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マーク・キャリオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーク・キャリオン
Mark Carreon
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
生年月日 (1963-07-19) 1963年7月19日(61歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1981年 MLBドラフト8巡目
初出場 MLB / 1987年9月8日
NPB / 1997年4月5日
最終出場 MLB / 1996年8月23日
NPB / 1998年7月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マーク・スティーブン・キャリオンMark Steven Carreon , 1963年7月19日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手外野手)。1997年1998年千葉ロッテマリーンズに所属した。珍しい左投右打の選手で、ロッテでは主に指名打者として出場した。

経歴

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1981年MLBドラフト8巡目でニューヨーク・メッツに入団。1987年MLB初昇格。

1997年千葉ロッテマリーンズに入団。体調不良で練習を早退したにもかかわらずチームバスの中で本を読んだり、試合を無断欠場して自宅で卓球に興じるなど、やる気のない態度を取ることもあり、1998年のスポーツ報知の選手名鑑では「チーム一のやる気のなさ」とまで書かれていた。しかしながら、1年目は打率.279、本塁打14本、打点77ながら、チーム三冠王に輝いている。

2年目の1998年は同じく現役メジャーリーガーであったフリオ・フランコの入団に刺激されてか、序盤から結果を残すも腰痛のため結局60試合の出場に終わり、同年オフに任意引退した。

2000年独立リーグで現役復帰したが、1年限りで再び引退した[1]

薬物問題

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2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書によると、ニューヨーク・メッツの元クラブハウス従業員であるカーク・ラドムスキー1996年アナボリックステロイドダイアナをキャリオンに販売したとしている。しかし、ラドムスキーはその証拠を提示する事が出来なかった。 この主張についての情報を提供し、応答の機会を与えるためにジョージ・J・ミッチェルが面会を要求したが、キャリオンは聴取の要求に対して応答しなかった[2]。同月17日に「キャリアの終わりにステロイドを一度だけ使用する過ちを犯した」と使用歴を告白した[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 NYM 9 13 12 0 3 0 0 0 3 1 0 1 0 0 1 0 0 1 0 .250 .308 .250 .558
1988 7 11 9 5 5 2 0 1 10 1 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .556 .636 1.111 1.747
1989 68 146 133 20 41 6 0 6 65 16 2 3 0 0 12 0 1 17 1 .308 .370 .489 .859
1990 82 205 188 30 47 12 0 10 89 26 1 0 0 0 15 0 2 29 1 .250 .312 .473 .786
1991 106 270 254 18 66 6 0 4 84 21 2 1 1 1 12 2 2 26 13 .260 .297 .331 .628
1992 DET 101 364 336 34 78 11 1 10 121 41 3 1 1 4 22 2 1 57 12 .232 .278 .360 .638
1993 SF 78 169 150 22 49 9 1 7 81 33 1 0 0 5 13 2 1 16 8 .327 .373 .540 .913
1994 51 111 100 8 27 4 0 3 40 20 0 0 0 2 7 0 2 20 1 .270 .324 .400 .724
1995 117 426 396 53 119 24 0 17 194 65 0 1 0 3 23 1 4 37 7 .301 .343 .490 .833
1996 81 319 292 40 76 22 3 9 131 51 2 3 0 2 22 2 3 33 6 .260 .317 .449 .765
CLE 38 156 142 16 46 12 0 2 64 14 1 1 0 0 11 0 3 9 4 .324 .385 .451 .835
'96計 119 475 434 56 122 34 3 11 195 65 3 4 0 2 33 2 6 42 10 .281 .339 .449 .788
1997 ロッテ 129 547 481 51 134 19 1 14 197 77 11 3 0 8 53 5 5 60 17 .279 .351 .410 .761
1998 60 251 227 22 68 12 0 8 104 37 0 0 0 2 22 0 0 20 8 .300 .359 .458 .817
MLB:10年 738 2190 2012 246 557 108 5 69 882 289 12 11 2 17 140 9 19 246 53 .277 .327 .438 .766
NPB:2年 189 798 708 73 202 31 1 22 301 114 11 3 0 10 75 5 5 80 25 .285 .353 .425 .779

記録

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NPB

背番号

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  • 32 (1987年 - 1989年)
  • 45 (1990年 - 1991年、1993年 - 1996年途中、1997年[4] - 1998年)
  • 15 (1992年)
  • 46 (1996年途中 - 同年途中)
  • 4 (1996年途中 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=carreo001mar
  2. ^ Mitchell Report” (PDF) (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. SR163-164. 2013年10月28日閲覧。
  3. ^ Carreon regrets one-time usage of performance-enhancing drug” (英語). TucsonCitizen.com. 2013年10月28日閲覧。
  4. ^ キャンプ中、一旦背番号を7番に変更(同時に柳沼強は45番に変更)していたが、開幕直前に柳沼・キャリオン共元に戻していた。(当時の「週刊ベースボール」掲載の名鑑では45番で、その後日本スポーツ出版社から発売された名鑑では7番となっていた)

関連項目

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外部リンク

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