マウロ・ボセーリ

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マウロ・ボセーリ
名前
愛称 Chapa
ラテン文字 Mauro Boselli
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1985-05-22) 1985年5月22日(38歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 181cm
体重 71kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1999-2003 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2008 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 33 (8)
2005-2006 スペインの旗 マラガB (loan) 32 (5)
2008-2010 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 57 (32)
2010-2013 イングランドの旗 ウィガン 15 (0)
2011 イタリアの旗 ジェノア (loan) 7 (2)
2011-2012 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス (loan) 29 (11)
2013 イタリアの旗 パレルモ (loan) 8 (0)
2013-2018 メキシコの旗 レオン 185 (104)
2019-2020 ブラジルの旗 コリンチャンス 30 (7)
2021-2022 パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ 31 (11)
2022-2023 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 49 (23)
代表歴
2005 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 12 (0)
2009-2011 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 4 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マウロ・ボセーリMauro Boselli, 1985年5月22日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表である。現役時代のポジションはフォワード

経歴[編集]

2003年からアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに所属し、7月6日、CAロサリオ・セントラル戦でデビューを飾った。2005-06シーズンはスペインのマラガCFのBチームでプレーし、翌年ボカに戻った。しかしチームにはマルティン・パレルモロドリゴ・パラシオが所属していたためレギュラー定着には至らなかった。2008年にエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに移籍し、1年目は13試合で7ゴールを決めた。2009年のコパ・リベルタドーレスでは、準決勝のナシオナル・モンテビデオ戦セカンドレグ (2-1) では52分に先制点を挙げると、その後同点に追い付かれたが、ロスタイムには駄目押しとなる追加点を挙げた[1]。決勝のクルゼイロEC戦セカンドレグ (2-1) では、72分にフアン・セバスティアン・ベロンのコーナーキックをヘディングで叩きこみ、2試合合計2-1とする決勝点を挙げた[2]。この得点で大会8得点目となり、ホルヘ・ヌニェス(ナシオナル・モンテビデオ)やロドリゴ・テイシェイラポルトガル語版デポルティーボ・クエンカ)を上回って単独得点王に輝いた。

2010年夏、ウィガン・アスレティックFCに移籍した。しかしウィガンではフィットできず、2011年冬にジェノアレンタル移籍。その後もレンタル移籍を繰り返した。

2013年6月、リーガMXクラブ・レオンに移籍した。レオンでは在籍6シーズンで105得点を積み重ねた。現在のところクラブで歴代2番目の記録である。

2019年1月、SCコリンチャンス・パウリスタへ移籍した。

2021年9月、セロ・ポルテーニョへ移籍した。

2022年1月6日、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに復帰した。

代表歴[編集]

2005年、U-20アルゼンチン代表として南米ユース選手権およびFIFAワールドユース選手権に出場。A代表として2009年9月、ガーナ代表戦でデビューした。2011年6月1日のナイジェリアとの親善試合でPKを決め、代表初得点を挙げた。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ボカ・ジュニアーズ
エストゥディアンテス
ウィガン・アスレティック
クラブ・レオン
SCコリンチャンス・パウリスタ
セロ・ポルテーニョ

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「コパ・リベルタドーレス決勝はクルゼイロ対エストゥディアンテス」 footballista、ソルメディア、2009年7月15日・22日合併号、43頁
  2. ^ 「エストゥディアンテス、39年ぶりの南米制覇!“魔法使い”の息子が親子二代で歴史をつむぐ」 footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、4頁

外部リンク[編集]