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ポール・ガヴァルニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ガヴァルニ
Paul Gavarni
自画像
生誕 1804年1月13日
フランス,パリ
死没 1866年11月24日
フランス,パリ
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ポール・ガヴァルニ(Paul Gavarni、本名:シュルピス・ギョーム・シェヴァリエ、Sulpice Guillaume Chevalier、1804年1月13日1866年11月24日[1]フランスのイラストレーターである。

生涯

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1804年1月13日、パリで生まれた。父親はブルゴーニュ出身の樽製造業者だった[1]。機械工場で働き始めるが、出世のためには製図の技術が必要であったため、美術学校の夜間コースで学び始めた。建築製図や機械製図を習得し、測量会社で地図の制作の仕事をした後、政府の兵器部門の製図工の仕事に就いた[2]。画家になる決心をしたのは30歳を越えたころである。

30歳の時、雑誌「Journal des modes」に最初のイラストを描いた[3]。ペンネームの「ポール・ガヴァルニ」はピレネー山地に旅行した時に訪れたオート=ピレネー県の町ガヴァルニー(Gavarnie)から取られた[2]。イラストは出版業界で好評で、ガヴァルニもこの仕事に熱心になり、最終的にエンジニアの仕事を辞め、雑誌「Les Gens du monde」の編集長になった[2]

パリの様々な階層のイラストに描き、版画として出版された。主な作品は日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ(Le Charivari)』に掲載された。

書籍の挿絵としてはピエール=ジュール・エッチェル(Pierre-Jules Hetzel)が編集し、バルザックジョルジュ・サンド、ジュール・ジャナン、シャルル・ノディエらが短編小説やエッセイなど文章を書き、当時有名な挿絵画家が挿絵を描いた画文集、『パリの悪魔』にJ・J・グランヴィルベルタル(Bertall)とともに挿絵を描いたことなどで知られている。

作品

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参考文献

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  1. ^ a b MacMillan's Magazine, Vol. 77 (1898)
  2. ^ a b c Frank Leslie's Popular Monthly, Vol. 20 (1885) pp. 615–619, Frank Leslie's Publishing House, New York
  3. ^ Paul Gavarni, Gino Doria (1856) Douze nouveaux travestissements par Gavarni, Bureau du Journal des modes parisiennes, Paris