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ボビー・オロゴン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボビー・オロゴン
本名 近田 ボビー(こんだ ボビー)
生年月日 (1966-04-08) 1966年4月8日(58歳)[注 1]
国籍 日本の旗 日本
出身地 ナイジェリアの旗 ナイジェリアイバダン
身長 182 cm
言語 日本語
方言 共通語関西弁英語ヨルバ語[2][3]
最終学歴 ナイジェリアの国立大学経済学部[2]
事務所 アレムコプロダクション
活動時期 2001年 - [4]
過去の代表番組 さんまのSUPERからくりTV
海筋肉王 〜バイキング〜
ボビー's スタジアム
YOUは何しに日本へ?
作品 MOON★DREAM(監督映画)
他の活動 格闘家
配偶者 有(1999年 - )
親族 アンディ・オロゴン(実弟・元格闘家)
公式サイト プロフィール
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ボビー・オロゴン
YouTube
チャンネル
活動期間 2021年9月16日 -
登録者数 7.06万人
総再生回数 947万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年10月5日時点。
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ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1966年4月8日 - )は、ナイジェリア日本人[5]タレント格闘家実業家。アレムコプロダクション所属。

ナイジェリアイバダン出身のヨルバ人で、埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市)在住。2007年に日本国籍を取得しており[4]、本名(日本名)は近田 ボビー(こんだ ボビー)。ナイジェリア国籍時代の旧名はカリム・アルハジ・オロゴン(Karim Alaji Ologun)。実弟は元格闘家のアンディ・オロゴン。血液型はO型[1]

略歴

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貿易会社を経営する父親のもと、34人兄弟の3番目として生まれる。ナイジェリアでは法的には一夫多妻制は認められていないが父には6人の妻がおり、その内の1人はボビーより年下である[4]。父親は厳格で、本人曰く「幼少時代から自分が悪い事をすると父親から毎日のようにムチなどで叩かれる体罰を受けており、今でも父親を恐れている」とのことだが、教育のために幼少から仕事の現場を見せてくれたり、仕事で日本を行き来していた関係から、日本の良さや日本人の優しさなどを教わる[4][2][6]

ナイジェリアの国立大学経済学部を卒業後、父の仕事の手伝いでドイツイギリスなど世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。買い付け資金500万円とパスポートリムジンバスの中に置き忘れてしまうが、交番に届いていたため幸運にも戻ってくる。この出来事についてボビーは、「お金が戻ってくる国なんて世界中でも日本だけ。素晴らしい国だと思ったよ」と回想しており、「父の言葉は本当だった」と感動したとのこと。1998年タイヤチューブの買い付けのため再来日するも、日本で知り合った人に「パチンコをやればお金はすぐに2倍になる」と唆され、大敗した結果3か月で全ての資金を使い果たしてしまい、そのまま日本にとどまる[7]。その頃お世話になった太田夫妻とは、ホムカミの企画で再会を果たした。 後に妻となる日本人女性とは東京のバーで知り合い、交際を始める。ボビーが帰国する際に彼女も付いて来てくれ、ナイジェリアで1年ほど生活したのち、結婚[4]

2001年TBSバラエティ番組さんまのSUPERからくりTV』で街頭インタビューを受けた際のデタラメな日本語がプロデューサーの目に留まって[4]、その後始まったコーナー「セインのファニエスト外語学院」に生徒役としてレギュラー出演するようになり、「ボビーと思います(ボビーと申します)」「もす!(押忍!)」などの微妙に間違った日本語と天然ボケのキャラクターで人気を得る。

2004年1月、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー、アミールらとともに、ユニット「The Students」の一員として初CDシングル『ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜』をリリース。作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃんといった顔ぶれだった。また、この番組からは2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』への出場を目指す企画もスタート。ついには本当に格闘家デビューを果たす。

2006年1月、当時の所属事務所・アールアンドエープロモーションと出演料などをめぐり対立。事務所内で暴れ、その場に居合わせた鈴木宗男衆議院議員(当時)の元私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせる事件を起こし[8]、芸能活動の自粛を余儀なくされる。同年5月、ボビーは同事務所からの独立を一方的に宣言するも、同社は「契約が2007年末まで残っており、それまでタレント活動はできない」と主張し対立が深まったが[9]、同年7月、両者と利害関係のないフェイスネットワークへ移籍することで決着した。その後、同社の芸能部から分社したプラチカに転籍。現在は個人事務所・アレムコプロダクションに所属。

2007年日本国籍を取得[4]。妻の姓「近田(こんだ)」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、日本名を「近田ボビー」とした。

