ミッキー安川の「勝負」シリーズ

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ミッキー安川の「勝負」シリーズ(ミッキーやすかわのしょうぶシリーズ)は、アール・エフ・ラジオ日本で放送していたミッキー安川パーソナリティを務めた一連の番組群のことである。

2009年12月下旬以降はミッキー安川の長男であるマット安川が代役を務めていたが、2010年1月18日にミッキー安川が死去したのにともない終了した。同年2月7日から全番組をマット安川が引き継ぎ、2020年3月27日に終了の「ずばり勝負」まで放送した。

概要[編集]

タレント・評論家・随筆家・実業家・歌手とマルチな肩書きを持って活動したミッキー安川がその日・その週に起こる様々な出来事や、国際問題について政治家評論家との対談を展開する『ミッキー流ニュースショー』である。深夜の生放送番組では自身の思い出話・昔話や実体験・経験談・歌声などを披露していた。また番組に寄せられるリスナーの様々な意見を多く紹介し、2004年頃よりミッキー安川の個人事務所[1]サプリメントの取り扱いを始めており、意見の募集も兼ねて注文も受け付けていた。

末期のネット局はコミュニティ放送局が中心で、ラジオ日本との関わりが深いぎふチャンラジオ関西はネットしていなかった。

ミッキー安川の死去にともない、2010年2月5日をもって全てのシリーズが終了となった。後の2月7日に放送した『雑オロジー』および同年2月8日に放送した『オレンジマンデー』で、同年2月8日以降全番組を息子のマット安川が引き継ぐことが発表され、番組名も『マット安川の - 』となった。なお、ラテ欄では番組名を『M安川の - 』と表記することになる。これは「ミッキー安川」・「マット安川」のどちらとも解釈出来る様にとのことである。

ミッキー安川のずばり勝負[編集]

ミッキー安川のずばり勝負
ジャンル トーク
放送方式 生放送
放送期間 - 2010年2月5日
放送時間 150分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川 → マット安川
出演 加藤知華
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番組の起源は1981年に開始した『ミッキー安川の毎日が勝負』。同番組はラジオ日本を代表する長寿番組の一つとなり、同局の看板的存在であった。放送内容は雑誌『月刊日本』に抜粋され、収録していた。当番組は『夏木ゆたかのホッと歌謡曲』とのコラボレーションを行い、ミッキー安川と夏木ゆたかの番組前後の入れ替え時に会話を交わした。その流れで、ミッキーの番組(ずばり勝負、朝まで勝負)に夏木がゲスト出演したことがあった。

放送時間[編集]

この番組はナイターオフのラジオ番組として、毎週土曜 19:00 - 22:00に放送していた。当時は岐阜放送ラジオ関西にネットしており、通年で放送される様になってからはネット局が減少した。KBS京都は毎週金曜 12:30 - 14:00に放送していた(2006年3月まで)。

テーマ曲[編集]

アシスタント [編集]

  • 番組開始当初はミッキー安川の個人事務所「オフィスヤスカワ」の女性スタッフがアシスタントを担当していた。その後は加藤知華が番組終了まで起用された。

タイムテーブル[編集]

  • 12:30 オープニング・エリエールの大王製紙ローションティシューの生CM[3]
  • 12:32 オープニングトーク[4]
  • 13:00 本日のゲストとのトーク
  • 14:00 ニュース・天気予報・交通情報
  • 14:10 本日のゲストとのトーク(続き)
  • 14:30 オフィスヤスカワ ヘルシー事業部の健康補助食品の紹介[5]
  • 14:40 ミッキー安川のアーカイブ
  • 14:50 薬蜜本舗の紹介、今夜のスーパーフライデーの告知、エンディング[6]

ミッキー安川のスーパーフライデー[編集]

