ポアンカレ予想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
予想の提唱者アンリ・ポアンカレ

(3次元)ポアンカレ予想(ポアンカレよそう、Poincaré conjecture)とは、数学位相幾何学)における定理の一つである。3次元球面英語版の特徴づけを与えるものであり、定理の主張は

単連結な3次元多様体は3次元球面 S3同相である、

\pi_1 ( M^3 ) = 0 \Rightarrow M^3 \cong S^3

というのものである[1][2]。 7つのミレニアム懸賞問題のうち唯一解決されている問題である。

概要[編集]

境界を持たないコンパクトな2次元曲面が、どのようなループであっても連続的に引き絞れば回収できるようであれば、その曲面は2次元球面に同相である。ポアンカレ予想は同様のことが3次元についても成り立つと主張する。

ポアンカレ予想は、1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された[3]。ポアンカレ予想は現在では「単連結な3次元閉多様体3次元球面英語版 S3同相である」と言われることが多い[1]。すなわち、境界を持たないドイツ語版(孤状)連結かつコンパクトな3次元多様体は、任意のループを1点に収縮できるならば、3次元球面 S3 と同相であるというものである。

ポアンカレ自身、デーンホワイトヘッド、古関 健一、コリンルーケ(Colin Rourke)、アイアンスチュアート(Ian Stewart)、ビング、などの数学者達がこの問題に挑戦した。初めに1932年ヘルベルト・ザイフェルトがザイフェルトファイバー空間の場合の証明をした。パパキリアコプロスは同値の予想を作ったがその度にマスキットなどに反証された。そしてロシアの数学者グリゴリー・ペレルマン2002年から2003年にかけてこれを証明したとする一連の論文[4]プレプリントサーバarXivに投稿した。これらの論文について2006年の夏頃まで複数の数学者チームによる検証が行われた結果、証明に誤りのないことが明らかになった。ペレルマンはこの業績によって2006年のフィールズ賞が贈られたが、本人は受賞を辞退した[5]

3次元閉多様体の分類については1970年代に提唱されたウィリアム・サーストン幾何化予想があり、これは3次元ポアンカレ予想を含意するものである[6]

次元の一般化

ポアンカレ予想は上の形のまま一般化しても成り立たないが、ポアンカレ予想の同値な言い換えには次のようなものがある。

3次元ホモトピー球面英語版S3同相である[7]

ここで n 次元ホモトピー球面とは、n 次元球面ホモトピー同値n 次元閉多様体のことである。一般の位相空間においてはホモトピー同値は同相よりも弱い概念であるが、その逆が3次元球面の場合には成り立つということである。そこで高次元には次のようにして一般化英語版できる。

n 次元ホモトピー球面は Sn と同相である。

歴史と背景

このようにポアンカレ予想を n 次元に一般化すると n = 2 での成立は古典的な事実であり、n ≥ 4 の場合は早くに証明が得られていた。n ≥ 5 の時はスティーヴン・スメイルあるいは山菅弘によって(Smale 1960)、n = 4 の時はマイケル・フリードマンによって(Freedman 1982)証明された。2人とも、その業績からフィールズ賞を受賞している。スメイルの証明は微分位相幾何学的なものであったが、フリードマンの証明は純粋に位相幾何学的なものである。実際、フリードマンの結果はその直後にドナルドソンによる異種4次元ユークリッド空間(位相的には通常の4次元空間だが、微分構造が異なるもの)の発見へとつながった。以上よりオリジナルである3次元ポアンカレ予想のみを残し、高次元ポアンカレ予想は先に決着してしまった(微分同相については4次元ポアンカレ予想も未解決である)。

一般向けの説明[編集]

「三次元」という修辞は(局所的には)三つの方向(前後・左右・上下、あるいは縦・横・奥行)に広がりを持つことを意味しており、三次元多様体三次元球面というのはは三次元的な地図を貼り合せてできる(一般には「曲がった」)空間の名称である。「三次元の(恐らく)曲がった空間」として一般にイメージしやすいのが我々のいる物理宇宙であって、だからたとえ話にはしばしば「宇宙」が用いられるけれども、この文脈においては「宇宙」は「三次元の曲がった空間の例」という意味以上のものではないことに注意すべきである(そもそも実際の宇宙が本当は何次元なのかさえ、はっきりわからないのである)。

