ボビー・オロゴン

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ボビー・オロゴン
Bobby Ologun
本名 近田 ボビー(こんだ ボビー)
生年月日 (1973-04-08) 1973年4月8日(43歳)
出身地 ナイジェリアの旗 ナイジェリアイバダン
身長 182cm
方言 日本語英語ヨルバ語[1][2]
最終学歴 ナイジェリアの国立大学既卒[1]
事務所 アレムコプロダクション
活動時期 2001年 - [3]
現在の代表番組 ボビー's スタジアム
YOUは何しに日本へ?
過去の代表番組 さんまのSUPERからくりTV
海筋肉王 〜バイキング〜
作品 MOON★DREAM(監督映画)
他の活動 格闘家
配偶者  既婚
親族 アンディ・オロゴン(実弟・キックボクサー)
公式サイト プロフィール

ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1973年4月8日 - )は、ナイジェリア連邦共和国イバダン出身、埼玉県さいたま市在住のナイジェリア系日本人[4]タレント格闘家実業家。アレムコプロダクション所属。2007年に日本国籍を取得[3]しており、本名(日本名)は近田 ボビー(こんだ ボビー)。ナイジェリア国籍時代の旧名はカリム・アルハジ・オロゴン。実弟はキックボクサー総合格闘家アンディ・オロゴン

略歴[編集]

貿易会社を経営する父親のもと、34人兄弟の3番目として生まれる。ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父には6人の妻がおり、その内の1人はボビーより年下である[3]。父親は厳格で、本人曰く「幼少時代から自分が悪い事をすると父親から毎日の様にムチ等で叩かれる等の体罰を受けており、今でも父親を恐れている」とのことだが、教育のために幼少から仕事の現場を見せてくれたり、仕事で日本を行き来していた関係から、日本の良さや日本人の優しさなどを教わる[1][3][5]

ナイジェリアの国立大学経済学部を卒業後、父の仕事の手伝いでドイツイギリスなど世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。買い付け資金500万円とパスポートリムジンバスの中に置き忘れてしまうが、誰かが交番に届けてくれたため幸運にも戻ってくる。この出来事についてボビーは、「お金が戻ってくる国なんて世界中でも日本だけ。素晴らしい国だと思ったよ」と回想しており、「父の言葉は本当だった」と感動したという。1998年タイヤチューブの買い付けのため再来日するも、日本で知り合った人に「パチンコをやればお金はすぐに2倍になる」と唆され、3か月で全ての資金を使い果たしてしまい、そのまま日本にとどまる[6]。 後に妻となる日本人女性とは東京のバーで知り合い、交際を始める。ボビーが帰国する際に彼女も付いて来てくれ、ナイジェリアで1年ほど生活したのち、結婚[3]

2001年TBSバラエティ番組さんまのSUPERからくりTV』で街頭インタビューを受けた際のデタラメな日本語がプロデューサーの目に留まって[3]、その後始まったコーナー「セインのファニエスト外語学院」に生徒役としてレギュラー出演するようになり、「ボビーだと思います」「もす(押忍)!」などの微妙に間違った日本語と天然ボケのキャラクターで人気を得る。

2004年1月、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー、アミールらとともに、ユニット「The Students」の一員として初CDシングル『ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜』をリリース。作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃんといった顔ぶれであった。また、この番組からは2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』への出場を目指す企画もスタート。ついには本当に格闘家デビューを果たす(後述)。

2006年1月、当時の所属事務所・アールアンドエープロモーションと出演料などをめぐり対立。事務所内で暴れ、その場に居合わせた鈴木宗男衆議院議員(当時)の元私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせる事件を起こし[7]、芸能活動の休止を余儀なくされる。同年5月、ボビーは同事務所からの独立を一方的に宣言するも、同社は「契約が2007年末まで残っており、それまでタレント活動はできない」と主張し対立が深まったが[8]、同年7月、両者と利害関係のないフェイスネットワークへ移籍することで決着した。その後、同社の芸能部から分社したプラチカに転籍。現在は個人事務所・アレムコプロダクションに所属。

2007年日本国籍を取得[3]。妻の姓「近田(こんだ)」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、日本名を「近田ボビー」とした。

