マドンナ (歌手)

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マドンナ
2023年、ロンドンO2アリーナにて
基本情報
出生名 マドンナ・ルイーズ・チッコーネ[1]
生誕 (1958-08-16) 1958年8月16日(65歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシガン州ベイシティ
学歴 ミシガン大学中退
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1979年 -
レーベル
共同作業者 ブレックファスト・クラブ英語版
公式サイト マドンナ公式サイト

マドンナ・ルイーズ・チッコーネ英語: Madonna Louise Ciccone1958年8月16日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター女優ミシガン州ベイシティ出身。世界で最も成功を収めた女性音楽家であり、史上最も売れたアーティストの一人。「クイーン・オブ・ポップ」と称される。堅信名はヴェロニカ英語: Veronica[3]

略歴[編集]

1980年代前半にニューヨークの盛り場からデビューを果たし、ミュージック・ビデオという新たな表現方法を存分に取り入れた革新的なダンス音楽と、過激で性的な写象で国内外で爆発的な人気を獲得した。その後は時代に合わせて自身のスタイルを次々と変化させてゆき、現在に至るまでポップ・ミュージック界の重鎮として存在感を示している。後年の活動は音楽に留まらず、音楽出版会社の設立や、映画や舞台への出演、児童書の執筆や映画監督なども行っている。

作品の売上枚数は2億7000万[4]から3億枚以上[5][6]とされ、『ギネス世界記録』において「全世界で最も売れた女性レコーディング・アーティスト」そして「史上最も成功した女性アーティスト」として認定されている[7] [8]。米国タイム誌の「過去1世紀で最も影響力を持つ25人の女性」に選出[9]。また、VH1「音楽界で最も偉大な女性アーティスト」で第1位 [10]ローリング・ストーン誌「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第36位[11]ビルボード誌「チャート史上最も成功したトップ100のアーティスト」で第2位[12]を獲得。2008年にはロックの殿堂入りを果たしている。VMAで20の賞を受賞している[13]

代表曲に「ホリデイ」「ラッキー・スター」「ボーダーライン」「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」「クレイジー・フォー・ユー」「イントゥ・ザ・グルーヴ」「パパ・ドント・プリーチ」「オープン・ユア・ハート」「ラ・イスラ・ボニータ」「ライク・ア・プレイヤー」「エクスプレス・ユアセルフ」「ヴォーグ」「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」「エロティカ」「テイク・ア・バウ」「フローズン」「レイ・オブ・ライト」「MUSIC」「ドント・テル・ミー」「ダイ・アナザー・デイ」「アメリカン・ライフ」「ハング・アップ」など多数のヒット曲を持つ。

生い立ち[編集]

1958年[14]8月16日、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティのマーシー病院にて、8人兄妹の3番目として誕生。

父はイタリア系アメリカ人1世のシルビオ・チッコーネ(1931〜)、母はフランス系カナダ人のマドンナ・ルイーズ・チッコーネ(1933〜63)。幼少期を同州ポンティアック市で過ごした後、家族が増えたことにより同州ローチェスターヒルズ市へ転居した。

父は、ゼネラルモーターズのデザインエンジニア。実母は、マドンナが5歳の時乳癌で死去し、父はほどなく再婚した。母の死や、父および継母との確執は彼女の心に大きな影響を及ぼし、「プロミス・トゥ・トライ」「オー・ファーザー」などの楽曲で歌われている。一方で弟や妹の面倒もよく見ていた。習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親にバレエを習いたいと懇願し、変えてもらった。その後、モダンダンスやジャズダンスなどのダンスも習っている。

ミシガン大学に進学したが中退し、1978年、35ドルを持ってグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手にこの街で一番大きな場所へ行ってと言い、タイムズスクエアで降りたマドンナは「私はこの世界で神よりも有名になる」(神様と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)と誓った。無名時代には生活のためにヌード・モデルを引き受けたりもしている。なお、ベジタリアンとなったのは、ニューヨーク移住後である。

