ミニマル・ペア
ミニマル・ペア(Minimal pair)、もしくは最小対語(さいしょうついご)、最小対(さいしょうつい)、最小対立(さいしょうたいりつ)とは、ある言語において、語の意味を弁別する最小の単位である音素の範囲を認定するために用いられる、1点のみ言語形式の違う2つの単語のことをいう。
外国語教育では一般に、ミニマル・ペアを使って音の違いに集中させる発音教育をおこなっており、これをミニマル・ペア練習と呼んでいる。
概説[編集]
例えば、日本語の 「枯れ木」 [kaɾekʲi] という単語と、 「瓦礫」 [ɡaɾekʲi] という単語とを較べてみると、両者は語頭の子音( 「枯れ木」では [k]、「瓦礫」では [ɡ] )だけが異なっており、日本語話者はこの違い(無声音か有声音かの違い)によって意味を弁別(区別)する。
このとき [k] と [ɡ] は弁別的対立をなしているといい、このように「ただひとつの弁別的対立によって互いに弁別される2つの単語」を指して、ミニマル・ペアと呼ぶ。 また、このようにしてミニマル・ペアを追求する考察から、「この言語においてこれら2種類の音は別々の音素(この場合は /k/ および /ɡ/ )として記述するべきである」という知見が導かれる。
一方、たとえば中国語では、会話の中で [k] 音、[ɡ] 音のいずれもが聞かれ得るとはいえ、中国語話者はこれらの音の違いによって意味を区別しない。 たとえば中国語における [koʊ˨˩˦]、および [ɡoʊ˨˩˦] は、いずれも同じ単語「狗」(gǒu ; 「犬」)を発音したものに過ぎず、両者の音の違いは全く意識されない。 すなわち、そこには弁別的対立は存在せず、中国語の [k] と [ɡ] とはひとつの音素の異音同士の関係であるに過ぎない、ということになる。この音素を日本語とは無関係に、たとえば /ɡ/[1] で表すことができる。
ところがこれとは別に、中国語には [kʰoʊ˨˩˦] 「口」(kǒu ; 「口」)という単語があり、これは当然、上記の「狗」とは明確に弁別されるものとして存在している。 「狗」 と 「口」 とを較べると、最初の子音のみが異なっており、これら2単語もミニマル・ペアを構成していることがわかる。 ここで両単語を弁別する機能を担っているのは、有気音要素 [ʰ] の有無である。 そこで、 [k] ~ [ɡ] をひとつの音素にまとめてしまったのとは裏腹に、有気音 [kʰ] に対しては別個の音素を立てる必要が出てくる。 これを /k/[2] とすると、結局中国語(の軟口蓋破裂音)には、やはり2つの音素( /ɡ/ と /k/ )がある、という解析結果となる。
しかし上に見てきたように、中国語における /ɡ/, /k/ は、日本語における /ɡ/, /k/ とは定義が異なり、有気音と無気音の違いを表すものとして使用されているのである。
ここで留意すべき点は、この有気音 [kʰ] が、日本語でも普段に使用されている音であるという事実である。 たとえば 「枯れ木」 という単語は、[kʰaɾekʲʰi̥] のように発音されることがあり得る。 しかし日本語話者はこの有気音要素の有無には無頓着で、その違いを意識しない。 つまり、日本語では [k] も [kʰ] も聞かれるものの、そこに対立は存在せず、[kʰ] に対して独立の音素を立てる必要はない、ということになる。
以上、日本語と中国語を対比し考察した。以下に、3種類の軟口蓋破裂音([k] 、 [ɡ] 、[kʰ])を区別するビルマ語、全く区別のないアイヌ語を加え、模式的にまとめた。(※模式化を目的としたもので、厳密なものではない。)
[kʰ] 無声 有気 |
[k] 無声 無気 |
[ɡ] 有声 無気 |
解説 | |
---|---|---|---|---|
日本語 | /k/ | /ɡ/ | 有声/無声を指標として弁別する。 | |
中国語 | /k/[2] | /ɡ/[1] | 有気/無気を指標として弁別する。 | |
ビルマ語 | /χ/[2] | /k/ | /ɡ/ | 上記いずれをも指標として弁別する。 |
アイヌ語 | /k/[2][3] | いずれも指標とせず、弁別しない。 |
なお、上記3音にさらに有気有声音 [ɡʰ] を加えた4音を弁別するヒンディー語のような言語もあることを書き添えておく。
こうして、表出された音声( [k] [ɡ] [kʰ] など)には言語間の違いがあまりないように見えても、その深層にある「音素の体系」(表で示した /ɡ/ /k/ /χ/ などの構造)は、言語ごとにさまざまな形があり得るのだ、ということが見えてくる。 このような構造を知ることが、言語研究の根幹である。また、このような違いを知ることは、言語を体系的に習得する際に欠かせない知識でもある。
通常こうした「音素の体系」を音声そのものを聴いて即座に把握することは難しく、ミニマル・ペアを通した解析が必要になるものである。
脚注[編集]
- ^ a b ここで音素記号に k でなく g を用いることに本質的な意味はない。g を用いるのが最も便宜的に扱いやすいとは思われるが、k を用いても、その他の文字や記号を用いても、本質的に間違いというわけではない。
- ^ a b c d これらの文字を使うのもやはり便宜と慣用であって、それ以上の意味はない。ビルマ語では3音が対立するので、g, k 以外の文字を併用せざるを得ず、ここではギリシア文字を借用しているが、大文字で /K/ などとする方法も見受けられる。
- ^ アイヌ語 /k/ は一般に [k] と発音されるものとされ、日本語と同様 [kʰ] に近いことも多いが、語中の母音や /n/ の直後では、有声化して [ɡ] のように聞こえやすいという。一般に、音素の数が少ないほど、そのぶんはばひろい異音の現れる傾向があるものである。