ミッキー安川のスーパーフライデー
ジャンル トーク
放送方式 生放送
放送期間 2007年11月2日 - 2010年2月5日
放送時間 120分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川 → マット安川
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  • 約13年間放送したミッキー安川がメインである『朝まで勝負』の後番組として、2007年11月2日より放送を開始した。番組自体の基本構成は前番組とほぼ同じで、レギュラー出演していた一部の演歌歌手も(大川健太郎[7]水田かおりなど)そのまま継続して出演している[8]
  • 当番組開始の経緯は「先週までやった番組の『朝まで勝負』ってのはさ、朝5時までだったじゃない? 途中で休憩をくれたり、睡眠を2時間程取らせて貰ったりしてね。そうやって周りやスタッフも俺に気を使ってくれたりしたんだけどねぇ…。でも人間の体ってのは正直なもんでさ、もう俺も歳を取っちまったのかなぁ。神経質になったかどうか知んないけど目が冴えちゃって、ちっとも眠れねぇんだよなぁ〜! どうしても番組の方が気になっちゃってね。でも俺だってさぁ、寝不足になるのも辛い訳だよな…。これじゃあ体が持たないなって俺も思ったんで、朝5時までは止めることにしました」とのこと。
  • アシスタントは前番組の女性から男性に交代した。その理由は「午前1時半で終わる番組に変わるんで、女のアシスタントが付いてくれたらさ、1人じゃ帰せなくなっちゃうだろ? それだと俺も気まずくなるじゃん。だから男のアシスタントに替えたんだよ」とのこと。
  • 午前0時の時報に合わせ、君が代の録音を流した。歌唱していた演歌歌手は大川健太郎[9]、久保田健司、伊達めぐみ、水田かおり、春日めぐみの5人で、最終回まで継続した。

放送時間[編集]

  • 毎週金曜 23:00 - 25:00

2009年9月までの放送時間毎週金曜 23:30 - 25:30。10月より開始時間が30分繰り上げられ、上記の時間帯に変更した。

基本的な番組編成は下記の通り。※ゲスト出演者がある週の編成。

  • 23:30 - 24:30 政治家・評論家とのトーク。
  • 24:30 - 25:30 演歌歌手の生歌、ゲストとのフリートーク[10]

ミッキー安川の雑オロジー[編集]

ミッキー安川の雑オロジー
ジャンル トーク
放送方式 生放送
放送期間 2004年11月7日 - 2010年2月7日
放送時間 120分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川 → マット安川
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政治や時事問題、健康に関する話題やミッキーの体験談など、様々なことを取り上げていた。番組内でオフィスヤスカワが販売する健康補助食品の紹介があり『スーパーフライデー』と同様に午前0時の時報に併せ、君が代を流した。

番組開始当初は放送時間が24:00 - 25:30だった。

放送時間[編集]

ミッキー安川のゴルフ放談[編集]

ミッキー安川のゴルフ放談
ジャンル トーク
放送方式 録音放送
放送期間 - 2007年3月、2008年4月 - 2010年2月7日
放送時間 20分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川 → マット安川
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最近のゴルフ、ゴルフに関する話題、ミッキー安川自身のゴルフ体験など昔の思い出をはじめ、実際にゴルフをプレイする人間の行動心理などについて言及した。

他の番組とは異なり、政治や時事問題や芸能の話題などには触れずに番組は進行した。ゴルフをプレイするオフィスヤスカワのスタッフが共演することがあり、ハワイニューヨークなど宿泊先からの録音放送があった。

2007年3月までは毎週日曜 6:15 - 6:35、6:50 - 7:00に放送。その後は1年間の中断期間を経て、2008年4月から放送を再開した。

放送時間[編集]

  • 毎週日曜 8:10 - 8:30

ミッキー安川のオレンジマンデー[編集]

ミッキー安川のオレンジマンデー
ジャンル トーク
放送方式 録音放送
放送期間 2006年7月 - 2010年2月1日
放送時間 30分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川 → マット安川
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オフィスヤスカワ ヘルシー事業部が販売する健康補助食品横浜中華街にある薬蜜本舗である蜂蜜の紹介があり、録音放送のためにリスナーからのFAX、メール募集や紹介は無かった。

番組冒頭の数分間は時事問題のトークが入る場合があり、雲南農業大学 蜂学部教授の山口喜久二が不定期でゲスト出演した。

通常は録音放送だったが、ミッキー安川が死去した当日夜の放送は特別番組として生放送に変更した。

放送時間[編集]

  • 毎週月曜 23:30 - 24:00

ミッキー安川の朝まで勝負[編集]

ミッキー安川の朝まで勝負
ジャンル トーク、音楽
放送方式 生放送
放送期間 1994年10月8日[11] - 2007年10月27日 (中断期間あり)
放送時間 300分
放送局 ラジオ日本
パーソナリティ ミッキー安川
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毎週土曜日の午前0時から午前5時まで放送した5時間の生ワイド番組で、中断期間はあったが約13年間に渡って放送した。番組前半の約1時間はミッキー安川とゲスト[12]との時事・世相などのトークで始まり、残り時間は数名の演歌歌手[13]が交代でフリートーク、生歌を披露するコーナーとなり、番組は進行した。

