ポルシェ・935

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935/76

ポルシェ・935Porsche935 )は国際自動車連盟のグループ5(シルエットフォーミュラ)規定に合わせポルシェが製作したレーシングカーである。デビューは1976年

概要[編集]

1970年代の初頭にポルシェ・917はマニュファクチュアラーズ選手権であまりに強すぎ[1]、5リットルスポーツのカテゴリーが成立しなくなり[1]、締め出されることになった。そこでアメリカのカナディアン-アメリカン・チャレンジカップに参戦したが、5リットルDOHCではアメリカ製の8リットルOHVエンジンに対抗できなかった[1]。ポルシェは当初7.2リットル水平対向16気筒エンジンで対抗しようとしたがこれは重量が嵩んで戦闘力がなく、ターボチャージャーを進化させる方針に切り替えた[1]。この方針は成功し1972年にはもはやアメリカ製のV8エンジンでは対抗できないレベルに達した[1]。これで取得したターボチャージャーのノウハウをヨーロッパに持ち帰るためポルシェ・911ターボを商品化し、その911ターボを元にグループ5のレーシングカー、935を作り出した[1]

ポルシェ・935は世界メーカー選手権IMSAGT選手権、およびドイツレーシングカー選手権(DRM)を含む様々な選手権に出走したが、どのレースでも935に対抗可能な車は存在しないほど強力な車であった。カスタマーモデルとして非常に有用であったため、どのレースでも最低5台の935が出場している状況だった。

巨大なターボチャージャーは機械式燃料噴射装置を用いて約600馬力の巨大なパワーを出し、アクセルオフ時にはウェイストゲートバルブからアフターファイアを吐き出すなど、モディファイされたボディとも相まってレースで観客は喜んだ。ポルシェは一部の例外を除きレーシングモデルであっても市販するスタイルを取っており、935も市販されプライベートチームが購入しレースエントリーした。一部の有力プライベーターは930あるいは911から改造し、ファクトリー供給のパーツとも組み合わせて独自の935を作りだしている。


935のターボエンジン

935/76[編集]

1976年、ジャッキー・イクスヨッヘン・マスのペアで1台、ロルフ・シュトメレンマンフレッド・シュルツでもう1台出場し、FIA世界選手権大会でマルティーニ・レーシングがワークスチームを支援した。

ボディ[編集]

シルエット規格として知られるグループ5のレギュレーションでは市販車の形状を(できるかぎり)残すことを念頭に規格が成されており、ドアパネルを含むコクピット周囲、ボンネット、ホイールアーチラインの変更は許可されていない。それ以外のボディーパネルの形状、材質変更は自由とされた。そのため935においても巨大なチンスポイラー、オーバーフェンダー、リアウイングはFRP製とされ大型なものとなった。これらの空力付加物は全面投影面積内に収まることが義務付けられていたので、1976年型935のリアウイングは一見して奇妙な二段構成となっている。

当初ポルシェの計画ではポルシェ930からの流用でホイールベースを広げた短距離競走バージョンと空力重視の高速バージョンの2種の935を走らせる予定であった。935試作モデルでは1974年型カレラRSRターボを模したようなボディシルエットであったが、空力特性向上のためシーズン当初からローノーズ(フラットノーズ)化され丸型ヘッドライトはフロントチンスポイラーに移された。911シリーズのヘッドライトはフロントフェンダーに取り付けられておりフロントフェンダーの形状変更は可能であることからこの手法はレギュレーション違反には問われなかった。グループ5規定の精神に則さないと自主的にベース車両と同形状に戻され数戦走行しているが、シーズン中盤になるとライバルメーカーの猛追をかわすべく再びローノーズ化され、以後はこのローノーズ形状が935のスタンダードとなり後継モデルも継承している。

巨大なターボパワーを受け止めるためにリアタイヤは大型化、それに伴いリアオーバーフェンダーも大型化された。これも1974年型カレラRSRターボと同形状のリアオーバーフェンダーであった。しかしシーズン序盤でこの部分の大幅な変更が余儀なくされた。ベース車両となった930ターボに倣ってエンジン後上部リアウイング支持部を兼ねるエンジンカバー内に空冷式インタークーラーを設置しており、それは当初合法と判断されていたが、レギュレーションの解釈の違いにより後になって「空力付加物内へのエンジンおよび付随パーツの設置はできない」というレギュレーション違反を問われ、エンジンカバー内(ウイング支持部)を空洞化する目的から水冷式インタークーラーへの置き換えが行われた。このインタークーラー用水冷ラジエーターはリアタイヤ前に設置することになりリアフェンダーは前方に拡張が行われた。空力付加物内は空洞である必要性からリアフェンダーの開口部はただのエアダクトであり、ラジエーター本体はシャーシ側に設置されている。リアフェンダーは後部にも延長され空力特性とダウンフォースの向上に役立っていた。

シャーシからは競技車両として不要な防錆処理や防音材、ウインドウの開閉機能装備が外され、競技車両に必要不可欠とされたコクピット内ロールケージやパイプフレームによるシャーシ補強は当時の常識的装備として935にも追加されている。

エンジン[編集]

ポルシェ・934と同じくカレラ3.0RSRに搭載されていた排気量2,993cc水平対向6気筒エンジン911/75型をベースにしている。ターボ係数(×1.4)を掛けて4リットルに収まるようボアを3mm細くすることで排気量を2,857ccに縮小、これにターボチャージャーで1.5バール過給し、560馬力を発揮する。重量は970kg。ブースト圧は運転席から変更可能。934でシングルだった点火装置はデュアル化されている。

サスペンション[編集]

