マグデブルク-ライプツィヒ線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクデブルク-ライプツィヒ線
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
起点 マクデブルク
終点 ライプツィヒ
路線番号 340
開業 1839年
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 118.0 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線(マクデブルク中央駅 - ヴィーデリッチ駅)
単線(ヴィーデリッチ駅 - ライプツィヒ・メッセ駅)
電化方式 交流15,000V 16.7Hz
最高速度 160 km/h
テンプレートを表示

マクデブルク-ライプツィヒ線 (マグデブルク-ライプツィヒせん、ドイツ語: Bahnstrecke Magdeburg–Leipzig)とは、ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州マクデブルクマクデブルク中央駅からケーテンハレを経てザクセン州ライプツィヒライプツィヒ中央駅に至る全長118.0kmのドイツ鉄道の路線である。

歴史[編集]

マクデブルク・ライプツィヒ鉄道株式会社(ドイツ語: Magdeburg-Leipziger Eisenbahn-Gesellschaft)によって1838年1月24日に建設が開始された[1]プロイセン王国およびザクセン王国に跨る路線であり、ドイツにおいて複数の王国を跨ぐ初めての鉄道でもあった。1839年6月29日にマクデブルク - シェーネベック間(14.9km)が開業したのを皮切りに、1840年8月18日にマクデブルク - ライプツィヒ間全線が開業した。

ハレ - ライプツィヒ間にプロイセンとザクセンの境界があった。ザクセン区間は1874年にライプツィヒ・ドレスデン鉄道株式会社(ドイツ語: Leipzig-Dresdner Eisenbahn-Compagnie)に引き継がれた。1843年11月1日には一般の貨物輸送が開始された。1873年にはマクデブルク市内の2つの駅をつなぐ路線が開業した。1876年6月1日にマクデブルク・ライプツィヒ鉄道はマクデブルク・ハルバーシュタット鉄道株式会社に継承され、1879年12月20日にはプロイセン政府により国有化され、プロイセン邦有鉄道の路線になった。

1912年5月1日にはプロイセン側でライプツィヒ中央駅が開業し、旧来のライプツィヒ側のターミナル駅であったマクデブルガー駅は廃止された。第一次世界大戦後の1924年8月30日にはドイツ国営鉄道が発足した。

1920年にはハレ - ライプツィヒ間の電化工事が開始され、1922年12月19日には電気機関車による牽引が開始された。マクデブルク - ライプツィヒ間の電化は1934年10月7日に完成した。しかしながら、第二次世界大戦後の1946年にはソビエト連邦への賠償のために電化設備は撤去された。東ドイツ成立後にソ連から電気機関車が返還されたことに伴い、1955年9月1日にはハレ - ケーテン間の再電化が行われた。続いてケーテン - シェーネベック間は1955年12月29日、シェーネベック - マクデブルク間は1957年1月12日、最後の区間であるライプツィヒ - ハレ間の再電化は1958年12月20日に完成した。

列車[編集]

マクデブルク - ハレ間はレギオナルバーンが1時間おきに運行されている。車両は東ドイツ国鉄212型電気機関車ドイツ語版に牽引されたダブルデッカー車が使用されている。

ミッテルエルベSバーンドイツ語版S1号線はマクデブルク - シェーネベック間にて運行されており、マクデブルク中央駅 - マクデブルク=ブッカウ駅間では専用の線路を走行する。車両はドイツ鉄道425形電車が導入されている。さらにエアフルト方面へのレギオナルエクスプレスが2時間おきに設定されているほか、マクデブルク - シェーネベック間にはアッシャースレーベン方面へのレギオナルエクスプレスも2時間おきに設定されている。

ミッテルドイチュラントSバーンのS3号線およびS5X号線はハレ - グレーバースおよびハレ - ヴァレンにて当線を走行している。車両はボンバルディア社のタレント2である。グレーバース方面へのS5X号線は本線からエアフルト-ライプツィヒ/ハレ高速線を走行してライプツィヒ・ハレ空港に向かう。 さらにICの55系統および56系統が1時間おきに運行されており、マクデブルク中央駅、ケーテン駅、ハレ中央駅、ライプツィヒ・ハレ空港駅、ライプツィヒ中央駅のみに停車する。これらの列車はグレーバース駅 - ライプツィヒ中央駅間はエアフルト-ライプツィヒ/ハレ高速線を経由する。また、貨物輸送においても重要な役割を占めている。

参考文献[編集]

  • Peter Beyer (1978). “Leipzig und Anfänge des deutschen Eisenbahnbaus. Die Strecke nach Magdeburg als zweitälteste deutsche Verbindung und das Ringen des Kaufleute um ihr Entstehen. 1829–1840” (ドイツ語). Anhandlungen zur Handels- und Sozialgeschichte (Weimar) 17. ISSN 0065-0358. 
  • Alfred von der Leyen (1912-06-22). “Zur Vorgeschichte der Magdeburg-Leipziger Eisenbahn” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahnverwaltungen 52. Jahrgang (Nr. 47): pp. 765~768. 

外部リンク[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]