2013年6月、自身が監督・制作・企画・脚本・主演を務めた自伝的映画『MOON★DREAM』が公開された[10]

2020年5月16日、自宅で妻の頬を指先で叩いたとして、暴行の現行犯で埼玉県警察に逮捕された[11][12]。妻によると、「長年DV被害を受けてきた」としており[13]、一方でボビー自身は容疑を否認した[11]。その後、さいたま地方裁判所での勾留延長が認められず、事件の2日後である5月18日 21時19分に釈放された[14]。同年9月24日、暴行の罪でさいたま地方検察庁在宅起訴された[15]。同年12月3日、さいたま地裁で初公判が開かれ、ボビーは起訴内容を認めた[16]

2021年9月16日、この日開設したYouTubeチャンネルに動画を投稿し、芸能活動を再開させることを発表。謝罪した上で、再出発へ意気込みを語った。同年10月9日、埼玉県越谷市荒川出津橋付近で川で溺れている男性を救助した[17]。同年11月5日に埼玉県警察から感謝状を授与された[17][18]

人物

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  • 現在の家族構成は、1999年に結婚した日本人の妻と二男三女の子供で[19]、近年は子供たちと番組で共演することも多い。
  • ナイジェリアの公用語である英語ヨルバ語フランス語のほか、日本語が話せる。前述の通り、「さんせい(先生)[注 2]」「ボビーと思います」「ナイジェリアはイッポンヤサイ(一夫多妻)」「揚げ物()さん」などといった微妙に間違った日本語の言い回しを多用したり、乱暴な口調や無軌道な振る舞いを見せるタレントとして認知されているが[2]、実際は非常に聡明で流暢な日本語を話すことができる。最近[いつ?]はテレビ番組やインタビューなどでも正しい日本語を話したり、やり手投資家としての側面を紹介される機会も多くなってきた。
  • 上述の通り数々の珍発言や振る舞いはあくまでも芸風で普段の本人の姿とは異なるため、バラエティ番組で長男と共演した際に「どうしてテレビではバカのふりをしているの?」と尋ねられて慌てる様子を見せたことがある。
  • 公式プロフィールでは1973年生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出された外国人登録証の記載内容から、「実際は1966年生まれ」などとスポーツ紙に報道されており、2020年の逮捕時やバラエティ番組での出演時などにおいてもこれに基づいた年齢にされている[20]。ただしボビー本人は2006年の暴行事件時に「ナイジェリアでパスポートを取得した時に(生年を)間違えられた」と否定し[21]、会見に同席したムルアカも「アフリカではよくあること」と同調している[20]
  • 前職の経験を生かし、為替の取引、FXなどを趣味としている。2013年には別荘、翌2014年には自身が設計した一戸建ての新築住宅を購入している[2][3][6]
  • 自身が投稿しているYouTubeの動画においては、共演者と思しき外国人スタッフとの会話も行っている。一部の動画にはサディアというボビーの母親が共演しているが、彼女が話すのはナイジェリアの部族語(ヨルバ語)のみ。
  • 卒業した国立大学はナイジェリアの最高クラスの大学であるが、自ら話すことはなく、質問された際に「行って良かったと思う。」と答える程度であり、それを自慢するようなことはない。
  • TBSのバラエティ「水曜日のダウンタウン」に出演した際、4人のアフリカ人をどの国の出身か当てるゲームで、セネガルとケニアの出身者を見事に言い当てたが、同郷のナイジェリア人をガーナ人と間違えた。

格闘家としての活動

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ボビー・オロゴン
基本情報
本名 近田 ボビー
通称 史上最強の素人
最強の初心者
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-04-08) 1973年4月8日(51歳)
出身地 ナイジェリアの旗 ナイジェリアイバダン
所属 チームオロゴン
身長 183cm
体重 93kg
階級 ヘビー級
バックボーン 総合格闘技
テーマ曲 ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜(The Students)
日曜日よりの使者THE HIGH-LOWS
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2004年1月、前年の大晦日に見たというボブ・サップ vs 戦に触発されたボビーが、『さんまのSUPERからくりTV』のコーナー「セインのファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。バルセロナオリンピック柔道金メダリストの古賀稔彦と試合をしたが、組み合った瞬間に古賀が「物凄い力だ」と驚愕し、負けはしたものの秘めたる才能を見せつけた。このVTRを見た番組司会者の明石家さんまが、「年末の格闘技イベント(K-1 Dynamite!!)出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから、2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』の出場を目指す企画がスタート。番組内ではさまざまな格闘技の指導を受け、同年2月には格闘チーム「GRABAKA」に入門。菊田早苗の下で本格的に格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明ホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたものの、ホイスを出血させるなど健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後も修行を続け、柔道では黒帯を取得。K-1から正式にオファーを受け、同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』第0試合でキックボクサーマイク・ベルナルドとの対戦が決定する。その後ベルナルドの負傷欠場によりシリル・アビディとの対戦に変更された[22]。試合では、菊田とタレントの関根勤(番組レギュラー)をセコンドに迎え入場。3R判定勝ち。

