BO GUMBOS

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BO GUMBOS
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
活動期間 1987年 - 1995年
レーベル Epic/Sony Records
共同作業者 ローザ・ルクセンブルグ
ZELDA
旧メンバー 久富“どんと”隆司(vog
永井“Dr.TOSH?”利充(b
岡地明(dr
川上“Dr.kyOn”恭生(key・g)

BO GUMBOSボ・ガンボス)は日本ロックバンド1987年結成。1989年Epic/Sony Recordsよりデビュー。1995年解散。

メンバー[編集]

バンド名[編集]

当初、どんとと永井は「プッシャーズ」や「フラワーズ」といった名前を考えていたが、Kyonが「今の自分のテーマはガンボ・ミュージックだ。GUMBOという名前を入れてほしい」と主張したため、先ず「GUMBOS」となった。しかし何か物足りなく「人名と同じようにバンド名にも姓と名があっていいんじゃないか?」と感じたとき、スタジオ内でボ・ディドリーの曲がかかっていたので、それを足して「BO GUMBOS」となった。

来歴[編集]

1987年1月、ローザ・ルクセンブルグで活動中のどんと、永井の二人が、ドラムに岡地を迎えてセッションを始める。岡地は吾妻光良&スィンギンバッパーズ、ブレイクダウン等の活動で知られ、当時はブレイクダウンが活動休止中であったため「リハビリだけ」という事でセッションに付き合っていた。4月、ギタリスト&キーボーディストとしてKYONが加入。どんとの大学の先輩であり、当時はテレビ製作会社の社員であった。同年8月にローザ・ルクセンブルグのラストライブが終わり、程なく新バンドのデビューライヴが決まり9月バンド名を「THE BO GUMBOS」とする。

1987年11月22日、明治大学・生田校舎2003番教室にて行われた「生田祭“ハイパーデリックヘブンPART2”」にてデビューライヴ。共演はJAGATARAばちかぶり

1988年中頃までには「どんとが凄いバンドを作った」という評判は音楽業界では話題になっており、客席にはボ・ガンボギャルと呼ばれる派手な格好の女性ファンが増えていた。ちなみに1988年前半の東京での単独ライブ動員は200〜300人前後だったが、秋には500人規模のライヴハウス(INK STICK芝浦等)の連続公演を行っていた。 テレビ等のライヴ中継に加え、ビデオマガジン等でもライヴ映像が紹介され、デビュー前には既に全国に名前が知れ渡っていた。ただし、バンド名は誤表記が多く、雑誌などでは「ボンガボス」「ボガンドス」「ザ・ガンザス」等と書かれていたためバンド名から「THE」を除いた。

各社争奪戦の上、10月Epic/Sony Recordsとレコード契約。

1989年2月1・2日、初のホール単独ライヴを中野サンプラザで行う。4月21日、ビデオ「宇宙サウンド」とシングル「時代を変える旅に出よう」の同時発売でレコードデビュー(ビデオデビューは特徴的であったが、1987年に「THE BLUE HEARTS」も同様にビデオでメジャーデビューをしていた)。ビデオは2月19日浅草常盤座にてライヴ収録されたもの。

4月、1stアルバムレコーディングをニューオリンズで行い、同時にJAZZ & HERITAGE FES.等に出演。レコーディングにはボ・ディドリーシリル・ネヴィル等が参加した(その模様は2ndビデオに収録された)。5月、日比谷野外音楽堂にて凱旋ライヴ。7月、1stアルバム『BO & GUMBO』を発表。収録曲はライヴでの定番曲ばかりであり、デビューアルバムにもかかわらずEPICの宣伝材料には「新曲2曲を含む」と書かれていた事からも、デビュー前の認知度がうかがえる。8月、2ndビデオと2ndシングル「BO GUMBOS」発表。この曲はニューオリンズ・レコーディングの際、ボ・ディドリーから贈られた曲で、共演シングルとなった。

9月はボ・ディドリーとの共演ツアー。このツアーでどんとは声帯を痛める。10月から翌年1月まで中野サンプラザにてマンスリーライヴ。大晦日はレコード大賞授賞式出演で日本武道館のステージに立つ。「アルバムニューアーティスト賞」受賞。衣装もそのまま幕張メッセにてイベント「R&R BAND STAND」出演。その後INK STICK芝浦FACTORY閉店オールナイトにも参加。