NHKスペシャル『100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~』では、ポエナル博士の説明を改良し「宇宙の中の任意の一点から長いロープを結んだロケットが宇宙を一周して戻って来たとする。ロケットがどんな軌道を描いた場合でもロープの両端を引っ張ってロープを全て回収できるようであれば、宇宙の形は概ね球体である(ドーナツ型のような穴のある形、ではない)と言えるのではないか、というのが(3次元)ポアンカレ予想の主張である」などと説明している。ただしこれは一般向けの説明であり、球体のような形では閉多様体になりえず、また3次元空間内の3次元多様体は決して閉多様体とはならない。また、3次元球面と同相な多様体は「丸く」ある必然性もなく、「3次元として」、ヒョウタンのように「くびれて」いたりしてもかまわない。(「コーヒーカップ」と「ドーナツ」が「同じ」であるように。)

例えば地球を(凹凸を無視して)単純な球と考えるとき地表球面とみなせるから、地表の各地点は二次元の地図を使って表すことができて、ある地点の程近くでは真っ直ぐな平面とほとんど区別する必要はないという意味で「二次元」である。しかし全体としては曲がっていて、長さや角度などの全ての情報を正確に一つの地図で表すことはできない。我々は三次元を認識することができるから、球面を三次元空間に埋め込んで「外因的な情報」によって球面の全体を眺めることができて、それが間違いなく球面であることを理解できるが、ではそのような外因的な情報抜きに与えられた無数の地図という「内在的な情報」のみで地表が球面であることを決定することはできるだろうか、できるとすればどうすればよいだろうか?

これと同様の意味で、三次元の曲がった空間である三次元球面などの三次元多様体は四次元空間(あるいはより高次元の空間)に埋め込んでやらなければ「外因的な情報」によって全体を眺めることはできないのだけれど、われわれはそのような高次元の空間は認識できないので、認識できる「三次元」の「内在的な情報」のみからその全体を知る方法を用いなければならない。ポワンカレ予想は、ロープが引っかかることが起こり得るかどうかという(十分ゆるい)情報を使って「球面みたいなもの」とそれ以外ならば判別できることを主張するのである(それ以外のものをさらに区別するには、別な方法を用いて、より詳しい情報を得なければいけない)。

幾何化予想とペレルマン[編集]

2002年から2003年にかけて当時ステクロフ数学研究所に勤務していたロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張し、2002年11月11日に論文をプレプリント投稿サイトとして有名なarXivにて公表した。そのなかで彼はリチャード・ストレイト・ハミルトンが創始したリッチフローの理論に「手術」と呼ぶ新たな手法を付け加えて拡張し、サーストンの幾何化予想を解決して、それに付随してポアンカレ予想を解決したと宣言した。サーストンの幾何化予想とは、任意の素な3次元多様体はいくつかの非圧縮トーラスにより、幾何構造をもつピース(閉領域)に分解されるというものである[8]。さらに、幾何構造をもつ3次元多様体のモデルは8つあるというものである[8]。また、サーストンの幾何化予想は、任意の素な3次元多様体は、いくつかのグラフ多様体と双曲多様体を非圧縮トーラスにより張り合わせて得られると言い換えることもできる[1][8]。 ペレルマンは、特異点が発生する3次元多様体に対して、3次元手術つきリッチフロー(Ricci flow with surgery)を適用することによって幾何化予想を解決した[9]。手術とは、有限時間で生成する特異点の直前でシリンダー状の部分の切り口 S2 に沿って球面状のキャップをかぶせてそこに標準解と呼ばれるものを貼ることである[1][9][10]。ペレルマンは、この手術を特異点が生成する時空の点に限りなく近づける極限をとることにより、3次元リッチフローが有限時間での特異点を超えて標準的に延長することを証明した[1][9][11]

それ以来ペレルマン論文に対する検証が複数の数学者チームによって試みられた。原論文が理論的に難解でありかつ細部を省略していたため検証作業は難航したが、2006年5–7月にかけて3つの数学者チームによる報告論文が出揃った。

これらのチームはどれもペレルマン論文は基本的に正しく致命的誤りはなかったこと、また細部のギャップについてもペレルマンの手法によって修正可能であったという結論で一致した。これらのことから、現在では少なくともポアンカレ予想についてはペレルマンにより解決されたと考えられている。

ほとんどの数学者がトポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレルマンは微分幾何学物理学の手法を使って解いてみせた。そのため、解法の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレルマンの解説を聞いた数学者たちは、「まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、それがトポロジーではなく(トポロジーの研究者にとっては古い数学と思われていた)微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解説がまったく理解できないことに落胆した」という[12]。なお、証明には熱量エントロピーなどの物理的な用語が登場する。

2006年8月22日スペインマドリードで催された国際数学者会議の開会式においてペレルマンに対しフィールズ賞が授与された。しかしペレルマンはこれに出席せず、受賞を辞退した[5]

2006年12月22日、アメリカの科学誌「サイエンス」で科学的成果の年間トップ10が発表され、その第1位に「ポアンカレ予想の解決」が選ばれた[13][14]

