ミハイル・スタクン

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ミハイル・オシポヴィチ・スタクン
Михаил Осипович Стакун
Міхаіл Восіпавіч Стакун
生年月日 1893年
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国ヴィリナ県ヴィリナ郡ウクライナ語版ネズャヌィ
没年月日 1943年4月27日
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1937–1954).svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国タンボフ州タンボフ地区ロシア語版タンボフ
出身校 全連邦共産党(ボ)中央委員会附属マルクス・レーニン主義コース
所属政党 ボリシェヴィキ

在任期間 1937年7月7日 - 11月13日

在任期間 1932年 - 1934年

Flag of Byelorussian SSR (1927-1937).svg 白ロシア共産党ロシア語版(ボ)ゴメリ市委員会
第一書記
在任期間 1935年6月 - 1937年

Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1918–1937).svg 全連邦共産党(ボ)スタヴロポリ管区委員会
責任書記
在任期間 1927年 - 1929年

Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1918–1937).svg 全連邦共産党(ボ)チタ管区委員会
責任書記
在任期間 ? - 1930年9月
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ミハイル・オシポヴィチ(ヨシフォヴィチ[1] / ヴォシパヴィチ)・スタクンロシア語: Михаил Осипович (Иосифович) Стакунベラルーシ語: Міхаіл Восіпавіч Стакун1893年 - 1943年4月27日)は、ロシアの革命家・ソビエト連邦の政治家。

生涯[編集]

1893年ロシア帝国ヴィリナ県ネズャヌィ (be) に生まれ[2]1909年からサンクトペテルブルクリガレーヴェリの工場で働いた[3]1912年からボリシェヴィキ党員となり、同年に逮捕され翌1913年にリガに2年間追放された[2]1916年には再び逮捕されている[2]

1917年1月からロシア帝国軍に従軍していたが[2]十月革命の際は冬宮襲撃ロシア語版に参加[4]。同年から翌1918年まではペトログラード赤衛隊ロシア語版ヴィボルグ地区ロシア語版参謀候補および同地区ソビエト執行委員会メンバーを、1918年には中央兵站管理食糧委員、赤軍軍事経済管理委員、第12軍革命軍事会議メンバーを、同年から1923年まではペンザ県ロシア語版食糧委参議会メンバー、コンスタンチノヴォ食糧委員、ドン州 (ru) ミッレロヴォロシア語版食糧委員、ノヴォチェルカッスク郡食糧委員を歴任した[2]

同年から翌1924年まではロシア共産党・全連邦共産党のノヴォチェルカッスク郡委責任書記、同年から1927年までは北カフカース地方ロシア語版統制委幹部会メンバー、同年から1929年まではスタヴロポリ管区 (ru) 委責任書記、同年から翌1930年9月までは北カフカース地方委メンバーおよびチタ管区 (ru) 委責任書記を務めた[2]。同年から1932年までは党中央委附属マルクス・レーニン主義コースで学び、同年から1934年までは党東カザフスタン州委 (ru) 第一書記に就いた[2]

1935年1月から6月まではソビエト連邦重工業人民委員部 (ru) 白ロシア社会主義ソビエト共和国担当全権、同月から1937年までは白ロシア共産党ロシア語版ゴメリ市委第一書記、同年6月19日から10月25日までは党中央委 (be) 局員 (be) に就き、7月7日から11月13日までは白ロシア共和国中央執行委 (ru) 議長に就いた[2]

その後は同年から翌1938年8月まで「ロッスナプスブィト」オリョール支社長を務めたが、同月14日に逮捕された[2]。容疑とされた「反ソ活動」については1940年連邦最高裁軍事参議会ロシア語版判決で無罪とされたが、1943年に連邦最高裁は判決を覆した[3]。同年4月27日、スタクンはNKVD[3]タンボフ刑務所で(公式には大葉性肺炎によって[4])死去した[2]。その後、1954年名誉回復ロシア語版がなされた[3]

脚注[編集]

  1. ^ СТАКУН МИХАИЛ ИОСИФОВИЧ: БИОГРАФИЯ”. PEOPLE.SU. 2018年5月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j Стакун Михаил Осипович”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年5月6日閲覧。
  3. ^ a b c d Маракоў Л. У. СТАКУН Міхаіл Восіпавіч // Рэпрэсаваныя лiтаратары, навукоўцы, работнiкi асветы, грамадскiя i культурныя дзеячы Беларусi. 1794-1991. — Мн.: Абрамовіч—Кушаль, 2004. — Т. III. Кнiга II. — 480 с. — (Энцыклапедычны даведнік).
  4. ^ a b Чакур Г. (2013年1月9日). “На карте Островетчины: Нидяны и ее жители”. Астравецкая праўда. http://www.ostrovets.by/news/obshchestvo/obrazovanie/news/na-karte-ostrovetchiny/news3733.html 2018年5月7日閲覧。 
党職
先代:
なし
Flag of the Soviet Union (1936–1955).svg 全連邦共産党(ボ)東カザフスタン州委員会第一書記
1932年 - 1934年
次代:
サウル・スヴェルドロフ
先代:
ヤーコフ・シャファレンコ
Flag of Byelorussian SSR (1927-1937).svg 白ロシア共産党(ボ)ゴメリ市委員会第一書記
1935年6月 - 1937年
次代:
エメリヤン・バルィキン
先代:
ステパン・ザハロフ
Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1918–1937).svg 全連邦共産党(ボ)スタヴロポリ管区委員会責任書記
1927年 - 1929年
次代:
アレクサンドル・カルトゥコフ
先代:
ヤーコフ・ポポク
Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1918–1937).svg 全連邦共産党(ボ)チタ管区委員会責任書記
? - 1930年9月
次代:
なし
公職
先代:
アレクサンドル・チェルヴャコフ
Flag of Byelorussian SSR (1937-1951).svg 白ロシア・ソビエト社会主義共和国中央執行委員会議長
1937年7月7日 - 11月13日
次代:
ニキフォル・ナタレヴィチベラルーシ語版
代行