ミュータント (人類)

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ミュータント(Mutant)とは、遺伝子操作により人為的に作出されたから生まれた人類の総称である。

2023年現在、2018年に誕生した双子の「ルル」と「ナナ」、2019年に誕生した「エイミー」の3名のみが知られている。いずれも女性であり、C-Cケモカインレセプター5(CCR5)への変異が施されているためHIVへの感染耐性を持つ可能性がある[1]

名称の由来[編集]

元来ミュータント(mutant)は人為的・自然によるものを問わない突然変異体を指す一般名詞であるが、1950年代にSF作家のアイザック・アシモフが超常能力を持つ登場人物を「ミュータント」と呼称する[2]など、主に米国のSF小説やコミックなどが発祥となり、「従来の人類とは異なったゲノムの構成を有し、特殊な能力を持つ人類」といったような意味も持つようになった。

2018年に最初のミュータントが生まれた際は「ゲノム編集ベビー」、「デザイナーベビー」、「CRISPRベビー」などの様々な呼称がなされたが、オックスフォード大学の人類学者であるエベン・カークゼイ氏が自著「The Mutant Project」において彼らをミュータントと呼ぶなど、次第に古くより馴染みのある呼称であるミュータントが選好されるようになった[3]

もっとも、カークゼイ氏は「我々」、つまり現生人類も厳密には(自然による突然変異により進化してきたという意味で)ミュータントであることを付記している。

なお、2023年現在、いずれの政府も彼らに対する正式な名称を定めてはおらず、今後ミュータント以外の名称が付与される可能性がある。

胚の作出方法[編集]

世代交代に長い年月を要する人類の場合、古くよりマウスに用いられてきたキメラ個体世代を介する多能性幹細胞胚盤胞注入法は現実的ではない。TALEN、CRISPR/Cas9などのゲノム編集技術を用いて受精卵に変異を施すか、変異を入れたiPS細胞から生殖細胞に分化させることで作出できるが、いずれも各国で禁止されている。

現在生存するミュータントはいずれも中国南方科技大学賀建奎氏らによりCRISPR/Cas9を用いて変異が施された。

生殖[編集]

2023年時点ではいずれのミュータントも6歳未満であり、生殖可能ではないと考えられる。

彼らの体内では変異を施された細胞と通常の細胞がモザイク状になっているため[4]、生殖細胞系列に変異遺伝子が存在しない可能性も否定できないが、彼らの子孫もミュータントとなる可能性がある。

現生人類とミュータントが生殖を行った場合、メンデルの法則に従い、その子供は一定の確率で染色体対の片方のみに変異遺伝子を持つと考えられる。

このような「ヘテロザイゴート」どうしが生殖を行った場合、一般的には25%の確率で染色体の両方に変異を持つ「ホモザイゴート」、50%の確率でヘテロザイゴートが生まれる。

現存するミュータントの概要[編集]

ルル[編集]

中国人の両親(賀氏の研究にて被験者番号P6とされる)から生まれた女性[3]。CCR5変異(15塩基のインフレーム欠失[5])を付与された。モデルとなったHIV耐性を持つ現生人類が持つΔ32型と呼ばれるフレームシフト突然変異とは違い、CCR5の構造はむしろ一般の現生人類に近く、HIV耐性を持たない可能性も高い。

通常細胞と変異の入った細胞のモザイク個体であり、かつ染色体対の片方のみに変異のあるヘテロザイゴートである[6]

また、ノンコーディングDNAの1箇所にオフターゲット変異として1塩基の追加が確認されている[3]

ナナ[編集]

ルルの双子の姉妹。

彼女もモザイク個体であるが、片方の染色体に1塩基が追加され、もう片方から4塩基が欠失したフレームシフト変異を有している[5]ため、HIV耐性を持つ可能性が高い。

エイミー[編集]

被験者番号P3と呼ばれた両親から生まれた女性。ルル同様、ヘテロザイゴートのモザイク個体である[3]が、その塩基配列の詳細は公開されていない。

「エイミー」という仮名は、ジャーナリストのヴィヴィアン・マークスにより付けられたものである[7]