1990年2月には「サンプラザマンスリー総集編」をNHKホールにて行う。3月、3rdシングル「ナイトトリッパー・イェー!!/ 最後にひとつ」を発表。9月、シングル「誰もいない」と2ndアルバム『JUNGLE GUMBO』を発表。このアルバムは東京で録音し、ニューヨークELECTRIC LADY STUDIOでミックスダウンした。

同月、フリーコンサート「HOT HOT GUMBO '90」を代々木公園野外音楽堂にて開催。ビデオシューティングをかねてのものだが、発売間近の2ndアルバムからは 「ちんちろりん」1曲のみ演奏というアルバムのプロモーションをまるで無視したライヴだった。11月ビデオシングル「魚ごっこ」を発表。12月、先の「HOT HOT GUMBO '90」をビデオ発売、ホールツアーを開始(翌年1月まで)。

1991年3月、4月ファンクラブ会員限定ライブを高円寺JIROKICHIにて開催。ほぼ新曲だけによるライヴ。7月、エストニア共和国(当時ソビエト連邦)でのライヴイベント出演。共演はジェスロ・タルレニングラード・カウボーイズ等。10万人の観客の前で「なまずでポルカ」等を演奏。8月、横浜寿町フリーコンサート、青森六ヶ所村の夏祭り、横浜本牧ジャズ祭などに出演。31日には「HOT HOT GUMBO '91」を静岡県下田吉佐美大浜にて開催、12月にビデオ発売。この年の新作レコード・リリースは無かったが、オムニバス・アルバム『BEAT EXPRESS CLUB』(9月1日発売)に1stアルバム録音時の未発表録音「まっくろけ (EXTENDED VERSION)」を収録。

1992年2月、『ULTRAVELIN' ELEPHANT GUMBO』を発表。渋谷ON AIR日比谷野外音楽堂などでのライヴをベーシックトラックにスタジオでオーバーダブし完成されたこのアルバムはボ・ガンボスのアルバム中、最もバンドのダイナミズムを音盤化できたものだった。8月、京都大学西部講堂前特設ステージにて「HOT HOT GUMBO '92」を開催。バンドメンバーの演奏する街頭パレードも行われた。どんと20代最後のコンサート。このライヴが日本の音楽史に残るものであるのは12月に発表された同名ライヴ・ビデオでも確認できるが、関西での開催ゆえか全国的な認知度はあまり高くない。この日の観客には、ソウル・フラワー・ユニオンなど、関西の多くのミュージシャンもいた。「ボ・ガンボスのライヴは20回ぐらい観た」というソウル・フラワー・ユニオンの中川敬も、この日のライヴを「彼らのベスト・ライヴ」と証言している。

1993年元旦、カウントダウンライヴを沖縄で行う。前年から録り溜めていた録音をラジオショー形式にし4月、4thアルバム『BO GUMBO RADIO SHOW"Gris Gris Time"』として発表。喜納昌吉、ボ・ディドリーとの共演を含むこのアルバムは、曲を創ったらすぐレコーディングすることをコンセプトに伊豆、沖縄、東京でレコーディングされた。

7月、シングル「カーニバル」発売。9月「HOT HOT GUMBO '93」を六本木PITT INNにて2日間開催。この年は全編カバー曲のみのライヴで、各日オールナイト3部構成入れ替え制だった。

9月、5thアルバムからの先行シングルとして「恋をするなら」を発表。12月、僅かに延期されたが5thアルバム『GO』と、先の「HOT HOT GUMBO '93」をビデオで発表。『GO』はバンド結成当初とは完全に別の方向に向かってしまったどんとの楽曲志向がうかがえる。どんとの創った曲をバンドで演るというコンセプトで創られたアルバム。純粋なスタジオアルバムとしてはベストとする評価もある。12月から翌年2月まで、カバーツアー「THE KING OF ROCK'N ROLL」。

1994年1月カバーツアーCD第1弾「THE KING OF ROCK'N ROLL」をFILE RECORDS内にBO RECORDSを立ち上げ発表。3月〜5月「DYNANITE SOUL SHOW」ツアー、カバーツアーCD第2弾「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」を5月に発表。6月〜8月「JUNGLE BEAT」ツアー、カバーツアーCD第3弾「THE JUNGLE BEAT GOES ON」を7月に発表。後の「ロッキング・オン・ジャパン」でのどんとのインタビューによると、このカバーツアーがバンドの経済的負担を大きくしたようだ。カバーツアーの企画自体はレコード会社からの提案だったそうだが、メンバーからの反対は特になかったと言う。