番組リスナーから歌のリクエスト[14]を生放送中に電話で受け付けるコーナーがあり、更にリスナーとミッキー安川やゲスト歌手と一対一で会話することが出来る「生電話」のコーナーがあった[15]。この番組の基本構成は2007年11月2日より開始した『スーパーフライデー』に受け継がれた。

番組オープニングの冒頭は国歌の『君が代』を出演者全員で斉唱した。エンディングはミッキー安川本人を題材にした応援歌『ミッキー音頭』[16]があり、ゲストの演歌、民謡歌手が1人ずつ交代で歌唱した。[17]

エンディングテーマはディーン・マーティンが歌う『ジェントル・オン・マイ・マインド』を使用。番組終了時はミッキーを始め、出演者全員で揃い「おはようございます!」の挨拶で締めた[18]

深夜3時台に入ると女性アシスタントが担当する『真夜中の天気予報』をはじめ、ミッキーが休憩を取る合間に『おんなの時間』と称したコーナーがあり、主に女性アシスタントとレギュラー演歌歌手、ゲスト出演者とのフリートークタイムがあった。

本放送を中断していた期間は午前0時 - 午前3時台はラジオ日本の自社制作番組やラジオ大阪制作のアニラジ[19]。午前4時台はクラシック音楽などを放送していた。番組末期は水戸コミュニティ放送へネットした。

2007年10月27日、番組は終了する。

その他[編集]

  • ミッキー安川の毎日が勝負(月曜日 - 木曜日)[20]
  • ミッキー安川のずばり60分(金曜日)
  • ミッキー安川の勝負でいこう(土曜日)
  • ミッキー安川のヨコハマ今昔(水曜日)[21]
  • ミッキー安川のエクストラマンデー(月曜日20:00 - 20:30)[22]
  • ミッキーさんを偲ぶ〜 ハイ、つぎ行きましょう(2010年1月30日放送)[23]

アシスタント[編集]

番組末期の『ずばり勝負』はフリーアナウンサーの加藤知華[24]がアシスタントを務め、深夜番組はオフィスヤスカワの女性スタッフがアシスタントを担当していた。

加藤知華は息子のマットが父の番組を引き継いで放送が開始された『マット安川のずばり勝負』でアシスタントを引き続き担当。番組終了まで10年間務めた。

過去のアシスタント・番組キャスター[編集]

その他は主に、オフィスヤスカワの女性スタッフが交代で番組アシスタントを担当した。

ゲスト[編集]

ラジオ番組への出演交渉は、基本的にミッキー安川自らが行っていた。その理由について「そりゃあ自分の番組なんだからさ、そうでもしないと誠意が伝わらないと思うんだよ。それに俺の番組ってさ、前の日になってから『出てくれないかな?』って依頼することがあるだろ。だから俺が自ら頼まないと出て貰えないんだよね。それが当たり前だけどな」とのこと。

『ずばり勝負』と『朝まで勝負』に積極的に出演していた常連のゲストは以下の通り。

過去に出演していたゲスト[編集]

2007年7月6日の『ずばり勝負』は自民党総裁(当時)の安倍晋三政務調査会長の中川昭一がゲスト出演した。

演歌歌手[編集]

※ その他に新人・ベテランを含めた演歌や民謡歌手などがゲストで出演しており、生電話の方でも登場していた。

スポンサー[編集]

  • ミッキー安川の個人事務所であった『オフィスヤスカワ』[46]が取り扱っている健康補助食品である「のどポリス」・「アイ・イイヨ」・「楽楽鎮」のラジオCMが放送されていた。
  • 『ずばり勝負』は、エリエールの大王製紙トヨタウエインズグループ・セガサミーグループなどが提供スポンサーに付いていた。過去には佐川急便グループの佐川印刷などもスポンサーだった。

エピソード[編集]