同年、ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。81年にソロとなり、ポップ・スターを目指すようになった[14]。83年から84年にかけては、黒人ミュージシャンのレジー・ルーカス[15]の制作によるファースト・アルバムから「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキー・スター」が連続ヒットとなった。ファーストは、ソウル、ダンスのファンからも評価された。セカンド・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』からもヒットが出たが、セカンド以降はポップス・ファンによる人気に支えられたスターになり、21世紀にいたっている。

2回の結婚歴と離婚歴があり、最初の結婚相手は俳優のショーン・ペンで、その後の再婚相手は映画監督のガイ・リッチー。マドンナはカバラ教徒だったが、ガイ・リッチーはクリスチャンであり、離婚時にはガイ・リッチーに、マドンナ側が推定7600万〜9200万ドル(約60億〜72億円)を支払っている[16]1996年10月14日に生まれた長女は「ルルド(英語読みでローデス)・マリア」と命名された。21世紀には、コンサートの高額な入場料も話題になった。

歌手活動の経歴[編集]

人物[編集]

世界的に有名なポップ・スターであるマドンナは、たびたびマス・メディアに取り上げられている。2018年にも、マンハッタンの判事から、ニューヨークの近隣住民に対するハラスメントをやめるよう命令されたり、元モデルのアマンダからセクシャル・ハラスメントで非難されるなどの報道があった[17]

2006年の「コンフェッションズ・ツアー」の中で、マドンナは高さ6メートルの巨大十字架に自ら磔(はりつけ)となり1986年の大ヒット曲「リヴ・トゥ・テル」を歌う演出が世界中の宗教団体から非難を浴びた。ヨーロッパ・ツアーの一環としてイタリア・ローマ公演の際、公演前からカトリック教会やイスラム教やユダヤ教指導者からの非難の声が続出。「無礼で悪趣味、かつ挑発的」、「神への冒涜に近い」とカトリック聖職者らは非難。更には、「国に帰ったほうがいい」とイスラム教やユダヤ教の指導者からも非難の声が出た。そんな中、8月6日のローマ公演での十字架パフォーマンスが非難を浴びる中で実施された。マドンナは、ローマ教皇ベネディクト16世を招待し、怒りを刺激。カトリック教会の中心地であるバチカン市国からわずか1.6キロ離れたスタディオ・オリンピコに来た約7万人の観客は十字架に磔になったマドンナを見ることができた。

慈善活動[編集]

2009年4月、デイリー・メール紙の電子版によると、イタリア中部で起きた地震の被災者に50万ドル(日本円で約5,000万円)を寄付した。マドンナの父はイタリア系で地震が直撃したアブルッツォ地方の出身であり、インタビューで「わたしの祖先の街に喜んで援助の手を差し伸べるわ」と語っている[18]

2009年11月、ブラジルに滞在中にリッチなビジネスマンや政治家と会っていたマドンナが、ブラジルで総資産額75億ドル(約6,750億円)で最もリッチな男と言われているエイク・バチスタから700万ドル(約6億3000万円)を寄付してもらうことになり、ブラジルに新しい子ども用のチャリティーを創設することになったという。年下の恋人ジェズスの両親に会いにいくための旅行とも報じられていたが、「今回のブラジル行きは資金集めと人道支援以外の目的はありません」とマドンナはコメントしている[19]

2010年1月、デイリー・ビーストのホームページが「2009年度に最も寄付金を集めたアーティスト」のランキングを発表し、マドンナはレイジング・マラウイ基金のために550万1,835ドル(約5億円)を集めて2位にランクインした[20]

資産[編集]

Tribeca Film Festivalにて(2008年4月)

2008年1月、米経済誌フォーブス誌電子版が「2007年6月まで1年間で最も収入の多かった女性シンガー」のランキングを発表し、収入が7200万ドル (日本円で約76億円) で1位にランクインした[21]

2009年4月、フォーブス誌は2008年度の「働き者のママ」のランキングを発表し、マドンナは2008年の推定収入が1億1,000万ドル(日本円で約110億円)で1位にランクインした。この収入はアルバム「ハードキャンディ」の売り上げとコンサートツアー、広告出演料などによるものである[22][23]

