マスメディアの戦争責任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

マスメディアの戦争責任(マスメディアのせんそうせきにん)とは、マスメディア国民に事実を報道することを怠ったり、対外強硬論を助長する報道を行うことで、開戦に至ったり戦争の長期化を招くことに対する責任論である。

日本[編集]

警視庁検閲課による検閲の様子(1938年(昭和13年))

言論統制[編集]

戦前の日本では1909年(明治42年)5月6日に公布された新聞紙法によって新聞は検閲の対象となっており、軍や政府は記事差止命令や写真の不掲載といった措置を取ることができた。大正時代まではこうした環境下にあっても露骨な言論統制が行われる機会は少なかったが、1931年(昭和6年)の満州事変以後、軍の政治に対する発言力が増大すると、正面から政府や軍を批判する記事の掲載が困難となっていった。

とりわけ、1937年(昭和12年)からの日中戦争の勃発とそれに続く1938年(昭和13年)の国家総動員法の制定はそれを決定づけることになった。この点は当時唯一の放送機関であった日本放送協会においても変わるところはなかった。

対外強硬論を煽ったマスコミ[編集]

このような言論統制の「被害者」という主張がある一方で、新聞は政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」という形で糾弾し、対外強硬論を煽り、開戦を主張するなど、国民を開戦支持に導く役割も果たした。

戦争の長期化[編集]

主力空母4隻とその艦載機を失ったミッドウエーの大敗を転機として、軍令部は参謀本部や東條英機総理兼陸相に対してさえ大敗の事実を隠蔽するようになっていった[1]。 言論統制の結果もあるが、日本のラジオ・新聞などは大本営の発表を検証しないままに過大な偏向報道をし、国民の多くは国際情勢ならびに戦況の実態を知らされず、戦争が長期化する大きな要因となった。

戦争が長期化すると、政府や軍の強硬派に迎合する形で戦争の完遂や国策への協力を強く訴える記事が多く掲載された。これには情報局の指導もあった(情報局#統制下の芸術家やマスコミ参照)。

戦後の大手マスコミによる被害者としての主張の矛盾[編集]

検閲の元締めである情報局は戦争後期、緒方竹虎下村宏など朝日新聞日本放送協会(NHK)の元幹部が総裁を務めている。

新聞社の戦争協力例[編集]

戦争を推奨した新聞社の公募歌の一部(標語は朝日新聞が神風賦とした天声人語(戦時版)にて多用し国民を扇動した)
  • 肉弾三勇士の歌(朝日新聞)
  • アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(朝日新聞)
  • みんな兵士だ弾丸だ(毎日新聞)
  • 爆弾三勇士の歌(毎日新聞)
  • 大東亜決戦の歌(毎日新聞)
  • 空襲なんぞ恐るべき(毎日新聞)
その他

アメリカ合衆国[編集]

1898年米西戦争では、読者数の拡大を目指す新聞がセンセーショナルな報道を行い、アメリカ合衆国の介入を煽った。

イラク戦争に関して、イラク共和国国内に大量破壊兵器が結果として存在しなかったが、多くのマスメディアは「大量破壊兵器の除去」という開戦理由への検証を怠った。

脚注[編集]

  1. ^ 『幻の大戦果 大本営発表の真相』

参考文献[編集]

関連項目[編集]