ボリビアーノ
| ボリビアーノ | |
|---|---|
| boliviano boliviano | |
10 centavos to 5 bolivianos | |
| ISO 4217 コード | BOB |
| 中央銀行 | ボリビア中央銀行 |
| ウェブサイト | www |
| 使用開始日 | 1 January 1987 |
| 使用 国・地域 | Bolivia |
| インフレ率 | 4.3% |
| 情報源 | The World Factbook, 2009 est. |
| 補助単位 | |
| 1⁄100 | センターボ |
| 通貨記号 | Bs[1][2] |
| センターボ | c.[1] |
| 硬貨 | c.10, 20, 50; Bs1, 2, 5[1] |
| 紙幣 | Bs10, 20, 50, 100, 200[1] |
ボリビアーノ (boliviano) は、南米・ボリビアの通貨単位。複数形はボリビアーノス (bolivianos)。略称Bs(単数形複数形とも)[1][2]。
概要
[編集]1・2・5ボリビアーノスは硬貨で、10・20・50・100・200ボリビアーノスは紙幣である。
1ボリビアーノの100分の1であるセンターボも補助単位として用いられており、10・20・50センターボ硬貨がある。1・2・5センターボ硬貨も存在するが、減価により現在はほとんど流通していない。
1980年代中頃、ボリビア経済は政情不安に端を発した激しいインフレーションに見舞われ、1985年には年8,171%に達した(前年同月比では同年9月に24,000%を記録)。当時、紙幣の印刷が欧州の企業に委託されていたが、日数の嵩む大西洋航路(欧州 - ブラジル間)を経て、紙幣が陸路でブラジルから届く頃には、紙切れ同然まで減価が進んでいたと言う。
この問題に対処するため、1986年11月27日、100万分の1のデノミネーションを骨子とした通貨改革法が成立。翌1987年1月1日に旧100万ペソを1ボリビアーノとするデノミネーションが実施された。
同時期に通貨単位の切り下げと物価凍結令(期限付き)がセットになったインフレ抑制策を実施した近隣諸国(いずれも短期間で頓挫→インフレ再燃)と異なり、インフレの根原である財政赤字の解消を目的とした国営部門の民営化と人員削減が徹底的に実施された結果、失業問題が深刻化。職を求めて近隣諸国(アルゼンチンなど)へ越境する単純労働者が急増した。ただし、1985年当時のボリビア同様、これらの国々でも1987年以降は経済の破綻が進行したため、この頃を境に出稼ぎ労働者の多くはボリビア本国に帰還している。
1964年の軍事クーデターで失脚するも、民政移管(1982年)後の1985年に大統領職への3度目の復帰を果たしたビクトル・パス・エステンソロは、元々は農地改革など社会主義的な政策の実現を訴えていた政治家であったが、アメリカの経済学者からの進言を受け入れる形で「インフレ問題の解決には経済の自由化と財政の健全化が必須」と従来の方針を180度転換。加えて、暗礁に乗り上げていた累積債務問題に関しても、債務そのものの減免をも含めた返済スケジュールの抜本的な見直しを債権国・金融機関に対して求めた。多くの副作用を伴う苦しい道のりではあったが、パスが職を退任した1989年にはインフレ率が当時の中南米では最低水準の年20%台まで鎮静化、現在に至る。
対日本円の交換レートは1ボリビアーノ当たり約15円(2020年3月現在)。インフレの収束が鮮明になった80年代後期(1米ドル=2ボリビアーノ前後で推移)に比べ、対主要国通貨で1/4程度まで減価したものの、変動相場制に完全移行した1985年以降下落基調が続いている隣国・パラグアイのグアラニーより、その幅は小さい。

紙幣