賞金100万ドル[編集]

アメリカにあるクレイ数学研究所 (CMI) はポアンカレ予想をミレニアム懸賞問題の一つに指定し、証明した者に100万ドル(約1億円)の賞金を与えると発表している。ここでペレルマンが本賞を受賞するのかどうかが一部の関心を呼んでいた。彼は賞金を受け取る条件である「査読つき専門雑誌への掲載」をしておらず、コーネル大学(サーストンが在籍していた)の運営している科学系論文投稿サイトarXivに投稿したのみであり、また彼の証明はあくまでも要領を発表したに過ぎないという説もあった[15]

この件に関し、CMI代表のジェームズ・カールソンは次のように述べている[いつ?][どこ?]

CMIの規定では受賞資格者は必ずしも専門誌に掲載された論文の直接的な執筆者に限られるわけではない。ペレルマンが変則的な発表手段を採り、arXivへの掲載のみに留めて専門誌に投稿していないというそのこと自体は、彼が受賞する上での障害とはならない。CMIは、いずれにしてもあらゆる素材を吟味して証明の成否を判定し、しかるのち初めて授賞を検討するようである。

2010年3月18日、クレイ数学研究所はペレルマンへのミレニアム賞授賞を発表した[16]。これに関してペレルマンは以前、同賞を「受けるかどうかは、授賞を伝えられてから考える」と述べていたが、結局授賞式には出席しなかった。研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管されるという[17]

2010年7月1日、ペレルマンは賞金の受け取りを最終的に断ったと報じられた。断った理由は複数あり、数学界の決定には不公平があることに対する異議や、ポアンカレ予想の解決に貢献したリチャード・S・ハミルトンに対する評価が十分ではないことなどを挙げている。さらに、このことについて本人は「理由はいろいろある」と答えた[18]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 戸田正人 - リッチフローの基礎と三次元多様体の幾何学化
  2. ^ Eduardo Francisco Rêgo - On the Mechanics of the Poincaré Conjecture an Heuristic Tour.
  3. ^ John Milnor (2003年11月). “Towards the Poincaré Conjecture and the Classification of 3-Manifolds (PDF)”. Notices of AMS Volume 50, Number 10. American Mathematical Society. 2015年7月18日閲覧。
  4. ^ #さらに進んだ文献
  5. ^ a b Chang, Keneeth (2006年8月22日). “Highest Honor in Mathematics Is Refused”. The New York Times. 2015年7月9日閲覧。 “But Dr. Perelman refused to accept the medal, as he has other honors, and he did not attend the ceremonies at the International Congress of Mathematicians in Madrid.”
  6. ^ Michael T. Anderson (2004年2月). “Geometrization of 3-Manifolds via the Ricci Flow (PDF)”. Notices of AMS Volume 51, Number 2. American Mathematical Society. 2015年7月18日閲覧。
  7. ^ 小沢誠 - 幾何特論I(3次元多様体)p. 13
  8. ^ a b c 山口孝男 (2005年). “多様体の崩壊-ペレルマンの仕事まで (PDF)”. 日本数学会. p. 29. 2015年7月17日閲覧。
  9. ^ a b c 本間泰史 - リッチフロー
  10. ^ Lecture
  11. ^ HUAI-DONG CAO , XI-PING ZHU - A COMPLETE PROOF OF THE POINCARE AND GEOMETRIZATION CONJECTURES
  12. ^ NHKスペシャル 2007年10月22日放送分 『100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~』 より。解説を聞きに来た数学者のほとんどはトポロジーを専門としており、ペレルマンほどには微分幾何学や物理学に精通していなかったために彼の解説を理解できずに落胆したと言われている
  13. ^ 難問奇問と天才奇人数学者 ~ポアンカレ予想の解決~”. 2015年7月1日閲覧。
  14. ^ Breakthrough of the Year”. 2015年7月1日閲覧。
  15. ^ Destiny[リンク切れ]
  16. ^ Poincaré Conjecture”. Clay Mathematics Institute (2010年3月18日). 2015年7月1日閲覧。
  17. ^ “数学者ペレルマン、授賞式に姿見せず 懸賞金1億円”. (2010年6月8日). オリジナル2010年7月5日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100705120847/http://japanese.ruvr.ru/2010/06/08/9384710.html 2015年7月1日閲覧。 
  18. ^ “変わり者数学者、やっぱり賞金拒否 ポアンカレ予想解決”. 朝日新聞社. (2010年7月2日). オリジナル2010年7月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100704073921/http://www.asahi.com/international/update/0702/TKY201007020006.html 2015年7月1日閲覧。 

関連文献[編集]

さらに進んだ文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]