ボンゴ・フューリー
『ボンゴ・フューリー』 | |||||
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フランク・ザッパ /キャプテン・ビーフハート の スタジオ録音を含むライブ・アルバム | |||||
リリース | |||||
録音 |
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ジャンル | ハードロック[1]、プログレッシブ・ロック[1]、プロト・パンク[1]、ブルースロック[1]、その他いろいろ | ||||
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プロデュース | |||||
専門評論家によるレビュー | |||||
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チャート最高順位 | |||||
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フランク・ザッパ アルバム 年表 | |||||
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キャプテン・ビーフハート アルバム 年表 | |||||
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ボンゴ・フューリー (Bongo Fury) は、1975年にリリースされたフランク・ザッパ率いるザ・マザーズ・オブ・インヴェンション[注釈 1](MOI)とキャプテン・ビーフハート(ドン・ヴァン・ヴリート)のライブ・アルバムである。
概要
[編集]このアルバムの大部分を占めるライブ演奏は、1975年5月20日から21日にかけてテキサス州オースティンのアルマジロ世界本部 (Armadillo World Headquarters) で録音された。スタジオ音源は1974年の1月、前作『ワン・サイズ・フィッツ・オール』や『スタジオ・タン』の大部分が制作されたセッション期間中に録音された[注釈 2][5]。
本作はザッパの膨大なディスコグラフィ全体の中でも、とりわけ重要な作品の1つとなっている。1974年以降の『アポストロフィ (')』や『ロキシー&エルスウェア』などのアルバムで大々的に活躍していたMOIのメンバーの多くにとって、ザッパとの共演は本作が最後となる。ナポレオン・マーフィー・ブロックは「キャロライナ・ハードコア・エクスタシィ」における3声のハーモニーのみならず、のたうち回るような「アドヴァンス・ロマンス」においてもヴォーカルを務めている。一方、1978年までドラマーとしてザッパのバンドの中核を担っていくことになるテリー・ボジオが初めて参加したアルバムとしても知られる。
キャプテン・ビーフハートは、彼にとってはおそらく唯一となったザッパのバンドとのツアー[6]で、2つの短い詩の朗読「角刈りのサム」「マン・ウィズ・ザ・ウーマン・ヘッド」を含めたいくつかの曲でヴォーカルを披露している。
収録曲
[編集]いずれもフランク・ザッパ/マザーズとキャプテン・ビーフハートの共演である。#3、#8のみドン・ヴァン・ヴリート作曲[注釈 3]、他はフランク・ザッパ作曲である。
- デブラ・カダブラ ("Debra Kadabra") - 3:54
- キャロライナ・ハードコア・エクスタシィ ("Carolina Hard-Core Ecstasy") - 5:59
- 角刈りのサム ("Sam With the Showing Scalp Flat Top") - 2:51
- ワイオミングの街の二百年祭 ("Poofter's Froth Wyoming Plans Ahead") - 3:03
- 200イヤーズ・オールド ("200 Years Old" (studio)) - 4:32
- クカモンガ ("Cucamonga" (studio)) - 2:24
- アドヴァンス・ロマンス ("Advance Romance") - 11:17
- マン・ウィズ・ザ・ウーマン・ヘッド ("Man With the Woman Head") - 1:28
- マフィン・マン ("Muffin Man") - 5:34
参加メンバー
[編集]- フランク・ザッパ - ギター、キーボード、ヴォーカル
- テリー・ボジオ - ドラム
- ナポレオン・マーフィー・ブロック - サクソフォーン、ヴォーカル
- キャプテン・ビーフハート - ハーモニカ、ハープ、ヴォーカル、パフォーマー、狂気
- ジョージ・デューク - キーボード、ヴォーカル
- ブルース・ファウラー - トロンボーン、ダンサー
- トム・ファウラー - ベース、ダンサー
- チェスター・トンプソン - ドラム(#5、#6のみ)
- デニー・ウォーリー - ヴォーカル、スライドギター
製作
[編集]- プロデューサー - フランク・ザッパ
- エンジニア - マイケル・ブラウンシュタイン、フランク・フーバッハ、ケリー・コテラ、ケリー・マクナブ、デイヴィ・モイア、ボブ・ストーン、マイク・D・ストーン
- デザイン - カル・シェンケル
- 写真 - ジョン・ウィリアムズ
チャート
[編集]アルバム
- 1975年 - ビルボード・ポップ・アルバム…66位
ジャケット
[編集]ジャケットに使用された写真は、カリフォルニア州ランカスターのフォスターズ・フリーズ(Fosters Freeze)のソフトクリーム屋で、写真家のジョン・ウィリアムスによって撮影された[7]。当地のアンテロープ・バレーの高校の同期生で約20年前の在校中は親友同士だったザッパとビーフハート[注釈 4][8]が、それぞれソフトクリームと紙コップを持って机を挟んで座ってカメラに向かっており、一切の文字が廃されて静謐かつ緊張感が溢れている[注釈 5]。ビーフハートの顔の両眼から上は帽子に隠れており、彼の表情は窺い知れない。
