ミッドナイトムービー

トッド・ブラウニングの『フリークス』(1932年・MGM)は、1960年代初頭にカウンターカルチャーの文脈において再発見され、1970年代から1980年代にかけてアメリカのアートハウスシアターで深夜上映の形態(=ミッドナイトムービー)で定期的に劇場公開された。
ミッドナイトムービー(Midnight movie)とは、アメリカ合衆国のアートハウスシアターにおいて1970年代を中心に深夜上映の形態で公開されていたカルト映画の総称。
大半は大手映画会社に属さない独立系プロダクションやアマチュア作家によって製作されたものであるが、ミッドナイトムービー出身で後に著名となった映画監督も多数存在する。代表的な作品にアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』(1970年)、ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』(1972年)、ジム・シャーマンの『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)、デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』(1977年)などが挙げられる[1]。
概要[編集]
「カルト映画」も参照
ミッドナイトムービーのルーツは1950年代にアメリカの地方局で深夜に放送されていた低予算映画である。その後、ミッドナイトムービーのムーブメントは1970年にエルジン劇場で上映された『エル・トポ』を嚆矢としてニューヨークで始まり、1975年の『ロッキー・ホラー・ショー』のヒットで全米に広がっていった[注 1]。以来このジャンルの映画は「カルト映画」という文脈で認識されるようになり、ミッドナイトムービーもより純粋なキャンプ映画となっていった。
現在も「ミッドナイトムービー」という言葉は、深夜上映でロングランされるようなメインストリームに属さないカルト映画に対して、しばしば用いられている[1]。2005年にはムーブメントの発生と主要映画6本のエピソードをまとめたドキュメンタリー映画『ミッドナイトムービー』が公開された。
代表例[編集]
- フリークス(米:1932年) - トッド・ブラウニング監督
- リーファー・マッドネス(米:1936年) - ルイ・ガスニエ監督
- ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(米:1968年) - ジョージ・A・ロメロ監督
- エル・トポ(墨:1970年) - アレハンドロ・ホドロフスキー監督
- ハロルドとモード 少年は虹を渡る(米:1971年) - ハル・アシュビー監督
- ハーダー・ゼイ・カム(ジャマイカ:1972年) - ペリー・ヘンゼル監督
- ピンク・フラミンゴ(米:1972年) - ジョン・ウォーターズ監督
- ロッキー・ホラー・ショー(英:1975年) - ジム・シャーマン監督
- グラフィック・ドゥ・ボスコップ(仏:1976年) - ジョージ・デュムラン監督
- イレイザーヘッド(米:1977年) - デヴィッド・リンチ監督
- ザ・ルーム(米:2003年) - トミー・ウィゾー監督
- ミッドナイトムービー(加:2005年) - スチュアート・サミュエルズ監督
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b “米サイト選出「史上最高のミッドナイトムービー50本」 : 映画ニュース”. 映画.com (2015年1月22日). 2021年2月22日閲覧。
外部リンク[編集]
- ミッドナイトムービー 映画情報サイト cinemacafe.net - ウェイバックマシン(2012年3月9日アーカイブ分)