ポウル・ニールセン

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ポウル・ニールセン Football pictogram.svg
名前
本名 ニールス・ポウル・ニールセン
愛称 Tist (ティスト)
ラテン文字 Niels Poul Nielsen
基本情報
国籍 デンマークの旗 デンマーク
生年月日 1891年12月25日
出身地 コペンハーゲン
没年月日 (1962-08-09) 1962年8月9日(満70歳没)
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1907-1927 デンマークの旗 ケベンハウンBK 201 (276)
代表歴
1910-1925[1] デンマークの旗 デンマーク 38 (52)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ニールス・ポウル・ニールセンNiels Poul Nielsen, 1891年12月25日 - 1962年8月9日)は、デンマークコペンハーゲン出身の元サッカー選手デンマーク代表史上最多タイの52得点を挙げた。現役時代のポジションはFW

経歴[編集]

1912年にはデンマーク代表としてストックホルムオリンピックに出場し、銀メダルを獲得した。クラブは生涯を通じてケベンハウンBKFCコペンハーゲンの前身クラブ)に在籍し、6度のデンマーク・リーグ優勝を果たした。

経歴[編集]

ストックホルムオリンピックのデンマーク代表メンバー。左から5番目がP・ニールセン

ニールセンがまだ子どもの頃、料金を支払わずにスタジアムに入ろうとしたことがあった。そのことが理由で、彼のニックネームは「ただ乗り」を意味する「Gratist」になり、それが省略されて「Tist」になった。コペンハーゲンに生まれ、選手キャリアを通じて在籍することになるケベンハウンBKでサッカーを始めた。1910年5月5日、デンマーク代表史上最年少の18歳131日でデンマーク代表デビューし、1908年にヴィルヘルム・ヴォルフハゲンが作った記録を塗り替えた。1918年、18歳51日でデビューしたヴァルデマル・ラウルセンに塗り替えられた。

ロンドンオリンピック閉幕後初の代表戦で代表デビューし、1912年にはストックホルムオリンピックのメンバーに選出された。出場機会はオランダ(4-1)戦の1試合に留まったが、代表出場3試合目となったこの試合で代表初得点を挙げた。デンマークは決勝でイギリスに2-4で敗れたものの、銀メダルを獲得した。ストックホルムオリンピック後、デンマーク代表では記録的なペースで得点を重ねた。ケベンハウンでは1913年と1914年にリーグ2連覇を果たした。1913年から1916年6月にかけて、ストックホルムオリンピック後最初の代表戦から9試合で22得点を挙げた。スウェーデンを10-0で破った試合ではひとりで6得点を挙げ、ドイツを4-1で破った試合ではひとりで4得点を挙げた。1916年6月時点では12試合出場23得点の成績を残している。

1917年、1918年、1922年、1925年にはケベンハウンでリーグ優勝し、デンマーク代表でもかなりの得点を挙げた。1923年10月14日には32試合目の出場を果たし、ソフス・ハンセンが1920年に樹立したデンマーク代表最多出場記録(31試合)を塗り替えた。1925年9月の試合が代表でのラストゲームとなった。38試合に出場して52得点を挙げているが、このうち26得点はノルウェーから挙げた得点であり、15得点はスウェーデンから挙げた得点である。52得点はデンマーク代表最多得点記録となり、長らく破られていない。2010年6月にはヨン・ダール・トマソンが52得点目を挙げてニールセンの記録に並んだ。最多出場記録(38試合)は、1931年6月にミカエル・ローデによって塗り替えられた。キャリアを通じてFIFAワールドカップに出場することはできず、世界の舞台に立ったのはストックホルムオリンピックのみである。

1962年8月、コペンハーゲンにて70歳で死去した。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

  • ケベンハウンBK
デンマーク・リーグ (6) : 1913, 1914, 1917, 1918, 1922, 1925

代表[編集]

  • デンマーク代表
ストックホルムオリンピック : 銀メダル

脚注[編集]

  1. ^ Poul "Tist" Nielsen - Century of International Appearances” (English). RSSSF. 2012年7月11日閲覧。

外部リンク[編集]