翌2005年の『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』にも出場。元横綱・曙との対戦が決定する[23]。試合は、2R以降スタミナ切れを起こした曙をボビーが攻め立て、3R判定勝ち。

2006年7月には藤本祐介と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。

同年12月の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』ではチェ・ホンマンと対戦し[24]、1R16秒パウンドでTKO負け。

2007年の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』に4年連続参戦。ボブ・サップと対戦し[25]、1R4分10秒マウントパンチでKO負け。

その後格闘技の試合は行わず、プロボクシングに転向した実弟・アンディ・オロゴンをサポートすべく、平仲ジム所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子シュートボクシングの大会をプロデュースしたり[26]、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、ミノワマングラップリングルールで対戦するなど[27]日本ボクシングコミッション(JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。外国出身のボビーが、JBCの厳格なルールを把握していなかった可能性も示唆されたが、結局セコンドライセンス取り消しの処分が下された[28][29]

2021年10月24日、ぴあアリーナMMにて開催されているRIZIN.31にて、11月20日沖縄アリーナにて開催されるRIZIN.32への参戦が発表され、後日行われた会見でボディビルダーで元プロレスラー北村克哉と対戦する事が決まった。MMAの試合は2007年大晦日のボブ・サップ戦以来となる[30]

2021年11月20日、 RIZIN.32北村克哉と対戦し、2Rにリアネイキッドチョークで一本勝ちを収めた[31]。この試合は2020年のDV騒動の禊のつもりで行ったものであるという[32]

戦績

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総合格闘技

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総合格闘技 戦績
5 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
3 0 1 2 0 0 0
2 2 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
北村克哉 2R 2:34 リアネイキッドチョーク RIZIN.32 2021年11月20日
× ボブ・サップ 1R 4:10 KO(マウントパンチ) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× チェ・ホンマン 1R 0:16 TKO(パウンド) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
5分3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
シリル・アビディ 3分3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日

キックボクシング

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キックボクシング 戦績
1 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0
1 0 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 藤本祐介 3R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日

グラップリング

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勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ミノワマン 5分1R終了 時間切れ GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK 2011年10月15日

投資家としての活動

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ボビー・オロゴンは投資家としても活躍している。日頃から、刻々と変わる世界の株・為替・商品先物の価格状況をチェックして投資を行っている。

ボビーは「投資は昔からやってるヨ。最初に相場の世界を教えてくれたのは、ナイジェリアで貿易商をやっているお父さん。ボクは子どもの頃から見込まれて、オフィスに連れていかれては『これはドコソコの国からいくらで買ってきたモノで、これからいくらで売るから、利益はいくらになる』ということを教えてもらっていました」「こっちの国の景気がよくなるとあっちのモノが安くなって、あっちの国で紛争があるとこっちの通貨が高くなる。じゃあ、これからはこうなるんじゃないか、今度はあっちがああなるんじゃないか――、そういうのをパズルみたいに考えるのがチョー楽しかった!」とナイジェリアでの投資の体験談を語っている[33]

その後、ボビーはナイジェリアの国立大学の経済学部を卒業し、父親の貿易会社を手伝うことになった。

ボビーは日本人の投資活動について、「いつも慎重」、「ある程度の余裕資金ができてから始めよう、と思っていて、それで、なかなか投資に踏み切れない」と評している[34]。そんな日本人にボビーは、「ボクは投資っていうのは収入が少ない時には少ないなりに、多くなったら多いなりにやるものだと思ってる。そうやって常に自分のお金を相場に置いておくことで、経済のことを本気で勉強するし、知識や経験も増えていく。大きな資金ができてからいきなり投資をスタートすると、失敗した時のダメージも大きくなるでしょ!?」とアドバイスしている。

出演

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テレビ

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現在の出演番組
  • ぼびバラ▽ボビーただいま反省中(2021年10月7日 - 、千葉テレビ
過去の出演番組
ドラマ
  • いきなり黄金伝説 タカトシVSボビー兄弟VSアンタ サバイバル0円生活5時間SP 2007