11月、高円寺JIROKICHIにてほぼ新曲のみのファンクラブ限定ライヴを2日間行い、そのまま「BO GUMBOSの新しい夜明け」ツアーを行うが夜は明けず、ツアーの合間にどんとはバンド内で脱退を表明。12月31日クラブチッタでの年越しライブをもってバンドは活動休止状態となった。

1995年5月、前年12月30日新宿リキッドルームでのライヴを「GO GO KING LIVE!」として発表。アルバムはKYONのプロデュースによって完成。同時にデビュー直前のライヴ音源を含むライヴ・ベスト・アルバム『ずいきの涙』を発表。

5月から6月まで「解散TOUR"BO GUMBOS BOGAAAA〜N!!"」ツアー。6月11日、日比谷野外音楽堂が最終ライヴ。アンコール1回目「あこがれの地」を終えて、永井はガールフレンドの急病により病院に向かう。アンコール2回目「どろんこ道を二人」「見返り不美人」のベースは、当時のEPICソニーの担当ディレクター、名村武(アン・ルイスのバックバンド“ブラッド・ショット”の元メンバー)が勤めた。飛び入りゲストはローザ・ルクセンブルグの玉城宏志。大阪ではソウル・フラワー・ユニオンがゲスト参加した。

10月、ビデオ「タイム・ボガーン!〜ボ・ガンボス解散」を発表。当初は90分程度の内容を予定していたが、最終的にほぼ完全収録版となった。カットされたのはアンコール1、2回目の間のどんと+玉城による「橋の下」、KYONによる「メリーゴーランド」等。

1995年、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬による選曲、リマスタリングの『ベスト・オブ・ボ・ガンボス』発表。2ndアルバム制作時シングル用に再レコーディングされた未発表の「魚ごっこ」を含む。

1999年、福島県獏原人村の満月祭に小嶋さちほとともに出演。

2000年1月27日、脳内出血によりハワイにて、どんと永眠。享年37。2月頃、ファンの有志で「ボ・ガンボスCD&ビデオ再発委員会」が作られ、ライヴイベント、レコード店等で署名運動が行われた。当時ボ・ガンボスの商品は『ベスト・オブ・ボ・ガンボス』以外は店頭在庫のみとなっていた。

7月、カバーライヴアルバムを除くEPIC全タイトルのアルバムとビデオが再発された。同時にレコード会社から「永久に廃盤にしない」という表明があった。VHSからDVDへのメディア移行はあったが、現在でもカタログに残っている。2003年に行われたEPIC25周年イベントではボ・ガンボスの演奏は当然なかったが、イベント開始は「あこがれの地へ」、終演は「Sleepin'」が場内に流された。この事からも、佐野元春などと共に、ボ・ガンボスがEPIC史に残る重要なアーティストだった事がうかがえる。

12月、レコード契約前の京都・磔磔でのライヴ盤『LIVE at 磔磔 1988.07.11』が発表された。京都GATOR WOBBLE LABELによって8chレコーダーで録音されたものの商品化。(Oooit Records/UK PROJECTより)

2005年、デビュー15周年としてトリビュートアルバム『Colla Bo Gumbos Vol.1』がEPICよりリリース。THE HIGH-LOWS甲本ヒロトYO-KING麗蘭奥田民生UAソウル・フラワー・ユニオン渡辺美里等が参加した。プロデュースはKYON。同時に廃盤のままであったシングル曲が『BO GUMBOS SINGLE COLLECTION』として1枚に纏められ、FILE RECORDSのカバーライヴ3タイトルも再発された。VHSでの販売だった7タイトルのビデオも2in1でDVD化され、「宇宙サウンド/Walkin' to New Orleans」にはデビュー前に制作されたメンバー紹介フィルムと、市場からすぐに消えたビデオシングル「魚ごっこ」が追加された。

2006年11月、2枚組未発表録音集「Get On Up〜History Of Bo Gumbos Vol.1〜」を発表。KYONによるプロデュースで、一部に「勝手にしやがれ」のホーンセクションがオーバーダブされている。2枚目はDVDで未発表、未商品化のライヴ映像集。特典映像で3人のメンバーとディレクター名村による座談会「GumBo SymPo 2006」が収録されている。

