マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌ
Marie-Dorothée de Habsbourg-Lorraine
Marie-Dorothée-duchesse-d'Orleans.jpg
称号 オルレアン公
出生 (1867-06-14) 1867年6月14日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国、アルチュートドヴォズ
死去 (1932-04-06) 1932年4月6日(64歳没)
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国、アルチュートドヴォズ
埋葬  
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国ブダ城内納骨堂
配偶者 オルレアン公ルイ・フィリップ・ロベール
父親 オーストリア大公ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ
母親 クロティルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
テンプレートを表示

マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌフランス語: Marie-Dorothée Amélie de Habsbourg-Lorraine, ドイツ語: Maria Dorothea von Österreich, 1867年6月14日 - 1932年4月6日)は、フランスルイ・フィリップの曾孫オルレアン公フィリップの2度目の妻。

生涯[編集]

ハンガリー副王であったオーストリア大公ヨーゼフ・カールヨーゼフ・アントン大公の三男)とその妃クロティルデブルガリアフェルディナンド1世の姉)の次女として、ハンガリーのアルチュートドヴォズ(Alcsútdoboz)で生まれた。

1896年、ウィーンでフィリップと結婚。2人の間に子はなかった。また、夫婦仲は良くなく、結婚から数年で同居を解消した。1914年に離婚が成立すると、マリー=ドロテはハンガリーへ移り住んだ。1932年に没後、ブダ城内の納骨堂に埋葬された。