  • 番組初期の『朝まで勝負』で、ゲスト出演の演歌歌手に対して放送中にリスナーから来る応援電話の本数[47]が制限時間内に目標本数を達成しない場合、次週から番組出演が見送られるという挑戦企画があった。1996年4月13日の放送で大川健太郎が目標電話本数10.000本を達成し、この話題は当時の日刊スポーツでも取り上げられている。その後、この挑戦企画の方は打ち切られた[48]
  • 2006年頃に「朝まで勝負」の番組冒頭で「俺さ、今日昼間の番組が終わった後にね、千葉県の白子温泉まで行って来たんだけどさ、これがまた気持ち良かったんだよね〜」と話すことがあった。これは自身の健康維持も兼ねて昼の「ずばり勝負」終了後に車で温泉へ出向き、夜の「朝まで勝負」が始まるまでにラジオ日本のスタジオへ戻ることを習慣にしていた。
  • 『朝まで勝負』のオープニングでは「君が代」をスタジオ内で毎週出演者全員で斉唱していたが、中には「起立するのは良いんですけど、国歌斉唱はしたくないですね」と、斉唱を拒否するゲスト出演者も過去には存在し[49][50][51]、そのゲストが「君が代」斉唱を拒否した際にミッキーは番組内でその態度を非難しており、それ以降は実名を挙げて批判していた。
  • 「朝まで勝負」の初期の頃はゲストになべおさみ小野ヤスシくろさわ博なども出演しており、ミッキー安川はなべを「なべちゃん」小野を「小野ちゃん」と番組内で親しく呼び合っていた。小野はミッキーと親交を深めて「朝まで勝負」「ずばり勝負」にも積極的にゲスト出演しており、年末の恒例行事だったミッキー安川主催の「チャリティーショー」にも参加していた。
  • ミッキー安川本人が海外取材および休暇のために番組を休むことが定期的にあったが、その際は番組開始時に国際電話を通じて、現地から生電話を掛けて近況を報告したこともある。
  • ミッキーが番組を休む放送当日は、スタジオのアシスタントやゲスト歌手などで番組が進行された。冒頭のミッキーとゲストとのトークは休止したが、平沢勝栄・宮崎正弘などの常連ゲストが単独で出演。放送内容は政治や経済・時事放談で番組は進行していた。

関連番組[編集]

  • ミッキー安川の真剣勝負!(BS朝日

脚注[編集]

