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ボルフラード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボルフラード

Болград (ウクライナ語) (Bolhrad)
救世主顕栄大聖堂
救世主顕栄大聖堂
ボルフラードの旗
ボルフラードの紋章
紋章
ボルフラードの位置(ウクライナ内)
ボルフラード
ボルフラード
ボルフラードの位置(オデッサ州内)
ボルフラード
ボルフラード
座標:北緯45度40分2秒 東経28度36分46秒 / 北緯45.66722度 東経28.61278度 / 45.66722; 28.61278座標: 北緯45度40分2秒 東経28度36分46秒 / 北緯45.66722度 東経28.61278度 / 45.66722; 28.61278
 ウクライナ
オデッサ州の旗 オデッサ州
ラヨン(ラヨン) ボルフラード地区ウクライナ語版英語版[1]
フロマーダ ボルフラード・フロマーダ[1]
ボルフラード
設立 1821年
面積
 • 合計 94 km2
標高
75 m
人口
(2021年)推計[2]
 • 合計 14,962人
 • 密度 160人/km2
等時帯 UTC+2 (東ヨーロッパ時間 (EET))
 • 夏時間 UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間 (EEST))
郵便番号
68700—706
市外局番 +380-4846
区画コード[注釈 1] UA51060030010048411[1]

ボルフラード (ウクライナ語: Болгра́д, 発音 [boɫˈɦrɑd]; ブルガリア語ロシア語: Болград, ボルグラード; ルーマニア語: Bolgrad) は、ウクライナ南西部オデーサ州ブジャク歴史的地域に位置する規模の小さいである。ボルフラード地区ウクライナ語版英語版(ラヨン)とその下位行政区分であるボルフラード・フロマーダのそれぞれの行政の中心である[1]。人口は2021年推計で14,962人[2]

歴史

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歴史的帰属

ボルフラードは、住民から「我が市の創設者」として「崇敬」を受けているイヴァン・インゾフウクライナ語版英語版将軍の指揮の下、ブルガリア人英語版入植者によって1821年にベッサラビアに設立された

[4]。 ボルフラードは、1856年から1859年の間はモルダヴィアの、ソビエト連邦(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の領土内)に取り込まれる前は、1859年から1878年、1918年から1940年, そして1941年から1944年の間はルーマニア、そして後に独立したウクライナの一部となった。1921年、市の宮殿においてテロリストによる攻撃があった[5]

人口統計

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人口推移
人口±%
1930 14,280—    
1941 10,713−25.0%
2001 17,353+62.0%
2011 (推計) 15,479−10.8%

囲まれているボルフラード地区では、 圧倒的にブルガリア系(大多数の61%)の人口が多いが、ボルフラード自体は多数のベッサラビア・ブルガリア人英語版が居住しており、地元住民からはベッサラビアブジャク歴史的地域の非公式な首都と考えられている。

経済

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1920年には、ボルフラードは石炭産業を有していた[6]

教育

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ボルフラード高校

1858年に創立されたGeorgi Sava Rakovski ボルフラード高校は、ブルガリアの民族再生運動英語版期の最古の高校である[7][8]

著名住人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 地理情報の符号化によってウクライナの地方自治体の行政区画ごとに付けられた識別符号[3]

出典

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  1. ^ a b c d Болград - Одеська область”. decentralization.gov.ua. 2022年7月2日閲覧。
  2. ^ a b Чисельність наявного населення України на 1 січня” (PDF) (ウクライナ語). Державна служба статистики України. p. 35 (2021年). 2022年7月2日閲覧。
  3. ^ Кодифікатор адміністративно-територіальних одиниць та територій територіальних громад” (ウクライナ語). ukrstat.gov.ua. 2022年7月6日閲覧。
  4. ^ Куемжи, Мария, Болградский Историко-Этнографический Музей (Bolhrad, Odes'ka Oblast, Ukraine; Фонд им. И.Н. Инзова, 2007)
  5. ^ “Bomb in Bolgrad Palace Kills 100 Guards, Report”. Chicago Tribune. (1921年12月14日). http://archives.chicagotribune.com/1921/12/14/page/3/article/wells-writes-of-war-debts-an-improper-topic/ 2017年1月19日閲覧。 
  6. ^ Kaba, John (1919). Politico-economic Review of Basarabia. United States: American Relief Administration. p. 27. http://www.wdl.org/en/item/7313/view/1/27/ 
  7. ^ Манолова, Надя (2008年). “150 години Болградска гимназия” (ブルガリア語). Държавна агенция за българите в чужбина. 2009年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月19日閲覧。
  8. ^ “Болградска гимназия „Свети свети Кирил и Методий“” (ブルガリア語). Българска енциклопедия А-Я. БАН, Труд, Сирма. (2002). ISBN 954-8104-08-3. OCLC 163361648 

外部リンク

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