2009年10月、サン紙によると23歳のボーイフレンドのジェズス・ルスに不動産を買い与えるため物件を探しているという。不動産の条件は、ニューヨークのマドンナの豪邸から徒歩でいけることと、予算の170万ポンド(日本円で約2億5000万円)以内の物件であることらしく全額をマドンナが負担する[24]

2009年11月、カートゥーン・ネットワークが「未来のイギリスのトップセレブ」のランキングを発表し、マドンナとガイ・リッチーの息子のロッコ・リッチーがスター性、推定相続額、才能、カメラ好き度の4つのカテゴリーすべてで満点を獲得し、1位にランクインした。このランキングはセレブの子どもたちの20年後の総資産額を推定して作られたものでロッコが30歳になったときの総資産額は推定3億7600万ポンド(約560億円)になる。セレブ専門家のマーク・フリスは「ロッコは母親から巨額を相続し、父親からもかなりの額を相続します。しかし、彼が1位に輝いたのは他の3つのカテゴリーでのランキングによるものです」と語っている[25]

2009年12月、BANG Media Internationalによると、ニューヨーク州のハンプトン近郊に広さ30エーカー(約36000坪)のワイルド・オーシャン・ファーム・ランチという馬の牧場をカルバン・クラインの元妻ケリーから600万ポンド (日本円で約8億3000万円) で購入した。ワイルド・オーシャン・ファームは現在、品評会用の馬を訓練するために使われており、今後も馬用施設として営業することを条件にマドンナは購入を許された。ある関係者は「彼女は牧場が自分のものになったことを大喜びしています」と語っている[26]

2010年12月、経済誌フォーブス誌が「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」を発表し、5,800万ドル(日本円で約47億5,600万円)を稼いで15位にランクインした[27]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  1. バーニング・アップ』 - Madonna1983年
  2. ライク・ア・ヴァージン』 - Like a Virgin1984年
  3. トゥルー・ブルー』 - True Blue1986年
  4. ライク・ア・プレイヤー』 - Like a Prayer1989年
  5. エロティカ』 - Erotica1992年
  6. ベッドタイム・ストーリーズ』 - Bedtime Stories1994年
  7. レイ・オブ・ライト』 - Ray of Light1998年
  8. ミュージック』 - Music2000年
  9. アメリカン・ライフ』 - American Life2003年
  10. コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』 - Confessions on a Dance Floor2005年
  11. ハード・キャンディー』 - Hard Candy2008年
  12. MDNA』 - MDNA2012年
  13. レベル・ハート』 - Rebel Heart2015年
  14. マダムX』 - Madame X2019年

ライブ[編集]

マドンナは、アルバム発売後にワールド・ツアーを行なうことがほとんどで、2001年の「ドラウンド・ワールド・ツアー」は、1993年の「ザ・ガーリー・ショウ・ツアー」から8年後に行われた。1994年にリリースされたアルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』の後にもツアーが予定されていたが、映画『エビータ』の主演が決定したために中止されたという。2004年の「リ・インヴェンション・ツアー」では、10枚目のアルバム『アメリカン・ライフ』からの楽曲のほかに、過去の楽曲も組み込まれた。

毎回、巨大セットにも注目が集まる。代表的なものとしては、1990年の「ブロンド・アンビション・ツアー」のオープニングで登場した工場をモデルにしたセット、2006年の「コンフェッションズ・ツアー」での2億円をかけたミラーボールと高さ6メートルの十字架などがある。

ツアー日程[編集]