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1987年、最後のボリビアーノ・ペソ紙幣および小切手(cheques de gerência)に、セントアボスおよびボリビアーノの額面が重ね刷りされ、1、5、10、50セントアボス、および1、5、10ボリビアーノの暫定紙幣が発行された。同年、2、5、10、20、50、100、200ボリビアーノの額面の正規紙幣が発行された。2ボリビアーノ紙幣は1991年に硬貨に置き換えられ、5ボリビアーノ紙幣も2001年に同様の措置が取られたが、ボリビア中央銀行は2013年まで5ボリビアーノ紙幣を「流通中」としてリストアップし続けていた。2013年、2ボリビアーノおよび5ボリビアーノ紙幣は正式に流通から外された[3]。
ボリビアーノ紙幣には著名な歴史的人物が描かれている。
2018年、ボリビア中央銀行(Banco Central de Bolivia)は新しい紙幣シリーズを発表した。これらの紙幣には、同国の多文化主義とすべての国民を反映させるため、ボリビアの正式名称である「Estado Plurinacional de Bolivia」(ボリビア多民族国家)が初めて記載されている。
| 画像 | 額面 | 主色 | 表面 | 裏面 | 透かし |
|---|---|---|---|---|---|
| 2ボリビアーノ | 灰色 | アントニオ・バカ・ディエス | パンドの避難所 | Simón Bolívar | |
| 5ボリビアーノ | 緑色 | アデラ・サムディオ | ソカボン教会 | ||
| 10ボリビアーノ | 青色 | セシリオ・グスマン・デ・ロハス | コチャバンバの「コロニージャの英雄たち」記念碑 | ||
| 20ボリビアーノ | 橙色 | パンタレオン・ダレンス | タリハのカサ・ドラダ | ||
| 50ボリビアーノ | 紫色 | メルチョル・ペレス・デ・オルギン | ラ・コンパニーアの塔 | ||
| 100ボリビアーノ | 赤色 | ガブリエル・レネ・モレノ | スクレのサン・フランシスコ・ハビエル大学 | ||
| 200ボリビアーノ | 茶色 | フランツ・タマヨ | ティワナク | ||
| 画像 | 額面 | 主色 | 表面 | 裏面 | 透かし |
|---|---|---|---|---|---|
| 10ボリビアーノ | 青色 | ホセ・サントス・バルガス、アピアグアイキ・トゥパ、エウスタキオ・メンデス、トロトロ国立公園のウマハランタ鍾乳洞 | ウユニ塩原の魚の島の風景。オオハチドリ、プヤ・ライモンディ | ホセ・サントス・バルガス、ドラム、額面の数字 | |
| 20ボリビアーノ | 橙色 | ヘノベバ・リオス、トマス・カタリ、ペドロ・イグナシオ・ムイバ。サマイパタの砦 | クロカイマン、トボロチ | ヘノベバ・リオス、額面の数字 | |
| 50ボリビアーノ | 紫色 | ホセ・マヌエル・バカ、ブルーノ・ラクア、ウィルカ、インカリャフタ要塞 | サハマ山、アンデスフラミンゴ、キヌア | ホセ・マヌエル・バカ、ギター、額面の数字 | |
| 100ボリビアーノ | 赤色 | フアナ・アスルドゥイ、アレホ・カラタユ、アントニオ・ホセ・デ・スクレ。ボリビア国立造幣局 | アルコ・イリスの滝、ウナズキヘリコニア、スミレコンゴウインコ | ||
| 200ボリビアーノ | 茶色 | トゥパク・カタリ、バルトリーナ・シサ、シモン・ボリバル。自由の家 | ティワナク(特にカラササヤとポンセのモノリス、カントゥータ、アンデスネコ | ||
脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 Banco Central de Bolivia. "Galeria de monedas y billetes Archived 2011-03-05 at the Wayback Machine.." Accessed 26 February 2011.
- 1 2 Banco Central de Bolivia. Official website Accessed 26 February 2011.
- ↑ “Banco Central de Bolivia :: Galerķa de Billetes y Monedas”. www.bcb.gov.bo. 2006年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月12日閲覧。