  1. ^ 後に「オフィスヤスカワ」として新たに個人事務所を設立しており、ミッキー安川の没後は息子のマット安川が事務所を引き継いでいる。
  2. ^ 選曲は以前に番組を担当していた、菅ディレクターによるもの。現在は『マット安川の価値組Sunday!』で曲を再び使用している。
  3. ^ 生コマーシャルは加藤知華や女性アシスタントが主に担当していた。ミッキー安川が製品の詳細について説明する場面も見受けられた。ミッキー安川本人は日頃から当製品を愛用していた様で「これは良いテイシューだから俺がお勧めするよ」と賞賛していた。
  4. ^ 主に今週に起こった出来事や芸能・スポーツの話題を始め、ミッキー安川の行動や世間話、昔の日本や芸能界を回顧するトークを展開していた。季節の話や身の上話など幅広く、特に話のテーマは設けずフリートークスタイルであった。海外へミッキーが出向いている際は現地からの生電話で近況報告、現地の話題を語っていた。
  5. ^ ミッキー安川本人が実際に各製品を試しており、その効果や感想などを詳細に説明したり、お勧めのポイントなどを語っていた。
  6. ^ 番組最後にミッキー安川が「それでは,良い週末を〜」で締めており、このスタイルは息子のマット安川に引き継がれた。
  7. ^ 大川の出演は一時期のみで途中降板しているため、番組の最終回にも未出演だった。
  8. ^
    • 前番組「朝まで勝負」と比べ、放送枠の縮小(5時間から2時間に変更)、終了時刻の変更(朝5時の終了が午前1時30に終了)を行った関係で前番組の女性アシスタントを廃止、前番組でレギュラー出演していた一部の演歌・民謡歌手が未出演となるなど、ゲスト出演者を削減した。フリートークのコーナーなども大幅に縮小している。
  9. ^ ただし大川と久保田は君が代の歌唱のみで、番組には一時期のみ出演していた。
  10. ^ ゲスト出演者がいない際はミッキー安川とレギュラー演歌歌手のフリートークを行った。
  11. ^ 『日刊スポーツ』1994年10月7日、27頁「ミッキー安川 ラジオ日本で5時間の生激論 今日からスタート」
  12. ^ このトークの常連ゲストは平沢勝栄を筆頭に宮崎正弘松野頼三、南丘喜八郎、上田哲藤井厳喜加瀬英明原口一博上田清司田中慶秋などが出演した。長年の親友だった小野ヤスシもゲストとして時折出演しており、時事放談以外に芸能界の裏話を始め、以前所属していたザ・ドリフターズドンキーカルテットなどの懐かしい話を披露した。
  13. ^ 毎週レギュラーで出演していた演歌歌手は大川健太郎、久保田健司、高石省三、シャルダン貴本、琴けいこ、水田かおりなど。他に民謡歌手の浜より子や新人、ベテランの演歌歌手が中心となって出演していた。レギュラー出演の演歌・民謡歌手は定期的に交代し、わずか数週間のみで降板した歌手もいる。番組内でその降板理由など、詳細の説明は一切無かった。
  14. ^ 実際に歌手がスタジオで生歌を披露するコーナーだった。「生電話」のコーナーで常連リスナーが長電話により時間を取ってしまった際は、歌のリクエストに応じられないことがあった。
  15. ^ 歌手以外のゲストや女性アシスタントが生電話に応じることがあり、常連のリスナーから直接指名される場面があった。その常連リスナーから「ちょっと○○さんに代わってよ」と毎回呼び出されて電話対応をする女性アシスタントやレギュラー、ゲスト演歌歌手もいた。毎週電話をして来る常連リスナーの中には話す時間が長くなることも頻繁にあり(常連男性リスナーの中には、毎回酒気帯びながら電話をする者もいた)、横にいるミッキーが「ちょっと悪いけど、次の人が待ってるんだからさ、早く電話を切ってくれないかな?その辺を分かってほしいのよ」とリスナーに直接注意をして交代させた。また深夜にもかかわらず、リスナーが間違え電話を掛けるトラブルもあり、番組内で「深夜なので、くれぐれも間違い電話には気を付けて欲しい」とミッキーと女性アシスタントが放送中に注意を呼び掛けた。
  16. ^ この歌は歌詞がユニークで(口は悪いが心はきれい。顔の良いのがたまにキズ。ミッキー安川 いい男、熱い人など)、明るく楽しくミッキーを励ますのと共に、皆で唄って元気を出して貰うために提供した楽曲である。同曲は番組の定番となり、最終回まで使用した。2010年1月、ミッキー安川が死去した際に「追悼特別番組」をラジオ日本で放送した時も「ミッキー音頭」をゲスト出演者全員で歌唱した。
  17. ^ 『ミッキー音頭』を歌う前に「○番(ミッキー音頭の歌順番)!、○○が(歌い上げる本人の名前)歌います!」と順番に歌唱した。
  18. ^ この挨拶は番組開始時刻が深夜未明で終了時刻が早朝5時となるため、ミッキー安川が「この番組が終わる頃ってのはさ、既にもう朝になっちゃってるじゃない?だから最後は『おはようございます!』で締めちゃおうか」と提案して、エンディング時の挨拶となった。
  19. ^ 瞳と光央の爆発ラジオ』『宮村優子の直球で行こう!』など
  20. ^ 『ずばり勝負』の前身番組とは別である。
  21. ^ 2006年12月の1か月間限定で放送された。
  22. ^ 2008年11月から2009年1月まで、2か月間のみ放送された。
  23. ^ ミッキー安川逝去後の「追悼特別番組」として放送。