2013年6月、自身が監督・制作・企画・脚本・主演を務めた自伝的映画『MOON★DREAM』が公開された[9]

人物[編集]

  • 現在の家族構成は、1999年に結婚した日本人の妻と二男[10]三女の子供で、近年は子供達と一緒に番組出演することも多い。
  • ナイジェリアの公用語である英語ヨルバ語日本語が話せる。前述の通り、「ボビーだと思います」「ナイジェリアはイッポンヤサイ(一夫多妻)」「揚げ物()さん」などといった微妙に間違った日本語の言い回しを多用したり、乱暴な口調や無軌道な振る舞いを見せるタレントとして認知されているが[1]、実際は非常に聡明で流暢な日本語を話すことができる。そのため、テレビ番組やトークイベントで共演した長男や長女から「お父さんはなぜテレビではバカのふりをしているの?」と指摘されたり「家では普通の人」と暴露されるなどして、「大人の事情を聞くな」「私だって生きるために必死なんだ!」「面子をつぶさないでくれ!」と慌てた様子を見せたこともある[要出典]。最近は番組やインタビューなどで正しい日本語を話す機会も多くなってきた。
  • 公式プロフィールでは1973年生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出されたパスポートの記載内容から、「実際は1966年生まれ」などとスポーツ紙に報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得した時に間違えられた。アフリカではよくあること」と否定している[11]
  • 前職の経験を生かし、為替の取引、FXなどを趣味としている。2013年には別荘、翌2014年には自身が設計した一戸建ての新築住宅を購入している[1][2][5]

格闘家としての活動[編集]

ボビー・オロゴン
基本情報
本名 近田ボビー
通称 史上最強の素人
最強の初心者
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-04-08) 1973年4月8日(43歳)
出身地 ナイジェリアの旗 ナイジェリア イバダン
所属 チームオロゴン
身長 182cm
体重 92kg
階級 ヘビー級
バックボーン 総合格闘技
テーマ曲 ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜(The Students)
日曜日よりの使者THE HIGH-LOWS
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2004年1月、前年の大晦日に見たというボブ・サップ vs 戦に触発されたボビーが、『さんまのSUPERからくりTV』のコーナー「セインのファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。バルセロナオリンピック柔道金メダリストの古賀稔彦と試合をしたが、組み合った瞬間に古賀が「物凄い力だ」と驚愕し、負けはしたものの秘めたる才能を見せつけた。このVTRを見た番組司会者の明石家さんまが、「年末の格闘技イベント(K-1 Dynamite!!)出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから、2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』の出場を目指す企画がスタート。番組内ではさまざまな格闘技の指導を受け、同年2月には格闘チーム「GRABAKA」に入門。菊田早苗の下で本格的に格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明ホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたものの、ホイスを出血させるなど健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後も修行を続け、柔道では黒帯を取得。K-1から正式にオファーを受け、同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』第0試合でキックボクサーマイク・ベルナルドとの対戦が決定する。その後ベルナルドの負傷欠場によりシリル・アビディとの対戦に変更された[12]。試合では、菊田とタレントの関根勤(番組レギュラー)をセコンドに迎え入場。3R判定勝ち。

翌2005年の『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』にも出場。元横綱・曙との対戦が決定する[13]。試合は、2R以降スタミナ切れを起こした曙をボビーが攻め立て、3R判定勝ち。

2006年7月には藤本祐介と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。

同年12月の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』ではチェ・ホンマンと対戦し[14]、1R16秒パウンドでTKO負け。

2007年の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』に4年連続参戦。ボブ・サップと対戦し[15]、1R4分10秒マウントパンチでKO負け。

その後格闘技の試合は行わず、プロボクシングに転向した実弟・アンディ・オロゴンをサポートすべく、平仲ジム所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子シュートボクシングの大会をプロデュースしたり[16]、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、ミノワマングラップリングルールで対戦するなど[17]日本ボクシングコミッション(JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。外国出身のボビーが、JBCの厳格なルールを把握していなかった可能性も示唆されたが、結局セコンドライセンス取り消しの処分が下された[18][19]

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
4 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
2 0 0 2 0 0 0
2 2 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ボブ・サップ 1R 4:10 KO(マウントパンチ) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× チェ・ホンマン 1R 0:16 TKO(パウンド) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
5分3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
シリル・アビディ 3分3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日

