マーク C 中戦車

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マーク C 中戦車
MediumMarkC.jpg
マーク C 中戦車(右側面斜め後方から)
開発史
開発者 ウィリアム・リグビー
製造業者 フォスターズ
諸元
重量 20 t
全長 7.9 m
全幅 2.5 m
全高 2.9 m
要員数 4 名、車長・操縦手・機関員・機関銃手

装甲 14 mm
主兵装 7.7 mm機銃×5
副兵装 -
エンジン リカード6気筒ガソリン 150 hp
出力重量比 7.5 hp/t
懸架・駆動 緩衝機構無し
行動距離 225 km
速度 12.7 km/h
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マーク C 中戦車(マーク C ちゅうせんしゃ、Medium Tank Mark C)とは第一次世界大戦中にイギリスで開発された戦車である。しかし量産が遅すぎ、実戦投入に間に合うことはなかった。

開発[編集]

1917年、ウィリアム・トリットン卿は、以前に彼の協力者をつとめたウォルター・ゴードン・ウィルソンの参加なしにホイペット中戦車を開発していた。このためウィルソン少佐は1917年7月、彼自身の手になる改良型の設計を開始し、これがマーク B 中戦車となった。トリットン卿はウィルソンの意図に気づくと、すぐさま自身の主任設計者であるウィリアム・リグビーに対し、ライバルとなる型の設計を指示した。これがマーク C 中戦車である。

1918年4月19日、設計図はイギリス陸軍の承認を得た。試作車輌はトリットンの保有する工場で8月に完成、これはマーク B 中戦車の完成する数週間前だった。当初200両の本戦車が発注された。後にこの数は600両に増やされ、全てがウィリアム・フォスター & Co Ltdと副契約企業のアームレット&ウォートリー社で製造されることとなった。この戦車の俗称は「ホーネット」とされていたが、しかし誰もこれを使用した形跡はない。

説明[編集]

マーク C 中戦車の内部構造図。

表面上、マーク C 中戦車は対抗車であるマーク B 中戦車にかなり似て見える[1]。この車輌は、マークI戦車や後の重戦車に一般的な菱形形状と、車体前方に装甲化された構造物や砲郭とを組み合わせており[2]、5挺の機銃を球形銃架に装備している。ただし、トリットンのマーク C 中戦車はより全長の長い車輌になっていた。マーク B 中戦車と同様、この車輌は後部に隔離された機関区画を持つ。しかしこの区画は、標準的なエピサイクリック・トランスミッションの後方に、通常の6気筒リカード・エンジンを収納するに十分なほど大きかった。またこの部分は戦闘区画から容易にアクセスできた。より大型化された戦車のエンジンはおよそ13km/hの高速を発揮した。全長がより長くなっていることで、本車には優れた超壕能力が与えられた。ガソリンタンクは680リットルの燃料を携行し、行動範囲は230kmとなった。したがって全体的な機動性はマーク B 中戦車よりも相当良好だった。

リグビーは、この設計において人間工学的な改善に強く配慮していた。車長は特別な回転式の展望塔と小型の地図盤も配備された。11箇所の覘視孔が設けられていた。乗員4名の個人装備用として特別な収納箱が装着された。伝声管が命令伝達を改善するために採用された。操縦手用に走行距離計が備えられていた。

実戦投入[編集]

1919年、グラスゴーでの暴動(ジョージ・スクエアの戦い)の後に展開されたマーク C 中戦車。

1919年、マーク D 中戦車の量産準備ができていない状況があり得たため、戦車軍団ではこの年に6,000両ものマーク C 中戦車の配備を望んでおり、そのうち3分の1は車体前部に長砲身6ポンド砲を装備した雄型だった。設計図は準備されたものの、この図面からは何も生まれなかった[1]。戦争終了時に全ての指示がキャンセルされ、車輌36両のみが完成間近だった。総数50両の量産車を作り出すため、先行生産された部品から組立てられた他の14両と共にこれらは完成した。J・F・C・フラー将軍はマーク D 中戦車の開発予算をマーク C 中戦車の量産に切り替え、そこで平時の戦車大隊全てにこの性能の良い戦車を装備することを考慮したものの、反対の決定を下した。第2戦車大隊のみがこの戦車を保有した。これは戦車部隊の中でも最新型の戦車だったため、損傷から注意深く遠ざけられた。マーク C 中戦車は、ロシア内戦でのボルシェビキに対する遠征軍に参加したり、アイルランド独立戦争に送られることはなかった。本戦車のうち、1919年の戦勝パレードに参加したのは4両のマーク C 中戦車のみである。この戦車が唯一「実戦投入」されたのは1919年である。グラスゴーにおいてジョージ・スクエアの戦いとして知られる暴動が発生した後、当地の労働争議の鎮圧に当たった。

1925年、マーク C 中戦車は徐々にビッカース マークI中戦車とビッカース マークII中戦車に取り替えられていった。回収車輌としてマーク C 中戦車を用いるという提案は拒否された。新型トランスミッションの試験のため、1両が使用された。1940年、最後に残されたマーク C 中戦車が溶解処理された。

参考文献[編集]

  1. ^ a b Chant, Christopher (2002). World Encyclopaedia of the Tank. An international history of the armoured fighting machine.. Stroud: Sutton Publishing. pp. 32–33. ISBN 0-7509-3147-7. 
  2. ^ Crow, Duncan. British and Commonwealth Armoured Formations 1919-46 (Profile Publications Ltd, Great Bookham, no date), p.2.

外部リンク[編集]