マカオラジオテレビ

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澳門廣播電視股份有限公司
企業形態 公共放送
業種 テレビ・ラジオ
設立 1983年01月01日(設立)
1984年5月13日(開局)
本拠所在地 マカオ
代表者等 梁金泉
営業利益 3200万マカオ・パタカ(2011年)[1]
従業員数 455人(2009年末)
ウェブサイト http://new.tdm.com.mo

澳門廣播電視股份有限公司ポルトガル語TeleDifusão de Macau S.A.TDM)は、マカオに存在するテレビ及びラジオ放送局である。

概況[編集]

テレビ[編集]

1984年に放送開始。その後暫くは、広東語による放送と、宗主国であったポルトガル語による放送の2チャンネルが放送されていたが、現在は「澳視澳門台」(每日15時間放送)、「澳視高清台」(ハイビジョン放送)、澳視體育台(スポーツ専門チャンネル)、澳視生活台(生活情報専門)および、ポルトガル語の放送を行う「澳視葡文台」の5チャンネルで放送されている。この他、衛星放送として「澳廣視衛星電視頻道-澳門」が存在する。

ラジオ[編集]

1933年に放送開始以来、広東語ポルトガル語の2波で放送されている。広東語放送は24時間放送で、番組は全てマカオで製作されているのに対し、ポルトガル語放送は日中のみマカオ製作で、それ以外はポルトガルの「Antena 1 de Rádio Difusão Portuguesa」の番組を放送している。

経営状況[編集]

マカオラジオテレビの前身である澳門廣播電視公司は、ポルトガルの植民地政府であったマカオ政庁が保有する公営放送局であった。しかし、9000万~1億マカオ・パタカに及ぶ損失を出して問題視されており、1988年4月に発覚した汚職事件の影響もあって、1988年8月に民間資本を取り入れて政府・民間の共同経営となり、名称も変更された。

2002年8月13日、当時の社長による不正財政問題が発覚し、放送局の財政が危機的な状況に陥り、放送停止の危機を迎えた。

8月20日に株主会議が開催され、株主による緊急融資が行われ、さらに9月20日にも解決策を話し合ったが結論が出ず、僅かに政府より毎月200万パタカの財政補助のみ決定した。10月8日の会議後、株主であるスタンレー・ホーが、放送局の経営改善は極めて困難であると発言するなど混乱したが、10月11日の株主会議にて、当時のマカオ政府行政長官であったエドモンド・ホーが、倒産による社会的影響を避ける為に、金融機関などに対して現在の負債を帳消しにする条件で政府が支援する事を表明、その後株式の99.8%を政府が購入するとともに運営資金の援助を行った事で、放送停止の危機を脱した。

2004年10月、マカオ政府は放送局の形態を公営とする事を正式に表明し、2005年6月には社内体制を一新して公営放送局として再出発した。

しかし、マカオの視聴者数は限られる事や、香港広東省に対しての放送が禁止されている事に加え、マカオ住民の多くが香港の地上波テレビ局の番組を視聴している事などもあって経営改善は容易ではなく、引き続き苦しい経営が続いたが、ここ数年のマカオ経済の発展に伴い、広告収入の増加などもあって経営状態は改善し、現在は安定した経営となっている。

歴史[編集]

マカオラジオテレビの前身となる「澳門電台」は1933年に民営会社として設立され、8月26日に放送を開始した。この時点で広東語ポルトガル語の2波で放送された。その後、1948年にはマカオ政府の運営による公営放送局となった。1983年1月にはラジオ部が設立されたが、その後宗主国ポルトガルの公営放送局の運営に変更され、1988年の民間資本の参入まで続いた。

テレビ放送については、1984年5月13日に放送を開始した。当初は1チャンネルのみの放送で、広東語放送とポルトガル語の番組が混在しており、18:00-23:00の5時間のみ放送していた。

1990年9月17日より、ポルトガル語放送の「葡文台」(CANAL 1)と広東語放送の「中文台」(CANAL 2)の2チャンネル体制となり、さらに2007年4月1日より、「中文台」を「澳門電視台」に、「葡文台」を「Canal Macau」へ改称した。

2008年7月14日、新たにハイビジョン放送を行う「澳視高清台」の放送を開始、2009年には「澳廣視衛星電視頻道—澳門」、「澳視體育台」および「澳視生活」の放送が開始された。

11月2日より、「澳門電視台」と「Canal Macau」は、それぞれ「澳視澳門」と「澳視葡文」に再度改称された。

脚注[編集]

外部リンク[編集]