  • 1985年「ザ・ヴァージン・ツアー」(4月10日~6月11日 全40公演)
    • (アメリカ/カナダ)
  • 1987年「フーズ・ザット・ガール・ツアー」(6月14日~9月6日 全41公演)
    • (日本/アメリカ/カナダ/イギリス/ドイツ/オランダ/フランス/イタリア)
    • 日本では同じ年にツアーを行ったマイケル・ジャクソンと合わせ「M・M旋風」と呼ばれた。
  • 1990年「ブロンド・アンビション・ツアー」(4月13日~8月5日 全57公演)
    • (日本/アメリカ/カナダ/スウェーデン/フランス/イタリア/ドイツ/イギリス/オランダ/スペイン)
  • 1993年「ザ・ガーリー・ショウ・ツアー」(9月25日~12月19日 全39公演)
    • (イギリス/フランス/イスラエル/トルコ/カナダ/アメリカ/プエルトリコ/アルゼンチン/ブラジル/メキシコ/オーストラリア/日本)
  • 2001年「ドラウンド・ワールド・ツアー」(6月9日~9月15日 全47公演)
    • (スペイン/イタリア/ドイツ/フランス/イギリス/アメリカ)
  • 2004年「リ・インヴェンション・ツアー」(5月24日~9月14日 全56公演)
    • (アメリカ/カナダ/イギリス/アイルランド/フランス/オランダ/ポルトガル)
  • 2006年「コンフェッションズ・ツアー」(5月21日~9月21日 全60公演)
    • (アメリカ/カナダ/イギリス/イタリア/ドイツ/デンマーク/フランス/オランダ/チェコ/ロシア/日本)
  • 2008~2009年「スティッキー&スウィート・ツアー
  • 2012年「MDNAツアー」(5月31日~12月22日 全88公演)
  • 2015~2016年「レベル・ハート・ツアー」(2015年9月9日~2016年3月27日 全81公演)
  • 2019~2020年「マダムXツアー」(2019年9月17日~2020年3月8日 全75公演)
  • 2023〜2024年「ザ・セレブレーション・ツアー」(2023年10月14日〜2024年4月 全78公演予定)

日本公演[編集]

チャリティ・ライヴへの出演[編集]

1985年「ライヴ・エイド」[編集]

マドンナは、アメリカのフィラデルフィアにあるJFKスタジアムからの出演となった。「ラブ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」はこのライヴ・エイドのために制作された楽曲で、後に3rdアルバム『トゥルー・ブルー』に収録された。

2005年「ツナミ・エイド:ア・コンサート・オブ・ホープ」[編集]

  • イマジン

2004年12月下旬にスマトラ島沖地震により発生した津波で被害を受けた被災地を救うために放送された番組にマドンナはロンドンのスタジオから出演。前年に行なった自身のツアーでも披露した「イマジン」を歌唱。

2005年「ライヴ8」[編集]

最大のチャリティ・ライヴ。マドンナはロンドンのハイド・パークから出演。聖歌隊やダンサーを従え、自身の代表曲を歌唱した。「Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー」では飢餓によって危険な状態だったとこから奇跡的に助かった女の子が登場し、マドンナと手をつないで歌った。

2007年「ライヴ・アース」[編集]

地球温暖化の問題を訴えかけるために開催された「ライヴ・アース」にマドンナはロンドンのウェンブリー・スタジアムから出演。「ヘイ・ユー」は、このライヴのために制作されたチャリティソングで、ダウンロードのみでの公開となった。「ラ・イスラ・ボニータ」ではニューヨークのバンド、ユージン・ハッツとのコラボが実現。「レラ・パラ・トゥーテ」という曲をミックスさせたアレンジで披露した。

2010年「ホープ・フォー・ハイチ・ナウ」[編集]

  • ライク・ア・プレイヤー

ハイチ大地震の救済のために放送されたチャリティ番組で、マドンナは聖歌隊をバックにアコースティックヴァージョンを披露した。

使用機材[編集]

ギター[編集]

ドイツ・ベルリン公演 (2015年11月)

『ドラウンド・ワールド・ツアー』から、マドンナはダンスのほかにギターを使用したステージも披露している。

★エレクトリック・ギター

  • バーニング・アップ(リ・インヴェンション・ツアー、レベル・ハート・ツアー)
  • レイ・オブ・ライト(コンフェッションズ・ツアースティッキー&スウィート・ツアー
  • キャンディ・パフューム・ガール(ドラウンド・ワールド・ツアー)
  • マテリアル・ガール(リ・インヴェンション・ツアー)
  • アイ・ラヴ・ニューヨーク(コンフェッションズ・ツアー)
  • ヒューマン・ネイチャー(スティッキー&スウィート・ツアー)
  • ボーダーライン(スティッキー&スウィート・ツアー)
  • ハング・アップ(スティッキー&スウィート・ツアー)
  • アイ・ドント・ギヴ・ア (MDNAツアー)
  • ターン・アップ・ザ・ラジオ(MDNAツアー)
  • アイム・ア・シナー(MDNAツアー)
フランス・パリ公演 (2015年12月)

