マックス・アマン

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マックス・アマン
Max Amann
全国指導者の制服姿のアマン
生年月日 1891年11月24日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
バイエルン王国の旗 バイエルン王国 ミュンヘン
没年月日 (1957-03-10) 1957年3月10日(65歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツ
バイエルン州の旗 バイエルン州 ミュンヘン
前職 軍人(陸軍軍曹)
所属政党 国家社会主義ドイツ労働者党
称号 親衛隊大将

当選回数 4回
在任期間 1933年11月15日 - 1945年5月8日

在任期間 1933年6月2日 - 1945年5月8日
党指導者 アドルフ・ヒトラー
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マックス・アマン
Max Amann
親衛隊姿のマックス・アマン
所属組織 ドイツ帝国陸軍
親衛隊
軍歴 1914年 - 1919年
1941年 - 1945年
最終階級 陸軍軍曹
親衛隊大将
除隊後 政治家
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マックス・アマン(Max Amann、1891年11月24日 - 1957年3月10日)は、ドイツ軍人政治家。陸軍での最終階級は軍曹。親衛隊での最終階級は親衛隊名誉大将国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の古参党員の1人で、出版全国指導者を務め、アドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』の出版に関与した。

生涯[編集]

1891年11月24日ミュンヘンに生まれた。1908年から1911年までミュンヘンの商業学校に通い、以降は法律事務所に勤めた。第一次世界大戦勃発後の1914年、バイエルン予備歩兵第16連隊に入営、終戦までに准尉へ昇進した。この連隊にはヒトラーも所属しており、両者の間には面識があった。

ナチ党[編集]

1921年10月、ナチ党に入党した。党員番号はヒトラー、ヘルマン・エッサーに次ぐ3番であった。その後1923年までナチ党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』の商業担当を務めた。1922年には出版全国指導者に就任、党出版会社フランツ・エーア出版社の社長となった。ミュンヘン一揆の際にはヒトラーと共に逮捕・投獄されたが、アマンは4か月半で釈放された。釈放以降もナチ党の出版全国指導者として務めた。

我が闘争出版[編集]

1925年、ヒトラーの著書を出版する計画に大きく関わった。ヒトラーは獄中で口述筆記したこの著書を、『Viereinhalb Jahre gegen Lüge, Dummheit und Feigheit(嘘と臆病、愚かさに対する4年半)』と名づけたが、アマンは内容が堅い上にタイトルが長すぎて売れないと反対した。そのため、ヒトラーが判決直後に書き記した文章から『我が闘争(Mein Kampf)』と名づけられた。しかし、アマンはそれでも同書はあまり売れないと判断しており、当時の一般書の2倍の価格12マルクで売り出して、資金を回収しようとした。ナチ党の拡大後はこの本の売り上げも伸び、アマンは印税の管理も担当した。彼はフランツ・エーア社から出版される書籍の定価から何%かを確保し、私腹を肥やしていた[1]

1931年9月4日フランツ・フォン・エップと共に狩猟に出た際、アマンは銃の扱いが上手でなかったために暴発事故を起こし、左腕を失う重傷を負った。

ナチ政権[編集]

アマンはナチ党の拡大に、宣伝全国指導者ヨーゼフ・ゲッベルスとともにプロパガンダ面で大きな貢献をした。1933年のヒトラー内閣成立後は、帝国文化院傘下の帝国新聞院ドイツ語版の総裁に任じられ、全ドイツの出版活動を取り締まった。また、1933年3月ドイツ国会選挙で国会議員にも選出されている。

1934年の長いナイフの夜では、突撃隊幹部エドムント・ハイネスの逮捕と処刑に関わった[2]。第二次世界大戦中の1941年には親衛隊名誉大将の位を授けられた。アマンはフランツ・エーア社から本を出版していた他の党幹部達の印税も管理していたため、党内での権力争いでも攻撃されなかった[1]

戦後[編集]

戦後の非ナチ化裁判では、10年の刑を受けた。1953年に釈放されたが、財産と年金は没収された。1957年にミュンヘンで没した。

キャリア[編集]

親衛隊階級[編集]

受章歴[編集]

参考文献[編集]

  • Michael D. Miller著『Leaders of the SS & German Police, Volume I』(Bender Publishing)ISBN 9329700373(英語)
  • ゲルト・ユーバーシェア、ヴァンフリート・フォーゲル 著、守屋純 訳『総統からの贈り物 ヒトラーに買収されたナチス・エリート達』錦正社、2010年、288頁。ISBN 978-4764603332 

脚注[編集]

  1. ^ a b ゲルト・ユーバーシェア & ヴァンフリート・フォーゲル 2010, pp. 148.
  2. ^ Hans-Günther Seraphim (Hrsg.): Das politische Tagebuch Alfred Rosenbergs