ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチ

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ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチ Football pictogram.svg
MilivojeNovakovic.jpg
名前
ラテン文字 Milivoje Novakovič
基本情報
国籍 スロベニアの旗 スロベニア
生年月日 (1979-05-18) 1979年5月18日(38歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア リュブリャナ
身長 193cm
体重 77Kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1999 オリンピア・リュブリャナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 オーストリアの旗 DSGクロッパイナーゼー
2000-2002 オーストリアの旗 SAKクラーゲンフルト
2002-2003 オーストリアの旗 ASKフォイツベルク
2003-2004 オーストリアの旗 SVマッテルスブルク 6 (2)
2004-2005 オーストリアの旗 LASKリンツ 21 (8)
2005-2006 ブルガリアの旗 リテックス・ロヴェチ 27 (19)
2006-2014 ドイツの旗 1.FCケルン 166 (74)
2012-2013 日本の旗 大宮アルディージャ (loan) 37 (17)
2014 日本の旗 清水エスパルス 34 (13)
2015 日本の旗 名古屋グランパス 26 (5)
2016-2017 スロベニアの旗 マリボル 37 (16)
代表歴2
2006-2017 スロベニアの旗 スロベニア 80 (32)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月10日現在。
2. 2017年6月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチMilivoje Novakovič1979年5月18日 - )は、スロベニアリュブリャナ出身の元サッカー選手。元スロベニア代表。ポジションはフォワード

経歴[編集]

ユース・オーストリア・ブルガリア[編集]

ユース時代は母国のNKオリンピア・リュブリャナの下部組織に在籍し、2002年にASKフォイツベルクに移籍した。2005-06シーズンに在籍したブルガリアのリテックス・ロヴェチでは16得点で得点王のタイトルを獲得し、同シーズンにはUEFAカップでベスト32に入った。ドイツの1.FCケルン、イスラエルのベイタル・エルサレムFC、ブルガリアチャンピオンのレフスキ・ソフィアが彼に興味を示し、2006年夏、2. ブンデスリーガ(2部)に降格したばかりのケルンに150万ユーロの移籍金で移籍した。

ケルン[編集]

移籍1年目の2006-07シーズンこそ10得点だったものの、2007-08シーズンにはパトリック・ヘルメスとのコンビで37得点を量産。自身は20得点を挙げて2. ブンデスリーガの得点王に輝いた。このシーズン、ケルンはボルシアMGホッフェンハイムに次ぐ3位となり、3シーズンぶりの1部昇格を果たした。2008年9月12日クリストフ・ダウム監督はノヴァコヴィッチを主将に指名した。2008-09シーズンは16得点を決めてチームを引っ張った。

2010 FIFAワールドカップ予選ではスロバキア戦やポーランド戦など計4試合で5得点し、スロベニアのグループ2位とプレーオフ進出に貢献した。プレーオフのロシア戦では2戦ともにトップ下で先発出場し、アウェーゴール差での本大会進出を決めた。 2010/11シーズンのブンデスリーガでは、マリオ・ゴメスパピス・シセに次ぐリーグ3位となる17得点を挙げた[1]

2012年2月13日、クラブでの活動に専念する為、スロベニア代表からの引退を発表した[2]

2011/12シーズンは故障もあり5得点に終わる。チームは最終節を残して16位と入れ替え戦圏内だったがバイエルン・ミュンヘンとのホームゲームを1-4で落とし、逆にこの日ホッフェンハイムに3-1で勝利したヘルタ・ベルリンに抜かれて17位に転落してしまい3季ぶりの降格が決定。なおこの試合でケルン唯一の得点を決めたのがノヴァコヴィッチだった。チームの降格を受けて8月1日大宮アルディージャ期限付き移籍[3]

大宮[編集]

第22節のFC東京戦でJ1初ゴール。第26節のコンサドーレ札幌戦ではクラブJ1史上初となるハットトリックを達成。同じく夏に途中加入したズラタンとともにチームのJ1残留に大きく貢献した。