★アコースティック・ギター

  • アイ・ディザーブ・イット(ドラウンド・ワールド・ツアー)
  • シークレット(ドラウンド・ワールド・ツアー)
  • ラ・イスラ・ボニータ(ドラウンド・ワールド・ツアー)
  • ナッシング・フェイルズ(リ・インヴェンション・ツアー)
  • マザー・アンド・ファザー(リ・インヴェンション・ツアー)
  • パラダイス (ノット・フォー・ミー)(コンフェッションズ・ツアー)
  • マイルズ・アウェイ(スティッキー&スウィート・ツアー)
  • レベル・ハート(レベル・ハート・ツアー)

共演[編集]

2001年『ドラウンド・ワールド・ツアー』を機に、大型スクリーンが使用されており、マドンナはゲストと豪華競演を果たしている。

デュエット[編集]

  • ジャスティン・ティンバーレイク
    2008年に発表されたアルバム『ハード・キャンディ』からの1枚目のシングルである「フォー・ミニッツ(4 minutes)」で、同曲のPVでも共演を果たしている。なお、この曲のPVには日本のダンスユニット・はむつんサーブが出演している。詳細は「フォー・ミニッツ」の項目を参照。

ミュージック・ビデオ[編集]

映画[編集]

映画解説[編集]

以上がマドンナが出演、または監督してきた映画である。最悪の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞 (ラジー賞) の常連でもある。最悪主演女優賞は 『上海サプライズ』 『フーズ・ザット・ガール』 『BODY/ボディ』 『2番目に幸せなこと』 『スウェプト・アウェイ』 の5回(『スウェプト・アウェイ』 は最悪スクリーンカップル賞も)、これに最悪助演女優賞の 『フォー・ルームス』 『007 ダイ・アナザー・デイ』、2000年の特別賞としての20世紀最悪主演女優賞とあわせて9回の受賞歴がある。その一方で、歌唱力を生かした『エビータ』のエバ・ペロン役ではゴールデングローブ賞の女優賞を獲得するなど、真っ当な評価を受けた。

初監督作品『ワンダーラスト』はロンドンを舞台とする群像劇で、2008年に制作・公開され、日本では2009年1月に公開された。監督第2弾作品『W.E.』は全米で2012年2月(イギリス2012年1月)、日本では2012年11月に『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』の邦題で公開された。

書籍[編集]

1992年に発売されたヌード写真集。ヘアは無修正。

  • 『マドンナ語録』(ブルース・インターアクションズ、2006年)

絵本[編集]

  • 『イングリッシュ ローズィズ』(2003年、日本語訳:江國香織、イラスト:ジェフリー・フルビマーリホーム社集英社
  • 『ピーボディ先生のりんご』(2004年、日本語訳:村山由佳)ホーム社・集英社
  • 『ヤコブと七人の悪党』(2004年、日本語訳:角田光代、イラスト:ガナディ・スピリン) ホーム社・集英社
  • 『アブディーの冒険物語』(2005年、日本語訳:小沢征良)ホーム社・集英社
  • 『オカネ・モッチャが見つけたしあわせ』(2005年、日本語訳:井上荒野、イラスト:ルイ・パイシュ)ホーム社・集英社
  • 『イングリッシュ・ローズィズ2』(2007年、日本語訳:江國香織、イラスト:ステイシー・ピーターソン)ホーム社・集英社

その他[編集]

