マラビーヤ・ワシントン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マラビーヤ・ワシントン Tennis pictogram.svg
MaliVai Washington at the 2010 US Open 01.jpg
基本情報
ラテン文字名 MaliVai Washington
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク州
グレンコーブ
生年月日 (1969-06-20) 1969年6月20日(47歳)
身長 180cm
体重 79kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1989年
引退年 1999年
ツアー通算 4勝
シングルス 4勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 281勝228敗
シングルス 254勝184敗
ダブルス 27勝44敗
生涯獲得賞金 $3,239,865
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1994)
全仏 4回戦(1993)
全英 準優勝(1996)
全米 4回戦(1992)
4大大会最高成績・ダブルス
全米 2回戦(1991)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 11位(1992年10月26日)
ダブルス 172位(1992年4月20日)

マラビーヤ・ワシントンMaliVai Washington, 1969年6月20日 - )は、アメリカニューヨーク州グレンコーブ出身の元男子プロテニス選手。1996年ウィンブルドン男子シングルス準優勝者。黒人のテニス選手として活躍した。シングルス自己最高ランキングは11位。ATPツアーでシングルス通算4勝を挙げたが、準優勝が1996年ウィンブルドンを含めて9度あった。身長180cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。マラビーヤは4人兄弟の2番目の子供として生まれ、女子プロテニスツアーで活躍するマショーナ・ワシントン英語版は末の妹である。

選手経歴[編集]

ワシントンは6歳の時、1975年ウィンブルドン男子シングルス決勝戦で、黒人テニス選手のアーサー・アッシュジミー・コナーズを破って優勝した試合をテレビで見たことがきっかけでテニスを始めた。1989年に20歳でプロ入りし、同年の全米オープン4大大会にデビューする。1992年2月、ワシントンはアメリカテネシー州メンフィス大会でツアー初優勝を果たす。この年は男子ツアー大会の決勝戦に6度進出し、2つの優勝と4つの準優勝を記録した。

1993年、ワシントンは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのアメリカ代表選手に初選出された。黒人選手のデ杯米国代表入りは、アッシュ以来2人目であった。1994年全豪オープンで、ワシントンは1回戦で第2シードのミヒャエル・シュティヒを破って波に乗り、一気にトッド・マーティンとの準々決勝まで進出した。この年はチェコオストラヴァ大会でツアー3勝目を挙げている。

マラビーヤ・ワシントンのテニス経歴最大のハイライトは、1996年ウィンブルドン決勝進出だった。準決勝でトッド・マーティンと対戦した時、試合は度重なる雨の中断により、2セット・オール(2-2)で最終第5セットが日没順延となる。翌日に持ち越された第5セットで、マーティンが優位に試合を進め、一時は 5-1 までリードを奪い、マッチ・ポイント(このポイントを取れば試合の勝利が決まる)を何本か握ったが、ワシントンはマーティンの土壇場での勝負弱さを見逃さず、10-8 で逆転勝利を収めた。こうしてワシントンは、21年前に憧れたアッシュ以来となる黒人男子テニス選手としてのウィンブルドン優勝者を目指して決勝戦に向かう。オランダリカルト・クライチェクとの決戦は、ウィンブルドン史上初のノーシード同士の決勝となった。ワシントンはクライチェクに 3-6, 4-6, 3-6 のストレートで完敗し、アッシュ以来の黒人優勝者は果たせなかった。ウィンブルドン準優勝の後、ワシントンはアトランタ五輪にも出場し、男子シングルスでスペイン代表のセルジ・ブルゲラとの準々決勝まで進出した。

1997年2月、デビスカップの「ワールドグループ」1回戦でアメリカはブラジル・チームを4勝1敗で下したが、シングルス第1試合に出場したワシントンは、グスタボ・クエルテンとの対戦中に左膝の故障を起こした。クエルテンとの試合には勝ったが、この故障が尾を引き、ワシントンは同年4月からシーズンの残りを棒に振った。1998年全米オープンの1回戦敗退が、ワシントンの最後の4大大会出場になる。その後も体調は回復せず、ワシントンは1999年12月3日に30歳で現役引退を発表した。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]