マルゲリータ・ゴンザーガ (1591-1632)
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マルグリット・ド・ゴンザーグ Marguerite de Gonzague | |
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ロレーヌ公妃 | |
ロレーヌ公妃マルゲリータ、フランス・ポルビュス画 | |
別称号 | バル公妃 |
出生 |
1591年10月2日 マントヴァ公国、マントヴァ |
死去 |
1632年2月7日(40歳没) ロレーヌ公国、ナンシー |
配偶者 | ロレーヌ公アンリ2世 |
子女 |
ニコル クロード |
家名 | ゴンザーガ家 |
父親 | マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世 |
母親 | エレオノーラ・デ・メディチ |
マルゲリータ・ゴンザーガ(イタリア語: Margherita Gonzaga, 1591年10月2日 - 1632年2月7日)は、イタリアのマントヴァ公女で、ロレーヌ公アンリ2世の2番目の妻。フランス語名はマルグリット・ド・ゴンザーグ(Marguerite de Gonzague)。
生涯
[編集]マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世とその2番目の妻でトスカーナ大公フランチェスコ1世の娘であるエレオノーラの間の第4子、長女として生まれた[1]。母方の叔母マリーがフランス王アンリ4世の王妃だった関係で、ロレーヌ公アンリ2世との縁談が持ち込まれた。マルゲリータは1606年4月26日にナンシーにおいて、アンリ2世と結婚した。夫は1604年に最初の妻だったアンリ4世王の妹カトリーヌと死別しており、この結婚は再婚であった。
マルゲリータは夫から朝の贈り物としてノムニー侯爵領およびレトリクールの所領を与えられた。マルゲリータは娘を2人産んだが男子を授からなかったため、1624年に夫が死ぬと、パリ宮廷に赴いて、長女のニコルがロレーヌ公爵家の家督を女子継承できるように運動したが、結局は成功しなかった。ロレーヌに戻ると所領のノムニーで隠居生活を送った。
子女
[編集]脚注
[編集]- ^ Miroslav Marek (15 October 2003). “Margherita Gonzaga(Gonzaga3:D4)”. genealogy.euweb.. 2012年10月6日閲覧。