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マリオ・ドミンゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリオ・ドミンゲス
基本情報
国籍 メキシコの旗 メキシコ
生年月日 (1975-12-01) 1975年12月1日(49歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
メキシコシティ
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2008
出走回数 7
優勝回数 0
ポールポジション 0
シリーズ最高順位 27位 (2008)
過去参加シリーズ
2002-2007
1999-2001
1993, 1998
1996-1997
1994-1995
1992
CART/チャンプカー
インディ・ライツ
メキシコF3選手権
メキシコF3000選手権
メキシコF3・ニッサン・チャンピオンシップ
U.S. フォーミュラ・ラッセル・マツダ・チャンピオンシップ
選手権タイトル
1998
1992
メキシコF3選手権
U.S. フォーミュラ・ラッセル・マツダ・チャンピオンシップ
受賞
2002 CARTルーキー・オブ・ザ・イヤー

マリオ・ドミンゲス(Mario Domínguez、1975年12月1日 - )は、メキシコメキシコシティ出身のレーシングドライバー

経歴

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キャリア初期

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1987年にゴーカートでレースを開始。ゴーカート選手権で3回優勝し、スペイン(1989年)、イタリア(1990年)、フランス(1991年)の世界カート選手権でメキシコ代表に選出された。その後、メキシコで数々のディベロップメントシリーズに参戦し、1998年にメキシコ・フォーミュラ3選手権でチャンピオンを獲得し、1999年にインディ・ライツにフル参戦し、2000年にランキング8位、2001年にランキング4位を記録。2001年、地元モンテレイで開催される開幕戦で、ミレニアム・モータースポーツ・チームからチャンプカーデビューを飾る予定だったが、結局実現しなかった。

チャンプカー

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2002年にチャンプカーデビューを果たすと、第17戦ホンダ・インディ300で初優勝を挙げてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。ただし、雨の影響でレースは短縮され、セーフティカーの出動が主な原因であった。2003年には競争力が高まり、第16戦グランプリ・アメリカズ英語版で優勝し、2004年に過去最高となるランキング5位を記録した. ハーディズ・コンペティションでの活躍が認められ、2005年フォーサイス・レーシングと契約した。しかし、フォーサイスでは限られた成功しか収められることができず、2006年の第4戦ミルウォーキーでチームメイトのポール・トレーシーと接触し、フォーサイスを離脱。第5戦ポートランド英語版よりデイル・コイン・レーシングと契約。終盤3戦は、メキシコの国営石油会社ペメックスからスポンサーを獲得し、ロケットスポーツ・レーシング英語版から参戦した。チャンプカー参戦すると同時に、2005年にシルバーストンジョーダン・グランプリからF1テストをした。

2007年テルメックスからスポンサー獲得後、序盤3戦フォーサイスから参戦したが、わずか3戦でオリオール・セルビアに交代された。第8戦エドモントンで負傷したトリスタン・ゴメンディに代わってPKVレーシングから参戦するまで4戦欠場を余儀なくされた。第9戦サンノゼ英語版では、自転車事故で負傷したライアン・ダルジールに代わってパシフィック・コースト・モータースポーツ英語版と契約。ダルジールは2週間後の第10戦ロード・アメリカでレースに復帰できるほど回復し、再びサイドラインに戻った。しかし第11戦ベルギーでは、ミナルディチームUSAダン・クラーク英語版が練習走行中に多重接触事故を起こしで出場停止となったため、再び代役参戦した。

2008年インディ500英語版で練習走行をするドミンゲス。予選最後のアタック中にクラッシュした。

インディカー・シリーズ

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2008年ロングビーチでチャンプカー最終戦で3位に入った後、パシフィック・コースト・モータースポーツからインディカー・シリーズに参戦する事を発表した[1]インディ500英語版では予選落ちを喫したが、次戦のミルウォーキーでインディカーでのキャリアをスタートした。6月のテキサスで21位でフィニッシュして以来、チームは2戦欠場し、復帰時に競争力を高めるためにプログラムを再評価した。第11戦ワトキンズ・グレンよりロードコースのみのスケジュールで復帰し、ミッドオハイオエドモントンインフィニオンに参戦した。最高位はワトキンズ・グレンで記録した13位。112ポイントでランキング27位で終えた。

FIA GT選手権

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2009年、マリオはスポンサーなしでK・プラス・K・モータースポーツのドライバーに選ばれた。以前にもスポーツカーレースの経験があり、2006年にリシ・コンペティツィオーネ英語版アメリカン・ル・マン・シリーズ・チームで数戦参戦し、好成績を収めていた。

