試合はJBC等の主催する年間表彰において年間最高試合賞に選ばれている。
1993年3月20日、雪辱・王座返り咲きを懸け、母国タイのロッブリーでユーリと再戦するも、9回TKO負けで王座返り咲きに失敗。前年に引き続き、この試合もJBC年間最高試合賞に選ばれた。この試合では第7ラウンドにムアンチャイがダウンし、その後もユーリが攻勢をかけている時に終了ゴングが30秒も早く鳴らされるなどムアンチャイ側に有利な工作があったことをボクシングマガジンが報じている[1]。
その後、1994年は1試合も行わず。1995年は2試合、1996年は1試合を行ったが、以降は再び長期間試合から遠ざかる。
1999年2月22日、2年9か月ぶりの試合で仲里繁と対戦し、4回TKO負け。結局、この試合を最後に引退した。
獲得タイトル[編集]
脚注・出典[編集]
- 脚注
- 出典
- ^ ボクシングマガジン299 1993年05月号 ユーリ敵地でTKO防衛
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ムアンチャイ・キティカセムの戦績 - BoxRec(英語)
IBF世界ジュニアフライ級王者 | ||
前 | 在位期間 | 後 |
タシー・マカロス | 1989年5月2日 - 1990年7月29日 | マイケル・カルバハル |
WBC世界フライ級王者 | ||
前 | 在位期間 | 後 |
ソット・チタラダ | 1991年2月15日 - 1992年6月23日 | ユーリ海老原 |