レギュレーションによりサスペンション形式の変更はできない。

トーションバーを廃しチタン製可変レートコイルスプリングとなった。リアのアンチロールバーはドライバー席から変更可能で、燃料残量やタイヤ摩耗による姿勢変化に対応できるようになっている。ホイールはフロント16in径、リア19in径のBBSマグネシウムホイールを装備。

1977年5月ニュルブルクリンク1000kmでのポルシェ・935/77

935/77[編集]

ファクトリーでは絶えず935の発展改良が続けられた。

ボディー[編集]

ボディーワークの改造の自由度に目を付けベース車両はそれまでの930ターボから911カレラとされ、これはリアウイングの形状変更に大きく寄与した。

エンジン[編集]

1977年、シングルターボから各バンクそれぞれにKKK(Kuhnle Kopp und Kausch )製ターボが取り付けられ、630馬力を発揮する930/78型エンジンになった。ただし無理なパワーアップが祟りヘッドガスケット吹き抜けを何度か経験している。

935/2 "ベイビー"

935/2 "ベイビー"[編集]

排気量2リットル以上のディヴィジョン2では935が圧倒的な強さを発揮したため対抗メーカーはことごとく撤退、テレビ局が2リットル以下のディヴィジョン1だけ放映したいと言い出し、これに憤慨したポルシェはディヴィジョン1用にポルシェ935”ベイビー”を製作した[1]。この車はこのクラスでもポルシェがBMWフォードに対して優位にあることを示すために開発され、それは2回目のホッケンハイム・リンクに出場、優勝することで示された。この優勝車は現在は引退してポルシェミュージアムに展示されている。

エンジン[編集]

デゥイヴィジョン1に合致するようエンジンを1,425cc・370馬力に縮小してある。

935/78"モビー・ディック"

935/78 "モビー・ディック"[編集]

1978年さらに別のバージョン935/78が開発された。

ボディー[編集]

レギュレーションが大幅に緩くなり前後へのオーバーハング拡大が可能となったことを受けて、空気抵抗低減のためロングノーズ化・後部のロングテール化がなされ、その形状から「モビー・ディック」と呼ばれた。この異様な形状へのモディファイは(当時の)ル・マンの名物ストレート、ユノディエールでの直線スピードの優位性確保である。

コクピット周りだけがベース車両を残しており、前後シャーシは切り落とされパイプフレームに置き換えられている。

エンジン[編集]

3.2リットルに拡大、水冷式の4バルブのシリンダーヘッドに交換され、出力は950馬力(700kW)まで増加した。

ル・マン24時間レースで360km/h以上で走りストレートでは最も速い車でグループ6のポルシェ・936を簡単に追い抜くほどで、フロントとリアのダウンフォースの調整によりポルシェ・917に匹敵する390km/h(240mph)での走行も可能であった。

935K3

935 "K3"[編集]

グループ5規定の形骸化、人気の没落からポルシェがこれらのエボリューションモデルを新規製造・販売するのを躊躇したため、クレマー・レーシングのように自身でエボリューションモデルを開発したチームもあった。 「935 "K3"」はクレマー・タイプ3の略で成功したK2の改良型である。

レース戦績[編集]

1984年までにル・マン24時間レース、デイトナ24時間レースセブリング12時間レース、シルバーストーン6時間レースを含む150以上のレースで勝利を収めた。また1977年と1979年の3年間ドイツのDRMで不敗であり、IMSA GTXのクラス優勝、ニュルブルクリンク1000kmでの勝利も獲得している。 また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした。

1979年のル・マン24時間レースではワークスのポルシェ・936が全車リタイアし、クラウス・ルドヴィク(Klaus Ludwig )/ビル・ウィッティントン(Bill Whittington )/ドン・ウィッティントン(Don Whittington )組[2][3][4]が乗る935K3が全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝、この時の2位もロルフ・シュトメレン/ポール・ニューマン/ディック・バブアーのドライビングしたファクトリースペックの935/77A、3位も935/77Aだった。

日本での人気[編集]

レースにおける活躍とほぼ同時期に「スーパーカーブーム」が巻き起こった日本において、その人気の中心の1つとなったポルシェを代表するレーシングカーであることから、多くのラジコンプラモデルスーパーカー消しゴムの題材となった。当時から人気だったカラーリングは「1976年型・フラットノーズにマルティニカラー」で、「935=マルティニ」をイメージする人も少なくない。現在も当時のプラモデルの再発売や新製品が発売されるなど、935は世界的にも人気の高いレーシングカーのひとつとなっている。

出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 『Racing On』459号 pp.30-39「ポルシェ956前史 伝説の誕生」。
  2. ^ 『ル・マンの英国車』p.132「1979」。
  3. ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  4. ^ 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

ポルシェ A.G. 車両年表 1960年-
タイプ 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5
911 901 930 964 993 996 997 991
スポーツカー
356 928
スポーツカー 912 →E 924 924S 968 ケイマン(987) ケイマン(981)
914 944 ボクスター(986) ボクスター(987) ボクスター(981)
セダン パナメーラ(970)
SUV カイエン(955) カイエン(957) カイエン(958)
マカン
高性能車 550 904 959 GT1 カレラGT 918
コンセプトカー: 356/1 | 114 | 695 | 901 | EA266 | 989 | パナメリカーナ | 918
モータースポーツ: 64 | 80 | 360 | 550 | 718 | 787 | 804 | 904 | 906 | 907 | 908 | 909 | 910 | 914-6 GT | 917 | 934 | 935 | 936 | 953 | 956 | 961 | 962 | GT1 | WSC95 | RSスパイダー | 919ハイブリッド
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