マニング・キンメル

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マニング・マリウス・キンメル
外国語 Manning Marius Kimmel
生誕 1913年4月22日
ワシントンD.C.
死没 1944年7月
パラワン島付近
所属組織 アメリカ海軍
最終階級 少佐
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マニング・マリウス・キンメル (Manning Marius Kimmel, 1913年4月22日 - 1944年7月26日?) はアメリカ海軍軍人太平洋艦隊司令長官を務めたハズバンド・キンメル長男である[1]

ワシントンD.C.生まれ。1935年海軍兵学校卒。少佐となり潜水艦ロバロー (USS Robalo, SS-273) 艦長を務めていたが、同艦は7月2日夜、パラワン島バラバク島沖で日本海軍の攻撃に合い(触雷沈没とも言われている)、ロバロ―は沈没[2]。キンメル艦長は行方不明となった(戦死認定)[3]

脚注[編集]

  1. ^ #パラワン憲高第56号pp.4-5『キンメール少佐ハ大東亜戰勃発當時米海軍太平洋艦隊司令長官キンメル大将ノ子ナリト』
  2. ^ #パラワン憲高第51号p.9『(2)七月二日二〇.〇〇頃大型敵潜水艦一隻(一八〇〇噸)ハ「パラワン」州「バラバック」島東方海上約三〇哩地點ニ於テ浮上航行中電池爆發沈没セリ 然シテ艦長少佐エム・エム・キンメル以下乗組員七三命中米國海軍少尉サミュエル・ロバードタッカー以下四名ハ漂流中七月七日「バラバツク」島ニ漂着彷徨中ヲ七月八日所在パラワン地區防備隊及海軍警備隊ニ依テ逮捕セラレタリ』
  3. ^ #パラワン憲高第55号p.14『尚前記ノ者ノ潜水艦爆沈當時目撃セル状況ニ依レバ漂流シアリタル艦長キンメール少佐以下六命中二名ノ者ハ漂流中溺死セルヲ目撃セルモ其ノ他ノ者ハ途中見失ヒ不明トナリタリ又當時艦内勤務ニ從軍シアリタルモノハ全員潜水艦ト共ニ沈没セリト』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『パラワン憲高第51号 憲兵月報(自6月25日至7月28日)』。Ref.C14061193700。
    • 『パラワン憲高第55号 米潜水艦捕虜の取調状況 昭和19年8月18日』。Ref.C14061194200。
    • 『パラワン憲高第56号 情報 昭和19年8月8日』。Ref.C14061194400。

外部リンク[編集]