マヘリア・ジャクソン

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マヘリア・ジャクソン
Mahalia Jackson 1962, van Vechten, LC-USZ62-91314.jpg
マヘリア・ジャクソン
 1962年4月16日
 カール・ヴァン・ヴェクテン撮影
基本情報
出生名 マヘリア・ジャクソン
別名 『ゴスペル・ミュージックの名誉』
生誕 1911年10月26日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1972-01-27) 1972年1月27日(60歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
ジャンル ゴスペル黒人霊歌、クリスチャン・ミュージック
職業 歌手
活動期間 1937年 - 1971年

マヘリア・ジャクソンMahalia Jackson, 1911年10月26日 - 1972年1月27日)は、アフリカ系アメリカ人女性ゴスペル歌手。世界で最も影響力のあるゴスペル歌手の一人として「ゴスペルの女王」[1][2]と呼ばれ、またキング牧師らと共に、その歌と活動でもって当時の公民権活動に貢献した。ハリー・ベラフォンテはジャクソンを「米国で最も強力な黒人女性」として称賛した[3]。ジャクソンは主にコロンビア・レコードから約30枚のアルバムをリリースし、数々のミリオンセラーを記録した。

概要[編集]

ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ、市内アップタウンの黒人が多く住むBlack Pearlと呼ばれる地区で育ちながら、バプティスト教会で唄い始める。1927年シカゴへ移り、ゴスペルグループであるジョンソン・ブラザーズのメンバーとしてプロの音楽活動を開始する。

1937年にソロとして初のレコーディング(「God's Gonna Separate the Wheat from the Tares」)を行うが売上は芳しくなかった。しかしこのレコーディングを切掛けに、音楽関係者たちから実力を認められるようになり、有名なコンサートへ出演する機運に恵まれる。

その後はコンサート活動に専念、暫くレコーディング活動から離れるが、1946年にアポロ・レコードと契約[4]。アポロで録音した何曲かのゴスペル作品によって、次第に広く一般にも知られるようになっていった。もっともレコードの売上自体はまだまだ不調続きであったが、実力に伴う知名度は上がっていった。

1948年の「Move on up a Little Higher」によって、ようやく商業的にも成功を収める。レコードの急激な売上上昇に追いつかず、レコードショップは在庫を常に切らした状態であったという。マヘリアはアメリカ国内のみならず、ヨーロッパでも有名になり、「I Can Put My Trust in Jesus」によってフランス・アカデミーから賞を受けた。その後CBSラジオで自身の番組を持ち、1954年にはコロムビア・レコードに移籍した。

マヘリアの歌と公民権運動の活動は、保守層の一部から批判を受けることもあったが、彼女は、独立した黒人女性アーティストとして自らの意思をもって活動した。ルイ・アームストロングらにジャズ業界に誘われることもあったが、彼女は一貫してゴスペルと黒人霊歌を歌うことを選んだ[5]

マヘリアは常に公民権運動に積極的に関わり、まさに公民権運動の時代の歌声となった。セルマ行進、ワシントン行進、そしてキング牧師の葬儀でも歌った。キング牧師の朋友であり、公民権運動家のジェシー・ジャクソンは、キング牧師が彼女に声をかければ、彼女は決して断ることなく、人種差別の最も厳しい深南部の地域にすら共にまわったと回想している[5]

オランダのアムステルダムでのコンサート会場で歌うマヘリア・ジャクソン (1961年4月)

1956年、全米バプテスト集会で出会ったラルフ・アナバシーやキング牧師らに、アラバマ州モントゴメリーのバスボイコットを応援し寄付を集めるためのコンサートの話を持ちかけられたマヘリヤは、その年の12月6日にコンサートを開き大成功をおさめた[6]

後期[編集]

60年代になってもマヘリアはなお旺盛に音楽活動を行い、ニューポート・ジャズ・フェスティバルケネディ大統領の就任式でも演奏した。

1971年に来日、渋谷公会堂で公演した。(観客のひとりにデビュー間もない頃の浅川マキが居り、当時のことを克明に記憶していた。その出来事は浅川マキのエッセイやインタビューなどで度々話題となった。[7][8]また、観客の中にはデビュー前の吉田美奈子も居た。)マヘリアは、1971年ドイツ公演を最後に音楽活動から引退した。

1972年1月27日糖尿病に因る心臓麻痺心不全)のため、イリノイ州シカゴで没。 60歳だった。墓所は、故郷ニューオーリンズに隣接したルイジアナ州メテリーのプロヴィデンス共同墓地にある。死後、マヘリアはゴスペル・ミュージック協会から「ゴスペル・ミュージックの名誉」との称号を与えられた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ PBS - American Roots Music : The Songs and the Artists - Mahalia Jackson”. www.pbs.org. 2020年11月16日閲覧。
  2. ^ Editors, History com. “Mahalia Jackson, the Queen of Gospel, puts her stamp on the March on Washington” (英語). HISTORY. 2020年11月16日閲覧。
  3. ^ “Mahalia Jackson, Gospel Singer And a Civil Rights Symbol, Dies (Published 1972)” (英語). The New York Times. (1972年1月28日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1972/01/28/archives/mahalia-jackson-gospel-singer-and-a-civil-rights-symbol-dies.html 2020年11月16日閲覧。 
  4. ^ http://www.allmusic.com/.../how-i-got-over-the-apollo-record...
  5. ^ a b Mahalia Jackson: Voice Of The Civil Rights Movement” (英語). NPR.org. 2020年11月7日閲覧。
  6. ^ University, © Stanford (2017年5月12日). “Jackson, Mahalia” (英語). The Martin Luther King, Jr., Research and Education Institute. 2020年11月7日閲覧。
  7. ^ 『こんな風に過ぎて行くのなら』 / 著:浅川マキ 2003年7月15日 石風社 ISBN 4883440982
  8. ^ 『きれいな歌に会いにゆく』 / 著:長谷川博一 1993年11月21日 大栄出版 ISBN 4886825621