2013年は開幕からチームを牽引して21戦無敗記録の樹立に貢献。チームと共に後半戦やや調子を崩すも最終的に12得点を挙げる活躍を見せた。

またこの年スロベニア代表の監督スレチコ・カタネッツからラブコールを受けて2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で代表復帰。3月22日のアイスランド戦で代表復帰後初となる先制ゴールを挙げた。10月11日のノルウェー戦ではハットトリックを達成。6試合の出場で5得点の活躍を見せるもチームは3位に終わり2大会連続のワールドカップ出場はならなかった。

清水[編集]

2013年シーズン終了後にケルンから大宮への期限付き移籍期間が満了となり、2014年シーズンよりケルンから清水エスパルスへの完全移籍が決定する[4]。チームは残留争いに巻き込まれる苦しいシーズンとなったが、リーグ戦全試合で先発出場しチーム最多の13得点を挙げて年間15位でのJ1残留に貢献。カップ戦も含めて年間19得点とチームの大黒柱としての活躍をみせた。

名古屋[編集]

2015年1月16日名古屋グランパスへ完全移籍することが発表された[5]。「ゴール前のスペシャリスト」を欲した西野朗監督の強い要望を受けての移籍だったが、スタメンでの起用が少なく1年での退団が決まった。

4年を過ごした日本について、「夢のような場所で妻も戻りたがっているほど」、「アジアで最も落ち着いた環境でプレーできるのはJリーグ、上位と下位が拮抗している」、「欧州とは人々のメンタリティにかなり違いがある。1部残留争いをしていようとも、人々はプライベートでは放っといてくれる、礼儀正しく接する。プレッシャーは実質的に皆無だ」との感想を述べている[6]

マリボル[編集]

2016年2月18日NKマリボルに完全移籍することが発表された[7]

2017年6月10日に行われるワールドカップ欧州予選・マルタ戦を最後に現役を引退する事を発表し[8]、そのマルタ戦に途中出場から得点も挙げた[9]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
2003-04 SVマッテルスブルク オーストリアブンデス 6 2
2004-05 LASKリンツ 21 8
ブルガリア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2005-06 リテックス・ロヴェチ ブルガリアA 27 19
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2006-07 ケルン 11 ツヴァイテリーガ 25 10 - 2 1 27 11
2007-08 33 21 - 1 1 34 22
2008-09 ブンデスリーガ 30 16 - 2 1 32 17
2009-10 30 6 - 2 1 32 7
2010-11 28 17 - 2 2 30 19
2011-12 20 5 - 1 2 21 7
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2012 大宮 18 J1 12 5 0 0 3 3 15 8
2013 26 12 2 1 1 0 29 13
2014 清水 34 13 5 4 2 2 41 19
2015 名古屋 26 5 4 2 0 0 30 7
スロベニア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2015-16 NKマリボル 11 1.SNL 11 5 -
2016-17 26 11 -
通算 ドイツ ツヴァイテリーガ 58 31 - 3 2 61 33
ドイツ ブンデスリーガ 108 44 - 7 6 115 50
日本 J1 98 35 11 7 7 5 116 47
スロベニア 1.SNL 37 16 -
総通算

代表[編集]


スロベニア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 8 4
2007 9 1
2008 9 6
2009 10 2
2010 11 5
2011 7 1
2012 0 0
2013 7 6
2014 6 3
2015 2 2
通算 69 30

代表得点記録[編集]

タイトル[編集]

人物[編集]

  • 清水エスパルスに所属していた2014年の最終戦で「2014エスパルス年間ベストプレイヤー『グッドJOB賞』」を受賞し、賞金100万円を手にしたが、「1年間在籍した清水エスパルスのホームタウンである静岡市国際交流の発展やチャリティー事業に役立てて欲しい」と、静岡市国際交流協会に100万円全額を寄付した[10]

脚注[編集]

外部リンク[編集]