ボリス・グロモフ

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ボリス・グロモフ

ボリス・フセヴォロドヴィチ・グロモフロシア語:Борис Все́володович Громовバリース・フスィェーヴァラダヴィチュ・グローマフ;ラテン文字転写の例:Boris Vsevolodovich Gromov、1943年11月7日 - )は、ソビエト連邦およびロシアの軍人政治家大将ソ連邦英雄

概要[編集]

グロモフは1943年ロシアサラトフで生まれた。彼はサラトフ・スヴォーロフ学校(幼年学校)、キーロフ名称レニングラード高等軍事諸兵科共通指揮学校(1965年、士官学校)、その後モスクワのM.V.フルンゼ名称軍事アカデミー(1972年、陸軍大学)、及びヴォロシーロフ名称ソ連軍参謀本部アカデミー(1984年)を卒業した。

士官学校卒業後、沿バルト軍管区で小隊長、中隊長として勤務。1972年、フルンゼ軍事アカデミー卒業後、北カフカーズ軍管区トルケスタン軍管区で勤務。

ソ連のアフガニスタン戦争においては、グロモフは3回の勤務経験があり(1980年1月-1982年7月、1985年-1986年1987年-1989年)、そしてアフガニスタン駐留ソ連第40軍の最後の司令官としての2年間が最もよく知られている。グロモフはアフガニスタンに残る最後のソビエト兵として、1989年2月15日アムダリヤ川に架かる「友好の橋」を徒歩で渡り、この日をもってソ連軍のアフガニスタン撤退を完了させた。彼は東アフガニスタンのホースト市の包囲を救援する大規模作戦の後、最高の軍事賞であるソ連邦英雄金星勲章を受章している。

アフガニスタン戦争後、ソ連人民代議員。1989年~1990年、キエフ軍管区司令官。1990年~1991年、内務第一次官。1991年~1992年、地上軍第一副総司令官。

1991年のロシア大統領選挙において、彼は共産党により副大統領候補に選ばれた(大統領候補は、元首相ニコライ・ルイシコフ)。1992年、彼はロシア連邦の国防第一次官を務めた。1993年10月、最高会議派との対立の際、武力解決に反対し、国防省の会議への出席を拒否した。また、1994年のチェチェン紛争においても反対の立場をとった。

1994年、グロモフはロシア軍を退役したが、1995年、軍事専門官として外務省に出向させられ、間もなく外務次官に任命された。1995年、彼はロシア連邦議会国家会議下院)議員に当選し、兵器・国際安全保障小委員会委員長となった。1996年から「ロシアの地域」会派に属する。

2000年1月、彼はモスクワ州知事に当選し、2003年12月に再選した。

パーソナル[編集]

1995年5月からインターナショナリスト(アフガン帰還兵を意味する)・ベテラン組織連盟調整会議議長。1997年12月から全ロシア局地戦・軍事紛争ベテラン社会運動「戦友」総裁、「ロシア市民の名誉と尊厳のための」運動共同議長。

ソ連邦英雄。三等「ソ連軍における祖国への奉仕に対する」勲章、赤星勲章、赤旗勲章2個を受章。

妻帯、1女を有する。

外部リンク[編集]

先代:
アナトリー・チャジロフ
モスクワ州知事
2000年 - 2012年
次代:
セルゲイ・ショイグ