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マルサリーアの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルサリーアの戦い

マルサリーアの戦い、ウジェーヌ・デヴェリア英語版作。
戦争大同盟戦争
年月日1693年10月4日
場所サヴォイア公国マルサリーア
結果:フランスの勝利[1][2]
交戦勢力
フランス王国の旗 フランス王国 サヴォイア公国の旗 サヴォイア公国
スペイン スペイン王国
指導者・指揮官
フランス王国の旗 ニコラ・カティナ サヴォイア公国の旗 ヴィットーリオ・アメデーオ2世
戦力
35,000 30,000
損害
死傷者1,800 死傷者と捕虜10,000

マルサリーアの戦い(マルサリーアのたたかい、英語: Battle of Marsaglia)は大同盟戦争中の1693年10月4日サヴォイア公国マルサリーアで行われた戦闘。ニコラ・カティナ元帥率いるフランス軍がヴィットーリオ・アメデーオ2世率いるアウクスブルク同盟軍に勝利した。

カティナはフェネストレッレスーザから進軍、ヴィットーリオ・アメデーオ2世が包囲していた、テッセ伯爵の守るピネローロの救援に向かった。ヴィットーリオ・アメデーオ2世はマルサリーア村の北、オルバッサーノ近くに陣地を敷いた。

10月4日、ヴィットーリオ・アメデーオ2世は全軍を率いて正面から決戦に挑んだが、フランス軍の練度が遥かに上であり、カティナが軍の配置に細かいところまで気を配ったため、ネールウィンデンの戦いと比べられるほどのフランス軍の大勝に終わった。フランス軍の損害が1,800人だったのに対し、同盟軍は1万人ほどを失った。

マルサリーアの戦いは歩兵で構成された長い戦列による銃剣突撃が行われたはじめての戦闘の1つとなった。またオーストリア軍の脱走者で構成されたユサール連隊が西ヨーロッパではじめて行った戦闘でもあった。

脚注

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  1. ^ William Russell; William Jones (1857). pt.II. From the peace of Westphalia in 1648, to the peace of Paris, in 1763. Harper & Brothers. p. 277. https://books.google.com/books?id=BhuCAAAAMAAJ&pg=PA277 24 April 2013閲覧。 
  2. ^ George Bruce Malleson (9 December 2010). Prince Eugene of Savoy. Cambridge University Press. p. 42. ISBN 978-1-108-02403-7. https://books.google.com/books?id=W6v1jkYRNqwC&pg=PA42 24 April 2013閲覧。 

座標: 北緯44度27分00秒 東経7度58分00秒 / 北緯44.4500度 東経7.9667度 / 44.4500; 7.9667