2007年7月10日新宿ロフト、7月12日京都・磔磔の2本のみ、結成20周年を記念して、「3/4 GUMBOS」と題して、Dr.kyOn, Dr.TOSH?, 岡地曙裕の3人だけで、BO GUMBOSの曲を中心に演奏するワンマンライブが行われた。12月1日Dr.kyOn, Dr.TOSH?, 岡地曙裕が、「3/4 GUMBOS」名義で京都大学西部講堂で開催された「みやこ音楽祭」に出演。

2008年3月30日Dr.kyOn, Dr.TOSH?, 岡地曙裕が、「BO GUMBO3」(ボ・ガンボスリー)名義で大阪城野外音楽堂で開催された「SAL CULTURE」(ボロフェスタ)に出演。その後も「BO GUMBO3」として大阪服部緑地野外音楽堂での「祝春一番2008」、ライヴ・ハウス・ワンマンなど、継続してライブ活動を行っている。

2015年1月28日『BO & GUMBO』(1989)の発売25周年記念企画である3CD+DVDボックス『1989』発売。CDは新規リマスター盤、未発表音源集、新規ミックスダウン盤の3枚。DVDは初ライヴビデオ『宇宙サウンド』に未商品化映像を追加収録。監修:Dr. kyOn。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • 時代を変えるたびに出よう(1989年4月21日)
  • BO GUMBOS(1989年9月21日)
  • ナイトトリッパー・イェー!!/最後にひとつ(1990年3月1日)
  • 誰もいない(1990年9月1日)
  • カーニバル(1993年7月21日)
  • 恋をするなら(1993年9月22日)

アルバム[編集]

  • BO & GUMBO(1989年7月1日)
  • JUNGLE GUMBO(1990年9月21日)
  • ULTRAVELIN' ELEPHANT GUMBO(1992年2月21日)
  • BO GUMBO RADIO SHOW “GRIS GRIS TIME”(1993年4月21日)
  • GO(1993年12月12日)
  • THE KING OF ROCK`N'ROLL(1994年1月21日)(カバー・ツアーライヴ第1弾)
  • SHOUT!(1994年5月1日)(カバー・ツアーライヴ第2弾)
  • JUNGLE BEAT GOES ON(1994年7月25日)(カバー・ツアーライヴ第3弾)
  • ずいきの涙〜BEST OF BO GUMBOS LIVE RECORDINGS〜(1995年5月21日)(ライヴ・ベストアルバム)
  • GO GO KING LIVE!(1995年5月21日)(ラスト・アルバム)
  • LIVE at 磔磔 1988.07.11(2000年12月8日)(解散後インディレーベルより発表されたエピック契約以前のライヴ盤)
  • Get On Up〜History Of Bo Gumbos Vol.1〜 (2006年11月15日)(エピックに残された未発表曲及び未発表映像集)

編集盤[編集]

  • ベスト・オブ・ボ・ガンボス(1995年10月21日)中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)選曲・マスタリング・ライナーノーツ
  • BO GUMBOS SINGLE COLLECTION(2005年1月26日)
  • 1989(2015年1月28日)

ビデオ[編集]

  • 宇宙サウンド(1989年4月21日)
  • Walkin' to New Orleans(1989年9月21日)
  • 魚ごっこ(1990年11月1日)(VIDEO SINGLE DISC)
  • HOT HOT GUMBO '90(1990年12月1日)
  • HOT HOT GUMBO '91(1991年12月12日)
  • HOT HOT GUMBO '92(1992年12月2日)
  • HOT HOT GUMBO '93(1993年12月22日)
  • タイムボガーン!ボ・ガンボス解散(1995年10月21日)

『タイムボガーン!ボ・ガンボス解散』はVHSのみの発売。「魚ごっこ」は短命に終わったVIDEO SINGLE DISCのみの発売。それら以外はVHS、β、レーザーディスクでの発売。2000年7月19日、VHSにて全タイトル再発。

DVD[編集]

  • 宇宙サウンド/Walkin' to New Orleans(2005年1月26日)
  • HOT HOT GUMBO '90/HOT HOT GUMBO '91(2005年1月26日)
  • HOT HOT GUMBO '92/HOT HOT GUMBO '93(2005年1月26日)
  • タイムボガーン!ボ・ガンボス解散(2005年1月26日)

『宇宙サウンド/Walkin' to New Orleans』には未発売映像と共にVIDEO SINGLE DISCの「魚ごっこ」を収録。『HOT HOT GUMBO '90』収録曲「ちんちろりん」は曲の一部が自主規制音で消されている。

トリビュートアルバム[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]