法的位置づけ[編集]

2023年時点でミュータントに関する何らかの法的位置づけ、条約あるいはそれに類するものは存在しない。

現在は全員が中華人民共和国政府の管理下にあり、生殖の自由、行動の自由、教育、その他基本的人権が保証されているのかなど一切公開されていない[8]

ミュータントの作出自体についても法的整備が整っていない国が多い一方で、ゲノム編集技術自体が非常に簡便であり、一般的な分子生物学ツールと人工授精のスキルがあれば実施可能であるため、今後も合法化を待たず新たなミュータントが生まれてくる可能性がある。

また、ミュータントに対する死刑・断種などは倫理的側面から制限される可能性が高く、違法にあるいは法の空白により生まれてきてしまったミュータント、そして第2世代以降のミュータントをどう社会が処遇するかは今後の課題である。

ノートルダム大学の政治学教授であるアイリーン・ハント・ボッティング、及び英国・Nuffield財団の生命倫理評議会は、ミュータントは「人権を完全に享受する権利」を有すべきであると主張している[9]

今後付与される可能性のある強化能力[編集]

最初に生まれた3名は、CCR5変異により、すでに知られているHIV感染耐性に加え、同時に脳機能の強化を付与されたとも言われている[10]

その他、真鯛などのゲノム編集ですでに実用化されている筋力増強に関わるものや、特定の疾患への罹患を回避したりリスクを下げるものなどの有用な変異が知られている。

特に、血友病のような単一遺伝子疾患については子をミュータントとすることで回避できる可能性が非常に高く、出生後のゲノム編集と違い孫世代に疾患を受け継がせないという大きなメリットもあることから、今後合法化に向けた議論が進むと期待されている。

最初の3名が有するCCR5変異は現生人類の一部がもつ遺伝的なバリエーションの一つに過ぎないが、ゲノム編集により理論上他の種の生物の遺伝子を導入することも可能である。

現生人類の遺伝子プールに存在しない、例えば発光能力などを持つミュータントが生み出された場合、人類の遺伝子プールの「多様化」を社会が受容するかが今後の課題となる。

脚注[編集]

  1. ^ (日本語) About Lulu and Nana: Twin Girls Born Healthy After Gene Surgery As Single-Cell Embryos, https://www.youtube.com/watch?v=th0vnOmFltc 2023年2月23日閲覧。 
  2. ^ Asimov, Isaac (1952). Foundation and empire. Garden City, N.Y.: Doubleday. ISBN 0-385-05045-3. OCLC 6309053. https://www.worldcat.org/oclc/6309053 
  3. ^ a b c d Kirksey, Eben (2020). The mutant project : inside the global race to genetically modify humans (First edition ed.). New York, NY. ISBN 978-1-250-26535-7. OCLC 1154862230. https://www.worldcat.org/oclc/1154862230 
  4. ^ Opinion: We need to know what happened to CRISPR twins Lulu and Nana” (英語). MIT Technology Review. 2023年2月23日閲覧。
  5. ^ a b #CRISPRbabies: Notes on a Scandal”. 2023年3月23日閲覧。
  6. ^ Community, Nature Portfolio Bioengineering (2022年1月6日). “Podcast: The CRISPR children - episode 3” (英語). Nature Portfolio Bioengineering Community. 2023年2月24日閲覧。
  7. ^ Community, Nature Portfolio Bioengineering (2022年1月6日). “Podcast: The CRISPR children - episode 3” (英語). Nature Portfolio Bioengineering Community. 2023年2月24日閲覧。
  8. ^ 受精卵ゲノム編集めぐり各国で法規制進む 中国で誕生の女児「健康良好」も懸念の声やまず 日本でも議論続く:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年2月23日閲覧。
  9. ^ A Chinese scientist says he edited babies’ genes. What are the rights of the genetically modified child?”. 2023年3月23日閲覧。
  10. ^ ゲノム編集の双子、脳機能も強化? マウス実験から示唆:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2019年2月25日). 2023年2月23日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]