  24. ^ 加藤は番組途中で結婚をした関係で、旧姓の豊田から改姓している。
  25. ^ 「ずばり勝負」で15年間に渡って番組キャスターを務めた。また「朝まで勝負」にもゲスト出演している。オフィスヤスカワで取り扱っているサプリメントや「ずばり勝負」の番組CMを担当していた。
  26. ^ 「ずばり勝負」でアシスタントを半年間務めている。なお「朝まで勝負」は、番組再開を含めて4年間アシスタントを担当した。
  27. ^ 番組初期にアシスタントを務めた。
  28. ^ 現在はリポーターや司会者、MCとして活動中。2023年12月まで『ラジオ日本 ラジオショッピング』のキャスターを務めていた。
  29. ^ 番組初期から末期まで、アシスタントを担当。朝まで勝負には他のアシスタントと共に出演した。
  30. ^ 番組初期にアシスタントを担当した。
  31. ^ 昼間は同じ時間に他局のラジオ番組を持っていたため、晩年は出演機会が少なかった。
  32. ^ 1993年頃から『朝まで勝負』を始めとしたミッキー安川のラジオ番組へ頻繁にゲストとして出演しており、毎回のように生歌も披露した。大川は後にミッキーに歌唱力を気に入られ、殆どレギュラー扱いとなって各番組へメインで出演を続けていた。しかし、一時期に入ってからは全体的に番組へ出演する機会が減少するようになり、朝まで勝負・スーパーフライデーの最終回にも未出演だった。その詳細は不明である。
  33. ^ 1995年頃からゲストで数回登場して後に「朝まで勝負」へレギュラー出演していたが、番組末期は殆ど顔を出していない。
  34. ^ 現在も歌手活動を継続しており、2022年には浅草ビューホテル「歌手生活40周年記念ランチパーティー」を開催した。また姉妹でデュエットを組んで登場することもある。
  35. ^ 2005年頃より「朝まで勝負」へゲストとして数回出演し、後に約2年間レギュラーとして起用されている。なお番組最終回にも出演しており、後番組である「スーパーフライデー」にもそのままレギュラーとして起用された。現在も歌手活動は継続している。
  36. ^ 番組最終回にも参加しており、後番組の「スーパーフライデー」へもレギュラー出演していた。現在も演歌歌手として活動中。
  37. ^ デビュー時からミッキーの番組へゲスト出演していた。ずばり勝負・朝まで勝負にも顔を出しており、生歌も披露している。2003年4月から文化放送の長寿深夜番組だった「走れ!歌謡曲」木曜日のレギュラーパーソナリティーに起用(この時は大黒裕貴名義)されて好評を得ていた。またデビューした当初からルックスも良く、演歌アイドルの『演ドル』としても活動した。現在も歌手活動を継続中。
  38. ^ 初めは「ずばり勝負」にゲスト出演しており、朝まで勝負にも一時的であるがレギュラーとして出演していた。現在も演歌歌手として活動中。
  39. ^ 「朝まで勝負」の番組開始間もない1995年初頭からレギュラーとして出演。生歌のコーナーで大川とは『麦畑』をデュエットで歌っており、ミッキー安川をはじめリスナーからも好評を得ていた。しかし2000年前後をもって番組を降板している。現在も民謡歌手として活動中。
  40. ^ 後に「貴本一生」に改名して活動した時期もある。一時期のみ「朝まで勝負」へレギュラーで出演していた。
  41. ^ 番組初期からゲストで出演しており、後に「朝まで勝負」のレギュラーに起用されて出演していたが、後に番組を降板した。高石の代表曲として「夜明けの甲府駅」がある。また高石は後に『真矢 翔多』に改名して歌手活動を続けていた。
  42. ^ 1995年 - 1996年頃に一時期のみ「朝まで勝負」へレギュラー出演した。また高石・シャルダンと同様に「ずばり勝負」へも数回ゲストとして出演する。
  43. ^ 初めは「ずばり勝負」にゲストとして出演し、後に「朝まで勝負」へもレギュラー出演するようになった。春日は2017年2月に自身のコンサートを開催している。
  44. ^ 「朝まで勝負」の開始から僅か数回のみで降板しており、その理由は不明。
  45. ^ 番組開始時の数回だけ出演しており、電話リクエストにも挑戦している。その際ミッキー安川には非常に厳しく叱咤(「アンタなんかにリクエスト電話100本なんて絶対に来ない!だってあなたはそれ程の歌手じゃないと思うよ」や「馬鹿者だよアンタ、過保護モンだよ!」など言葉が厳しかった)されながら生歌も披露している。しかし番組降板後、ミッキー安川の番組には一切出演しなかった。現在でも歌手活動を続けているのか不明である。
  46. ^ 父のミッキー安川が逝去した後に、息子のマット安川が引き継いでいる個人事務所。しかし2023年現在、オフィスヤスカワのホームページは閉鎖されている。
  47. ^ リスナーから来る応援電話の目標本数に関しては、毎回ミッキー安川の方で決めていた。
  48. ^ この企画が打ち切りになった詳細は不明で、番組内でも具体的な説明はされなかった。
  49. ^ 国歌斉唱を拒否した人物に菅直人などがいる。
  50. ^ 【佐藤優の地球を斬る】「畏敬の念」欠く新政権に不安(イザ!、2010年6月7日)
  51. ^ 「ラジオで君が代斉唱拒否」に菅首相が強く反論 放送したラジオ日本「歌わなかった」(FNNニュース、2010年8月3日)

外部リンク[編集]