ビーフハートが着ているオレンジ色のシャツは男物のはずだが、ボタンは左側についている。オーストラリア盤のジャケットは写真をカットする位置が他国盤のジャケットと異なってザッパの頭上の壁に掲げられた広告ポスターの下部が写っており、"CHOCOLATE SUNDAE"が裏返しになった"EADNUS ETALOCOHC"の文字が見える。これらの証拠から、裏焼きされた写真がジャケットに使用されたことが明らかである[7]。その理由は不明である。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本作はザッパの新作アルバムとしては、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの名が名義に含まれた最後のものになった。次作の『ズート・アリュアーズ』(1976年)以後、ザッパの新作アルバムは、参加ミュージシャンの顔ぶれを問わず全てフランク・ザッパ名義となった。
- ^ 本作に収録された2曲のスタジオ録音曲にはいずれもヴァン・ヴリートが参加しており、彼は「200イヤーズ・オール」でリード・ボーカルとバッキング・ボーカル、「クカモンガ」でハーモニカを担当した。アルバムには「スタジオ録音は1974年1月と2月に行なわれた」旨が記されたが、バンクーバー在住のザッパ愛好家であるチャールズ・ウルリッヒは著書"The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa" (ISBN: 978-1-55420-146-4) の41ページで「スタジオ録音は1974年ではなく1975年に行なわれた」と指摘している。ザッパとヴァン・ヴリートの関係は、1969年にザッパがプロデュースしたキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのサード・アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を巡って少しずつ険悪化して、2人は1970年代にはすっかり疎遠になっていた。また、ヴァン・ヴリートは1974年初頭にはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの新作を制作していた。これらのことから、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが活動を停止した1974年11月の後、ヴァン・ヴリートがザッパと共同活動することに合意して本作のスタジオ録音に参加したと仮定すると、ウルリッヒの指摘が正しい可能性がある。あるいは、ザッパ達だけで1974年初めに録音した未発表音源に、ヴァン・ヴリートが1974年の末か1975年にボーカルやハーモニカを重ねた可能性もあろう。
- ^ ウルリッヒは、この2曲はヴァン・ヴリートが作詞してマザーズが即興で伴奏をつけたとしている。
- ^ ザッパとヴァン・ヴリートはAntelope Valley High Schoolの同級生。ザッパは父親の転勤でサンディエゴの高校から転入してヴァン・ヴリートに出会った。両名はR&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになった。1964年、ヴァン・ヴリートはザッパが製作していたSF映画の主人公の名前を自分のステージ名にした。1968年、ザッパは、ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドを自分が同年に設立したストレイト・レコードに招き、『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)のプロデューサーを務めた。1958年から1964年までに2人が録音した音源の幾つかは、ザッパの未発表音源集『ロスト・エピソード』(1996年)と『ミステリー・ディスク』(1998年)に収録された。
- ^ マザーズ・オブ・インヴェンションのオリジナル・ドラマーで、ヴァン・ヴリートが本ツアーの後で再結成したキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに参加したジミー・カール・ブラックは、「フランク(ザッパ)はいつもドン(ヴァン・ヴリート)を妬んでいたと思う。何故なら、彼は決してドンほど前衛的にはなれなかったから」と回想した。さらにブラックは「2人は全くうまくいかなかった。ツアーでエル・パソに来た時も、フランクはドンに口をきこうともせず、全く無視していた。ドンはフランクに角としっぽをつけた悪魔の絵を描き、フランクはそれを本当に嫌っていた」と述べた。ザッパは1993年にBBCのインタビューで「簡単ではなかったけれど、数週間だけだったから」と述べた。
出典
[編集]- ^ a b c d Planer, Lindsay. “Review of Bongo Fury”. Allmusic. 2008年1月25日閲覧。
- ^ norwegiancharts.com - Frank Zappa & Captain Beefheart - Bongo Fury
- ^ dutchcharts.nl - Frank Zappa & Captain Beefheart - Bongo Fury
- ^ “Chart & Awards for Bongo Fury”. Allmusic. 2008年1月25日閲覧。
- ^ Ulrich (2018), pp. 41–46.
- ^ Barnes (2011), pp. 207–213.
- ^ a b Ulrich (2018), p. 41.
- ^ Barnes (2011), p. 213.
引用文献
[編集]- Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6
- Ulrich, Charles (2018). The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa. Vancouver: New Star. ISBN 978-1-55420-146-4