キックボクシング[編集]

キックボクシング 戦績
1 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0
1 0 1 0


勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 藤本祐介 3R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日


グラップリング[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ミノワマン 5分1R終了 時間切れドロー GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK 2011年10月15日

出演[編集]

テレビ[編集]

現在の出演番組

レギュラー

過去の出演番組
ドラマ

ラジオ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

PV[編集]

ゲーム[編集]

作品[編集]

CD[編集]

著書[編集]

  • ボビーだと思います。(ワニブックス、2005年6月8日)
  • もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら(ポプラ社、2010年7月7日) - 挿画担当

DVD[編集]

  • ボビー・オロゴンの日本文化講座 美しい国,ニッポン。(ビデオメーカー、2007年12月22日発売)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e ボビー・オロゴン「アベノミクスで別荘ゲット」”. 日刊SPA! (2013年12月28日). 2014年5月10日閲覧。
  2. ^ a b 実はFX通、ボビー・オロゴンは「投資で負けたことがない!」”. ザイFX! (2014年5月8日). 2014年5月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g LIBRA Vol.13 (2013年1月). “インタビュー:タレント・格闘家 ボビー・オロゴンさん (PDF)”. 2014年5月10日閲覧。
  4. ^ 埼玉応援団・勝手に埼玉応援隊・埼玉ご当地ヒーローズ > ボビー・オロゴンさんからのメッセージ”. 埼玉県ホームページ (2013年6月25日). 2014年5月10日閲覧。
  5. ^ a b 「お金に好かれるトレード」でボビー・オロゴンは勝ちを狙う!”. ザイFX! (2014年5月9日). 2014年5月10日閲覧。
  6. ^ ボビー・オロゴン“来日秘話” パチンコで仕事の資金使い果たし…”. 芸能ZAKZAK (2013年6月21日). 2014年5月10日閲覧。
  7. ^ “ボビー・オロゴンが事務所で大暴れ”. nikkansports.com. (2006年1月25日). http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-060125-0014.html 2014年5月10日閲覧。 
  8. ^ オロゴン独立強行…“元”事務所「契約は…」反論”. 芸能ZAKZAK (2006年5月22日). 2014年5月10日閲覧。
  9. ^ ボビー・オロゴン、念願の映画監督デビューに「日本、ありがとう!」”. 映画.com (2013年6月29日). 2014年5月10日閲覧。
  10. ^ “子だくさんボビー、今年3月に第5子二男誕生していた”. スポニチアネックス. (2016年11月24日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/24/kiji/K20161124013782430.html 2016年11月24日閲覧。 
  11. ^ お騒がせ男ボビー”. 菊田早苗日記 (2006年2月3日). 2014年5月10日閲覧。
  12. ^ 【K-1】12・31 ベルナルドが負傷欠場。ボビーの相手はアビディに変更”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2004年12月25日). 2014年5月10日閲覧。
  13. ^ 【K-1】12・31 曙とボビー・オロゴンが総合ルールで激突!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2005年11月8日). 2014年5月10日閲覧。
  14. ^ 【K-1】12・31 大晦日男ボビーの相手は何とチェ・ホンマン”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2006年12月19日). 2014年5月10日閲覧。
  15. ^ 【K-1】12・31 ボビー・オロゴンとボブ・サップの異次元対決が実現!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2007年12月13日). 2014年5月10日閲覧。
  16. ^ 【シュートボクシング】8・19ボビー・オロゴンが女子格闘技をプロデュース「客寄せパンダとして頑張ります」”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年6月14日). 2014年5月10日閲覧。
  17. ^ 【GRABAKA】10・15ボビー・オロゴンが金網でミノワマンと対戦!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年9月26日). 2014年5月10日閲覧。
  18. ^ ““バラエティタレント”ボビー・オロゴンが日本ボクシングコミッションから厳罰受ける!?”. リアルライブ. (2011年10月18日). http://npn.co.jp/article/detail/11222934/ 2014年5月10日閲覧。 
  19. ^ 【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2012年10月11日). 2014年5月10日閲覧。
  20. ^ 本名の「近田ボビー」名義による監督作品で、監督・制作・企画・脚本・主演の5役を務めた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]