マサーフェル・ヤッタ
マサーフェル・ヤッタ مسافر يطا | |
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アラビア語翻字 | |
• アラビア語 | مسافر يطا |
• ラテン語 | Mosfaret Yatta (公式) |
パレスチナ内でのマサーフェル・ヤッタ の位置 | |
座標:北緯31度22分48秒 東経35度10分51秒 / 北緯31.38000度 東経35.18083度座標: 北緯31度22分48秒 東経35度10分51秒 / 北緯31.38000度 東経35.18083度 | |
国 |
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地区 | ヨルダン川西岸地区 |
県 | ヘブロン県 |
行政区域 | C地区 |
政府 | |
• 種別 | 地方開発委員会 |
面積 | |
• 合計 | 36,000ドゥナム (36.0km2 / 13.9mi2) |
人口 (2007) | |
• 合計 | 768人 |
• 密度 | 21人/km2 |
名称由来 | "旅する"または"何もない" |


マサーフェル・ヤッタ (アラビア語: مسافر يطا、英語: Masafer Yatta または Mosfaret Yatta) は、パレスチナのヨルダン川西岸地区ヘブロン県南部にある19のパレスチナ人村落の集まりで、ヘブロン市の南14キロメートルから24キロメートルの南ヘブロン丘陵に位置する。これらの村落はヤッタの市行政境内にある。マサーフェルという名称は、ヤッタから移動するのに必要な長距離に基づく「旅する」、または「何にも」適していないという地元の伝承に基づく「何もない」という意味のアラビア語に由来すると考えられている[1]。
人口と行政
[編集]パレスチナ中央統計局によると、マサーフェル・ヤッタを構成する6つの地区(Khirbet Asafi、Mantiqat Shi'b al Batim、Khirbet Tawil ash Shih、Maghayir al-Abeed、Khirbet al Fakheit、Khirbet Bir al-Idd)の2007年の人口は768人だった[1]。2022年のイスラエルの追放命令の影響を受けた8つの村落の人口は1,144人で、その半分は子供であった[2]。住民世帯の殆どが農畜産業に従事しており、2009年には14,000頭の羊と2,000頭近くの山羊が畜産されていることが記録されている[1]。近隣のアッ=トゥワニ村は、マサーフェル・ヤッタのベドウィン地域の中心地として機能している[3]。マサーフェル・ヤッタの地方行政は、パレスチナ自治政府の地方行政省によって任命された委員からなる地方開発委員会[注 1]の施政下にある[1][注 2]。
歴史
[編集]1881年、英国のパレスチナ探査基金(PEF)は、Shảb el Butm(「テレビンスの短い若枝または発育不全の枝」を意味する)[5]、Tuweil esh Shîh(「アルテミシアの頂または尾根」を意味する)[5]、Khŭrbet el Fekhît(「亀裂の遺跡」を意味する)[6]、およびKhŭrbet Bîr el 'Edd(「永続的な井戸の遺跡」を意味する)[7]、という場所を記録した。
PEFは、Khŭrbet Bîr el 'Eddでは、「遺跡の痕跡と貯水槽」を記録し[8]、Khŭrbet el Fekhîtでは「遺跡の痕跡と洞窟」を記録した[8]。
イスラエルの占領
[編集]マサーフェル・ヤッタは、1967年の第三次中東戦争以来イスラエルの占領下に置かれている。
この村落群はヨルダン川西岸地区の「C地区」の一部となっており、イスラエルが全面的に軍事及び民政を統治していることを意味する[1]。この地域はイスラエル国防軍(IDF)による軍事訓練に使用されており、同軍によって「ファイアリング・ゾーン918(演習場)[注 3]」と名付けられたが、1981年の閣僚議事録によれば、アリエル・シャロンはこの演習場への土地利用形態の変更の目的は地元のパレスチナ住民を追放することを可能にするためだと明言したと後に判明した[9]。これによって1,000人以上のパレスチナ人が自宅や土地から追放される危険にさらされている[10][11]。
ガーディアン紙によると、「ここのパレスチナ人の貯水槽、ソーラーパネル、道路、建物は、建築許可がないという理由で頻繁に取り壊されているが、(行政権を司るイスラエル当局から[12])建築許可を取得することはほぼ不可能である一方で、周囲の違法なイスラエル人入植地は繁栄している。主に牧畜民のコミュニティで、灼熱の夏と凍てつく冬を通してヤギやヒツジを飼育している。」[13]イスラエルの前哨地[注 4]ミツペ・ヤイルに最も近いKhirbet Bir al-Iddでは、貯水槽に動物の死骸が投げ込まれ破壊されたと報告されている。パレスチナ人は、「イスラエルの入植者がこの破壊行為の背後にいると思われる」と主張している[14]。
イスラエル当局は、この地域の村落は、イスラエルがIDFのファイアリング・ゾーンと宣言した後にヤッタの町の人々が「侵入」して1980年代に初めて出現したと主張し、住民をヤッタに移住させようとした。
