マックボンボン

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マックボンボンは、志村健(現:志村けん)がザ・ドリフターズ付き人時代に一時独立して、同じ付き人同士で組んでいたお笑いコンビである[1]渡辺プロダクション所属。

歴史[編集]

1972年、志村健(現:志村けん)が井山淳と結成、井山の脱退(失踪)後は福田正夫とコンビを組んだ。

結成当初は「チャーミングコンビ」だったが、ザ・ドリフターズ(以下「ドリフ」)のリーダーで志村の師匠であるいかりや長介から「お前らは絶対チャーミングじゃない」との指摘により改名した。

初めての仕事は『小松みどりショー』の前座で、井山のボケに対して、志村が立ったままの姿勢から、井山の顔面に足でツッコミを入れるなど、身体を張ったネタが評判となる。その後、小柳ルミ子天地真理いしだあゆみ森進一沢田研二鶴田浩二三波春夫などの前座も務めるようになった。

1972年10月には早くも初のレギュラーにして初司会、そしてコンビ名の付いた「冠番組」である『ぎんぎら!ボンボン!』(『シャボン玉ホリデー』の後番組で、後に『シャボン玉ボンボン』にリニューアルされる)への出演が決まる。師匠のいかりや長介は、ネタのストックも無いままテレビに出演することに難色を示し反対する。そのいかりやの不安は的中し、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに飽きられ、視聴率不振により番組は1クール(3か月)で打ち切りとなった。その失敗により、ショックを受けた当時の相方である井山が失踪し、連絡が取れなくなった渡辺プロダクションは井山を契約解除とし、ドリフの付き人からも除名した。

このため志村は、ドリフの付き人の一人であった福田正夫を次の相方として選び、新生「マックボンボン」を出発させる。しかし、元自衛隊員の福田は元々お笑い芸人志向ではなく、常々「お笑いじゃなくてもやっていける」と公言し、練習に身を入れることもなかった。

結局コンビは自然消滅となり、福田は芸能界を引退。志村は再びドリフの付き人に戻った。

コンビのネタは、志村が全部考えており、志村が考えている横で福田は新聞の求人広告を見ていたといい、ドリフメンバーの仲本工事は当時のことを振り返って「志村はやる気があったから、付き人やりながら自分でコンビ組んで、営業の仕事もしてたんです。本当に一生懸命でしたね。」と語っている[2]

メンバー[編集]

全員ドリフの付き人だった。

脚注[編集]

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  1. ^ [http://bunshun.jp/articles/-/8306?page=2 高木ブー85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」 文春オンライン2018/7/29
  2. ^ 77歳仲本工事が語る“ドリフ秘話”「加藤は天才、志村は秀才」の理由 文春オンライン2019/1/5

参考文献[編集]