レース戦績

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アメリカン・オープン=ホイール・レーシング

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インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント Ref
1992年 ランドフォード・レーシング PHX LBH DET POR MIL NHA TOR CLE VAN MDO NAZ LS
17
NC 0 [2]
1998年 ハーディズ・コンペティション・チーム MIA LBH NAZ STL MIL DET POR CLE TOR MIS TRO VAN
14
LS
7
FON 25位 6 [3]
1999年 チーム・メキシコ・クエーカー・ハーディズ MIA
1
LBH
6
NAZ
17
MIL
16
POR
15
CLE
9
TOR
20
MIS
4
DET
17
CHI
5
LS
16
FON
5
11位 66 [4]
2000年 チーム・メキシコ・クエーカー・ハーディズ LBH
10
MIL
3
DET
5
POR
6
MIS
7
CHI
11
MDO
11
VAN
5
LS
10
STL
6
HOU
12
FON
16
8位 67 [5]
2001年 パックウェスト・ライツ MTY
4
LBH
4
TXS
6
MIL
2
POR
11
KAN
10
TOR
2
MDO
6
STL
2
ATL
4
LS
10
FON
5
4位 120 [6]

CART/チャンプカー

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チーム No. シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント Ref
2002年 ハーディス・コンペティション 16 ローラ・B02/00 フォード XF MTY
17
LBH
14
MOT
11
MIL
17
18位 37
55 LS
15
POR
10
CHI
11
TOR
18
CLE
17
VAN
10
MDO
16
ROA
8
MTL
17
DEN
14
ROC
13
MIA
11
SRF
1
FON
16
MXC
18
[7]
2003年 ハーディス・コンペティション ローラ・B02/00 フォードXFE STP
14
MTY
13
LBH
5
BRH
3
LAU
2
MIL
8
LS
10
POR
10
CLE
5
TOR
12
VAN
10
ROA
14
MDO
16
MTL
5
DEN
7
MIA
1
MXC
3
SRF
10
6位 118 [8]
2004年 ハーディス・コンペティション ローラ・B02/00 フォード XFE LBH
5
MTY
3
MIL
8
POR
17
CLE
8
TOR
17
VAN
6
ROA
5
DEN
4
MTL
3
LS
11
LVS
7
SRF
3
MXC
8
5位 244^ [9]
2005年 フォーサイス・レーシング 7 ローラ・B02/00 フォード XFE LBH
5
MTY
13
MIL
7
POR
4
CLE
17
TOR
13
EDM
5
SJO
5
DEN
2
MTL
10
LVS
4
SRF
18
MXC
12
9位 198 [10]
2006年 フォーサイス・レーシング ローラ・B02/00 フォード XFE LBH
4
HOU
3
MTY
6
MIL
14
9位 202 [11]
デイル・コイン・レーシング 19 POR
14
CLE
6
TOR
11
EDM
8
SJO
5
DEN
13
MTL
10
ロケットスポーツ・レーシング 8 ROA
12
SRF
2
MXC
17
2007年 フォーサイス・レーシング 7 パノス・DP01 コスワース XFE LVS
9
LBH
17
HOU
6
POR CLE MTT TOR 18位 78 [12]
KVレーシング・テクノロジー 22 EDM
17
パシフィック・コースト・モータースポーツ 28 SJO
12
ROA SRF
12
MXC
8
ミナルディチームUSA 4 ZOL
17
ASN

インディカー・シリーズ

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チーム シャシー No. エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント Ref
2008年 パシフィック・コースト・モータースポーツ パノス・DP01 96 コスワース XFE HMS STP MOT1
DNP
LBH1
3
KAN 27位 112 [13]
ダラーラ ホンダ INDY
DNQ
MIL
26
TXS
21
IOW RIR WGL
13
NSH MDO
19
EDM
24
KTY SNM
16
DET CHI SRF2

脚注

[編集]
  1. ^ Lewandowski, Dave (2008年4月24日). “PCM on board”. IndyCar.com. 2025年3月15日閲覧。
  2. ^ Mario Domínguez – 1992 Firestone / Dayton Indy Lights Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月26日閲覧。
  3. ^ Mario Domínguez – 1998 Firestone / Dayton Indy Lights Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月26日閲覧。
  4. ^ Mario Domínguez – 1999 Firestone / Dayton Indy Lights Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月26日閲覧。
  5. ^ Mario Domínguez – 2000 Firestone / Dayton Indy Lights Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月26日閲覧。
  6. ^ Mario Domínguez – 2001 Firestone / Dayton Indy Lights Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月26日閲覧。
  7. ^ Mario Domínguez – 2002 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  8. ^ Mario Domínguez – 2003 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  9. ^ Mario Domínguez – 2004 Champ Car World Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  10. ^ Mario Domínguez – 2005 Champ Car World Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  11. ^ Mario Domínguez – 2006 Champ Car World Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  12. ^ Mario Domínguez – 2007 Champ Car World Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月14日閲覧。
  13. ^ Mario Domínguez – 2008 IndyCar Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. 2023年8月1日閲覧。

外部リンク

[編集]
タイトル
先代
スコット・ディクソン
CARTルーキー・オブ・ザ・イヤー
2002年
次代
セバスチャン・ボーデ