村人たちは、イスラエルの占領前にこの地域に住んでいた証拠があるとして、イスラエル最高裁判所に上告した。彼らの上告は、近郊の1966年のイスラエルによるアッ=サムウ攻撃の際、ジンバの村人たちが被害を受けたという事実に基づいており、国際連合は、IDFによって爆破された15軒の家屋を直後に記録していた。その被害は当時この地域を統治していたヨルダン政府[注 5]によってすぐに正式に認められ、1967年4月と5月に住民に対して損失の補償が支払われた。それは破壊された石造りの家屋1軒につき350ディナール、殺されたラクダ1頭につき100ディナール、羊1頭につき7ディナールというものだった。これに対し、爆破されたのはベドウィンのテントだったという主張がある。しかし、イスラエルの地理学者Natan Shalemは、1931年に出版した著書『ミドバル・イェフダ(ユダヤ砂漠)』の中で、そこにある村々のいくつかはベドウィンの遊牧民の野営地ではなかったと述べている。ジンバ、Markaz,、Al-Mafkara、Fakhit、Thaban、Al-Majaz、Sarura、Simra、Mughayer Al-Abid、Halawa、Sfei、Rakiz、Tuba、そしてKhalet a-Daba など、占領されるずっと以前から、ヤッタ郊外に人が住んでいたことを証明する証拠もあった[15]。

イスラエル入植者による攻撃
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2021年9月、約80人から100人の覆面をしたイスラエル人入植者の暴徒が、マサーフェル・ヤッタを構成する村落の一つであるKhirbat al-Mufkara村へ侵入し、家屋に投石したり、自動車を損壊したりした。12人のパレスチナ人が負傷し、その中には自宅で睡眠中にイスラエル人入植者に石を投げつけられ、頭に打撃を受けた3歳のパレスチナ人の子供も含まれていた[16][17]。
イスラエルのヤイル・ラピド外務大臣はこれを「暴力的な事件」と呼び、「恐ろしいことで、テロである。これはイスラエルのやり方ではないし、ユダヤ人のやり方でもない。これは暴力的で危険な過激派であり、我々には、彼らを裁きにかける責任がある」と反応した[17]。
強制移送
[編集]表1:マサーフェル・ヤッタにおける強制移送と破壊の危険にさらされている人々と建物の数 |
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出典: 国際連合人道問題調整事務所 (OCHA)[18] |

2022年5月、イスラエル最高裁判所は、12のパレスチナ人村落が存在する3,000ヘクタールの地域に関してはIDFの立場を支持し、1970年代以来最大の強制移送となるであろう、1,000人の住民の追放への道を開いた[9]。判決に関わった裁判官の一人、ダビド・ミンツは、ヨルダン川西岸地区のドレヴというイスラエル入植地に住んでいると報じられた[9]。5月10日、欧州連合(EU)は「入植地の拡張や、破壊、立ち退きは国際法上違法である」とし、ファイアリング・ゾーンの設置は被占領住民の強制移送に対する「必要不可欠な軍事的理由」ではないと述べた[19][20]。
解体作業が始まると、被害を受けた村の一つであるKhirbet al Fakheitの一家は、冬を越すために自分たちと家畜を繋ぎとめるための空間を洞窟に確保した[13]。2022年9月29日には、Khallet Athabaの80人分の家のブルドーザーでの解体が予定されていた[13]。地元の羊飼いによると、羊飼いたちが使用していた放牧地へのアクセスはその後入植者たちに奪われ、被害を受けたコミュニティを支援したり、または入植者から彼らを守ろうとする活動家の両慈善団体は、通行許可証がないためにその区域の周辺に入ることを許可されなかった[13]。

国連はイスラエルの行動は戦争犯罪に相当する可能性があると述べた[21][22]。2023年1月2日、ベツェレムは追放を「戦争犯罪へまっしぐら」と表現した[23][24]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ パレスチナの基礎自治体は人口が多い順にAからDに区分されているが、地方開発委員会はDよりさらに人口が少ない地区に設けられる[4]。
- ^ しかし実際の行政権はイスラエルが握っている - 後述。
- ^ 「ファイアリング・ゾーン918」は作戦名。その中身は実弾射撃もしくは砲弾発射区域、つまり演習場の意味で、文民の立ち入りは禁止される。
- ^ 将来的に入植地建設の足掛かりとするために、入植者たちが小屋を建てたりトレーラーハウスを持ち込んでヨルダン川西岸地区内に勝手に住み着く、国際法でもイスラエル国内法でも違法な集落。国際法では違法であり続けるが、後に国内法では合法化され、本格的な入植地に発展する例が止まない。
- ^ ヨルダン川西岸地区は、当時ヨルダンに併合されていた。
出典
[編集]- ^ a b c d e At Tuwani &Mosfaret Yatta Profile. 応用研究所ーエルサレム(ARIJ). 2009.
