マールワール王国

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マールワール王国
Marwar Kingdom
13世紀 - 1947年 インド
マールワール王国の国旗 マールワール王国の国章
(国旗) (国章)
公用語 ヒンディー語
首都 マンドール
ジョードプル
ラーオ
ラージャ
マハーラージャ
xxxx年 - xxxx年 不明
面積
93424km²
人口
1931年2125000人
変遷
成立 13世紀
滅亡1947年
通貨ルピー

マールワール王国(マールワールおうこく、ヒンディー語:मारवाड़、英語:Marwar Kingdom)は、インドラージャスターン地方に存在したヒンドゥー王朝13世紀 - 1947年)。軍事保護条約締結後はジョードプル藩王国とも呼ばれる。


歴史[編集]

ラートール氏族はラーシュトラクータ朝の後裔であることを自称している。同王朝の没落後、ラートール氏族は北インドカナウジへと移住した[1]

1194年、カナウジのガーハダヴァーラ朝はゴール朝のムハンマド・ゴーリーにより滅亡したが、ラートール氏族はマンドールへと逃げ、存続した。ラートール氏族の年代記はガーハダヴァーラ朝最後の王ジャヤ・チャンドラの孫にさかのぼっている。このことから、ラートール氏族はガーハダヴァーラ朝の後裔とも考えられる。

そして、13紀にラートール氏族によってマールワール王国がマンドールを首都に建国された。

1459年ジョーダーはマンドールから自身の名を冠したジョードプルへ遷都した。

1561年、マールワール王マールデーヴは自身の息子ウダイ・シングをムガル帝国の宮廷に出仕させた。

1679年、アフガン問題の処理にあたっていたジャスワント・シングが死亡すると、 皇帝アウラングゼーブはその領土の併合を宣言した[2]。これに対し、その遺児アジート・シングドゥルガー・ダースが擁立し、メーワール王国とともに対抗した(第二次ムガル・ラージプート戦争[3][4]

18世紀、アウラングゼーブが死ぬと、マールワール王国は帝国と講和したが、マラーターの侵略があった。マールワール王国はシンディア家の支配下に入り、6万ルピーの貢納を収めたほか、アジュメールなどの都市も奪われた。

1818年マーン・シングはイギリスと軍事保護条約を締結し、その保護下に入った(ジョードプル藩王国)。

1947年8月15日インド・パキスタン分離独立に伴い、インドへと併合された[5]。その後、ラージャスターン州が編成され、旧領に相当する地域はジョードプル州となった。

脚注[編集]

  1. ^ India: The Peacock's Call by Aline Dobbie p.41
  2. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.367
  3. ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.40
  4. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.368
  5. ^ アーカイブされたコピー”. 2013年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]