2005年8月16日、イギリス・ロンドン郊外に所有する18億円の邸宅の庭で、47歳の誕生日プレゼントとして、当時の夫、ガイ・リッチーから贈られた馬に試し乗りをしていたところ落馬をし、全治3ヶ月の大怪我を負った。診断の結果、肋骨3本にひびが入り、鎖骨と手を骨折していたことが判明。すぐに病院に搬送されたが入院はせず、その日に治療を済ませて帰宅したという。医師は「マドンナさんは日ごろからヨガで鍛錬しているため、回復も早いだろう」と語っていた。マドンナは骨折をしているにもかかわらず、事故の3日後にはロンドン市内のカバラ・センターから出てくるのを目撃されたり、携帯メーカーのモトローラのCMの撮影も済ませるなど、超人並みなところを見せている。アルバム『Confessions On A Dance Floor』のプロモーションにも支障は出なく、全世界でのメディアはマドンナの驚異的な回復に驚いた。因みに、病院で撮影されたレントゲン写真8枚は、2006年「Confessions Tour」で「ライク・ア・ヴァージン」を歌っている際に、演出としてスクリーンに映し出された[30]

同じ1958年生まれとして、プリンスマイケル・ジャクソンがいる。

2009年12月、英デイリー・ミラー紙によると、ルイ・ヴィトンの2009年春夏コレクションに続き、秋冬コレクションの広告モデルを務めたマドンナは契約を更新されず、ルイ・ヴィトンは若いモデルを使うことを発表した。ルイ・ヴィトンがマドンナに支払った広告用のギャラは985万ドル (日本円で約8億8650万円) と言われている。ルイ・ヴィトンがマドンナの契約を更新しなかったのはモデルを若くするだけでなく、不景気を乗り切る作戦でもあるといわれている[31]

2011年2月、Closerマガジンによると、恋人のブラヒム・ザイバットとベルリンにあるソーホーホテルに宿泊した際に1万5,000ユーロ (日本円で約165万円) を支払って、部屋の改装を要求したという。ホテルの関係者の話ではマドンナは「誰かが以前に使用した部屋には泊りたくない!」というのが持論らしく、新しいベッド、新しい照明器具、壁の塗り替えなど部屋の大改装を事前に要求していたという[32]

マドンナの初来日を伝えるサンケイスポーツ1984年12月17日付けには「(原文ママ)"ポップス界のマリリン・モンロー"の異名をとる米の美人歌手、マドンナが(1985年)1月20日、プロモーションのために初来日する。マドンナはデトロイト生まれの24歳。身長164cm、体重48kg。上から85–60–85というプロポーションの持ち主。昨年のデビューアルバムは全米で300万枚も売れて一躍スターの仲間入り。その上ゴシップにもコトかかず、ニューヨークNO.1の音楽技師をはじめ、デュラン・デュランサイモン・ル・ボンヴァン・ヘイレンデイヴィッド・リー・ロスら世界的な人気ロックスターと浮名を流してきた。現在の恋人はバスケットシューズでおなじみ、コンバースの御曹司でギタリストのビリー・スクワイアとか。コケティッシュでセクシーなマドンナは自ら『マドンナの名にふさわしい生き方をしたいわ。シュービジネス史上でモンローのように人々の記憶に残る人間になりたい』と"ニュー・モンロー"宣言」などと書かれている[33]。また「ライク・ア・ヴァージン」の日本語カバー版が、吹田明日香の歌唱で1984年12月21日にリリースされたが、発売元のワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)が同年12月16日に六本木ディスコ「ピジャマ」で「ミス・ライク・ア・ヴァージン・コンテスト」という宣伝イベントを開催。「ライク・ア・ヴァージン」いう言葉がアメリカでは"イイオンナ"の代名詞になっていると説明し、「ライク・ア・ヴァージン」いう言葉の浸透を目指して、全国各地でコンテストを行うと発表した。この日のコンテストでは、ミニスカート太モモ風船をはさんでジャンプ一番パンクさせたり、バナナをくわえてお色気たっぷりにディスコダンスを踊る者がいたり、意味不明のイベントだった[33]