- ^ Manal Massalha, 'It's 2022 and we live in caves': herders besieged by settlers on West Bank but still clinging to hope', ガーディアン 27 July 2022
- ^ 2007 PCBS Census Archived 2010-12-10 at the Wayback Machine. パレスチナ中央統計局. p. 118.
- ^ The Crisis of Local Government Institution in Palestine, a case study Archived 2010年09月27日, at the Wayback Machine.
- ^ a b Palmer, 1881, p. 433
- ^ Palmer, 1881, p. 431
- ^ Palmer, 1881, p. 430
- ^ a b Conder and Kitchener, 1883, SWP III, p. 408
- ^ a b c Bethan McKernan, "Israeli court paves way for eviction of 1,000 Palestinians from West Bank area", ガーディアン 5 May 2022
- ^ Salman, Abeer (2022年5月6日). “Palestinians vow to stay on West Bank land despite defeat in decades-old legal battle” (英語). CNN. 2024年11月3日閲覧。
- ^ Masafer Yatta: Israeli military training damages Palestinian harvest. Operazione Colomba, 14 May 2014
- ^ 'Fact Sheet: Building Permits in Area C of the West Bank,' Archived April 19, 2016, at the Wayback Machine. ノルウェー難民評議会
- ^ a b c d Bethan McKernan and Quique Kierszenbaum, 'Every day is worse than the one before': a Palestinian community fights for survival', ガーディアン 28 September 2022
- ^ IDF removes roadblock to Palestinian villages – twice, アミラ・ハス, 19 August 2013, ハアレツ
- ^ アミラ・ハス, 'Israel Blew Up Their Houses in 1966. Now It Claims Their Village Never Existed', ハアレツ 27 April 2021
- ^ “Several Palestinians injured as masked settler mob attacks Hebron villages” 2021年10月6日閲覧。
- ^ a b “Three Arrested After Masked Settlers Attack Palestinians With Stones, Injuring 12”. ハアレツ 2021年10月6日閲覧。
- ^ “United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs - occupied Palestinian territory | Fact sheet: Masafer Yatta communities at risk of forcible transfer | June 2022”. (2022年7月6日)
- ^ “Israel/Palestine: Statement by the Spokesperson on evictions in Masafer Yatta”. 欧州対外行動局
- ^ “EU blasts Israeli plan to evict Palestinian families in occupied West Bank”. アナドル通信社. アナドル通信社
- ^ Abdulrahim, Raja (2022年10月22日). “Resisting Israeli Efforts to Displace Them, Palestinians Move Into Caves”. ニューヨーク・タイムズ
- ^ “United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs - occupied Palestinian territory | International officials: Massafer Yatta Palestinians should be allowed to stay in their homes with dignity”. (2022年5月16日)
- ^ agencies, Ben Lynfield in Jerusalem and (2023年1月3日). “Extreme-right Israeli minister visits al-Aqsa mosque compound”. ガーディアン
- ^ “Fast-tracked war crime: Israel informs Palestinians from Masafer Yatta of imminent expulsion”. ベツェレム. (2023年1月2日)
参考文献
[編集]- Conder, C.R.; Kitchener, H.H. (1883). The Survey of Western Palestine: Memoirs of the Topography, Orography, Hydrography, and Archaeology. 3. London: パレスチナ探査基金委員会
- Palmer, E.H. (1881). The Survey of Western Palestine: Arabic and English Name Lists Collected During the Survey by Lieutenants Conder and Kitchener, R. E. Transliterated and Explained by E.H. Palmer. パレスチナ探査基金委員会
- Pappé, Ilan (2021). “Everyday Evil in Palestine: The View from Lucifer's Hill”. Journal of Critical Studies. Janus Unbound 1 (1): 70–82. ISSN 2564-2154 .
関連項目
[編集]- 『ノー・アザー・ランド_故郷は他にない』 - マサーフェル・ヤッタでのイスラエルによるパレスチナ人の家屋破壊、住民追放等を記録したドキュメンタリー映画。
外部リンク
[編集]- ファクトシート, 応用研究所ーエルサレム(ARIJ)
- マサーフェル・ヤッタの航空写真, ARIJ
- パレスチナ西部調査、地図 25: IAA, ウィキメディア・コモンズ
- Bir al-'Id Archived 2017年10月28日, at the Wayback Machine. タアユシュによる。
- Bir el Id、イスラエルのラバイズ・フォー・ヒューマンライツによる。
- マサーフェル・ヤッタ Archived 2013年10月22日, at the Wayback Machine., EAPPI