マカオジョッキークラブ

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タイパ競馬場

マカオジョッキークラブMacau Jockey Club澳門賽馬會)は、中華人民共和国マカオ特別行政区における競馬の競技団体である。競馬場は、タイパ島にあるタイパ競馬場を使用している。

毎年マカオ見習騎手招待競走を主催している。

沿革[編集]

もとは、1980年に設置された繋駕速歩競走用に設置された競馬場である。しかしながら、人気を得る事が出来ず経営不振に陥り、1988年に開催は中止された。その後、台湾の企業により買収され、コースを平地競走用に改修のうえ、1989年より競馬開催が開始されたが、人気を得ることが出来ず大幅な欠損を生じた結果、1年で再び開催停止に至った。

結局、地元のカジノ王であるスタンレー・ホーを中心とする財団が再買収して財政の建て直しを図り、1991年に再び競馬開催を開始した。その後も、電話投票の充実や他場発売の実施が行われてきたが、カジノや、長い歴史を誇るドッグレースが盛んなマカオでは、競馬の人気は低い。

以前は香港に電話投票窓口が設置されており、売り上げ額における大きなウエイトを占めていたが、2002年に香港で施行された賭博条例により、香港ジョッキークラブが発売するもの(サッカーくじ、ロトを含む)を除いて、香港域内での賭博行為が禁じられた結果、閉鎖を余儀無くされ、営業上の大きな打撃を受けた。

香港ジョッキークラブとの交流は、近隣地区にありながらも、最近まで殆ど無かった(競走馬騎手の移動はあった)。2004年に双方の地区で交流競走を初開催して以降、2005年には香港で行われる競走の馬券発売をマカオでも開始するなど、近年は交流が活発になりつつある。

また最近は、マレーシアシンガポールの他、遠く南アフリカ共和国で開催される競走の馬券も発売しており、積極的な展開を行っている。


なお、マカオで競馬が開催されたのはこれが初めてではなく、19世紀の一時期に小規模な競馬が開催されたのに続き、1924年には競馬倶楽部が設立され、1927年には、マカオ半島北東部の埋め立て地である黒沙環地区に競馬場が作られて、競馬が開催される様になった。以後、香港で競馬を開催していない時期に競馬を開催し、香港ジョッキークラブとも交流があったが、太平洋戦争の勃発で香港が日本に占領された影響で、1942年に開催が中止され、競馬場も閉鎖された。1950年代になって、競馬を復活させる動きがあったものの、条件が揃わずに見送られ、マカオではしばらく競馬が開催される事はなかった。

競馬場跡地は、その後農地や住宅に転用されたが、馬場を転用した道路が、『馬場大馬路』として残っている[1]


開催日程とレース[編集]

毎年、9月下旬から翌年8月末までの11ヶ月を開催期間として設定し、毎週1~2回開催している。ちなみに2013-2014年度は、全73日開催を予定している。

以前は、香港ジョッキークラブの開催日と重ならない様に、ナイター開催を火曜日に、日中開催を土曜日か日曜日(香港での開催が無い日)に設定していたが、最近では金曜日にナイター開催を設定し、土曜日に日中開催(7~8月は夕方から夜にかけての開催となる)を設定する事が多い。但し土曜日に香港で開催がある日は、日曜日の開催となる。

1日のレース数は6~7競走で、フルゲートは14頭だが、最近では12頭前後の出走頭数が多い。芝・ダートともに使用され、ダートコースでの競走の割合は、香港よりも多い。

海外競走とマカオでの競走が同日開催の場合、競走番号は双方合わせた競走順で設定されるが、マカオでの開催が無く、海外競走のみ発売される場合は、それぞれの競馬場での競走番号が、そのまま使用される。

歴史[編集]

競走馬・騎手・調教師[編集]

競走馬は、香港同様全て海外からの輸入である。騎手については、地元出身の騎手以外に香港出身者(香港ジョッキークラブでの騎乗経験者)が在籍しているが、海外から短期ライセンスを取得して騎乗している騎手の活躍が目立っている。

日本から遠征した騎手では、1994年岡部幸雄がマカオダービーを制覇し、内田利雄岡部誠が長期滞在して好成績を挙げた他、2013年11月には、松田大作が澳門娛樂展盃を勝ち、自身初の重賞制覇を果たした。

調教師は、地元出身者のほか、香港や海外で開業していた調教師が在籍している。

主な施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ http://www.macauzine.net/?action-viewnews-itemid-1020

外部リンク[編集]