来日ツアーの際に、名古屋でコンサートを行わなかった(いわゆる名古屋飛ばし)大物ミュージシャンの事例で、しばしば彼女が引き合いに出される。

2020年4月30日、世界的に2019新型コロナウイルスの感染が広がる中、インスタグラム動画を投稿。ウイルスの感染歴を調べる抗体検査の結果が陽性だったと明らかにした[34]

受賞・記録[編集]

グラミー賞[編集]

1992年

  • Best Music Video,Long Form (Blond Ambition Tour)

1999年

2000年

  • Best Song Written for a Motion Picture (Beautiful Stranger)

2001年

  • Best Recording Package (Music)

2007年

記録[編集]

  • 全英シングルチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代1位): 13作
  • 全米シングルチャートTOP10獲得数(アーティスト歴代1位): 37曲
  • ポップ・ミュージック史上アルバムNo.1最多獲得国数: 40ヶ国(Confessions On A Dance Floor/2005年)
  • ポップ・ミュージック史上シングルNo.1最多獲得国数: 43ヶ国(Hung Up/2005年)
  • 全米アルバムチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代2位): 7作
  • ソロ歌手の1位インターバル最長記録: 17年11ヶ月
  • 3年代連続1位(1989: Like A Prayer, 1990: I'm Breathless, 2008: Hard Candy)
  • ツアー興行収入最高記録: 4億800万ドル(Sticky & Sweet Tour/2008年~2009年)
  • 全米シングルチャートで最高位が1位から10位迄の楽曲を保持する、希有な記録もある。

日本ゴールドディスク大賞[編集]

1986年(第1回)

1989年 (第4回)

1990年(第5回)

1992年(第7回)

2008年(第23回)

  • アーティスト・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)
  • 「着うた」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ
  • 「着うたフル」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
  • PC配信ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
  • ザ・ベスト3アルバム・・・「ハード・キャンディー

実績として、アルバム「ハード・キャンディー」が31万4595枚。配信が1,005,523DLだった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ マドンナが歌手デビュー前の18才時の1979年にコロンビア大学の学生によって撮影された[29]スーパー8mmで撮られたカウンターカルチャー末期の典型的な映研映画[29]。日本での爆発的なマドンナ人気に目を付けた東映ビデオが買い取って、『マドンナ in 生贄』と日本語タイトルを付けてビデオ化し、1985年秋に日本でビデオ発売した[29]。マドンナの裸を少しだけ含む[29](TE-B812、60分、価格9800円)[29]

出典[編集]

  1. ^ Leonard & D'Acierno 1998, p. 492.
  2. ^ a b c d e f Erlewine, Stephen Thomas. “Madonna | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2020年12月7日閲覧。
  3. ^ Libraries Australia Authorities - Madonna”. National Library of Australia. 2020年12月7日閲覧。
  4. ^ “Madonna: healthy pop star admits to 'weakness' for sticky toffee pudding” (英語). (2011年9月9日). ISSN 0307-1235. https://www.telegraph.co.uk/news/celebritynews/8751794/Madonna-healthy-pop-star-admits-to-weakness-for-sticky-toffee-pudding.html 2019年5月17日閲覧。 
  5. ^ Guibourg, Clara (2018年8月15日). “Madonna at 60: The Queen of Pop in seven charts” (英語). https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-45112992 2019年5月17日閲覧。 
  6. ^ Candice Marshall (2015年6月22日). “Madonna heading back to Australia after 23-year break” (英語). ABC News. 2019年5月17日閲覧。
  7. ^ ギネス・ワールド・レコーズ/Top Selling Female Recording Artist ギネス・ワールド・レコーズ(参照: 2011年12月19日)
  8. ^ Bowman, Edith; Sellars, Peter "BBC World Visionaries: Madonna Vs. Mozart" 英国放送協会 2007年5月26日。(参照: 2008年5月12日)
  9. ^ Castillo, Michelle (2010-11-18). "The 25 Most Powerful Women of the Past Century: Madonna (1958–present)". Time. (参照: 2011年12月8日)
  10. ^ VH1's 100 Greatest Women In Music VH12012年(参照: 2012年6月7日)
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]