ウェブテレビ

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ラジオ

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映画

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CM

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PV

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ゲーム

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作品

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CD

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著書

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  • ボビーだと思います。(ワニブックス、2005年6月8日)[37]
  • もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら(ポプラ社、2010年7月7日) - 挿画担当[38]
  • 1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えた本当の理由(サンマーク出版、2016年2月)[39]

DVD

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  • ボビー・オロゴンの日本文化講座 美しい国,ニッポン。(ビデオメーカー、2007年12月22日発売)[40]

脚注

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注釈

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  1. ^ プロダクションのプロフィールでの公称[1]。実際は1966年生まれ。年齢については#人物も参照。
  2. ^ 別バージョンとして「シャー」がある。
  3. ^ 本名の「近田ボビー」名義による監督作品で、監督・制作・企画・脚本・主演の5役を務めた。

出典

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  1. ^ a b プロフィール”. AREMCO PRODUCTION. 2020年5月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e ボビー・オロゴン「アベノミクスで別荘ゲット」”. 日刊SPA!. 扶桑社 (2013年12月28日). 2023年2月25日閲覧。
  3. ^ a b 実はFX通、ボビー・オロゴンは「投資で負けたことがない!」”. ザイFX! (2014年5月8日). 2014年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g インタビュー:タレント・格闘家 ボビー・オロゴンさん - LIBRA Vol.13” (PDF) (2013年1月). 2023年2月25日閲覧。
  5. ^ 埼玉応援団・勝手に埼玉応援隊・埼玉ご当地ヒーローズ > ボビー・オロゴンさんからのメッセージ”. 埼玉県ホームページ (2013年6月25日). 2014年5月10日閲覧。
  6. ^ a b 「お金に好かれるトレード」でボビー・オロゴンは勝ちを狙う!”. ザイFX! (2014年5月9日). 2014年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月10日閲覧。
  7. ^ ボビー・オロゴン“来日秘話” パチンコで仕事の資金使い果たし…”. 芸能ZAKZAK (2013年6月21日). 2014年5月10日閲覧。
  8. ^ “ボビー・オロゴンが事務所で大暴れ”. nikkansports.com. (2006年1月25日). https://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-060125-0014.html 2014年5月10日閲覧。 
  9. ^ オロゴン独立強行…“元”事務所「契約は…」反論”. 芸能ZAKZAK (2006年5月22日). 2014年5月10日閲覧。
  10. ^ ボビー・オロゴン、念願の映画監督デビューに「日本、ありがとう!」”. 映画.com (2013年6月29日). 2014年5月10日閲覧。
  11. ^ a b "ボビー容疑者、妻へ暴行容疑で逮捕 過去に暴行騒動". 日刊スポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 2020年5月17日. 2021年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月18日閲覧
  12. ^ “ボビー・オロゴン容疑者を逮捕 妻たたいた疑い、否認”. 産経デジタル (産経新聞社). (2020年5月16日). https://www.sankei.com/affairs/amp/200516/afr2005160010-a.html 2020年10月4日閲覧。 
  13. ^ “ボビー妻激白「長年DV受けてきた…弱い者いじめ」”. 日刊スポーツ・コム (日刊スポーツ新聞社). (2020年5月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202005170000293.html 2020年5月18日閲覧。 
  14. ^ “ボビー・オロゴン容疑者が釈放 事務所関係者が謝罪「多大なるご迷惑をおかけし誠に申し訳ございません」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2020年5月18日). https://www.sanspo.com/article/20200518-VV6R2BVSIZNKDLCJAJODTEQINE/ 2020年5月18日閲覧。 
  15. ^ “ボビー・オロゴン容疑者を在宅起訴 妻への暴行罪”. 朝日新聞 (朝日新聞デジタル). (2020年9月24日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASN9S4DR6N9SUTNB00B.html 2020年10月4日閲覧。 
  16. ^ “ボビー・オロゴン被告、起訴内容認める 妻への暴行罪”. 産経ニュース (産経デジタル). (2020年12月3日). https://www.sankei.com/article/20201203-DYM3TCCS7NPJBAUO4CY33D4CHI/ 2020年12月3日閲覧。 
  17. ^ a b ボビー・オロゴン、川で溺れている男性を助けて埼玉県警から表彰されていた 越谷市元荒川出津橋付近”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年11月13日). 2023年2月25日閲覧。
  18. ^ ボビー・オロゴン公式アカウント [@bobby_1official] (2021年11月13日). "警察から感謝状もらっちゃったよ オレ大したことしてねーのにな(・・;)". X(旧Twitter)より2023年2月25日閲覧
  19. ^ “子だくさんボビー、今年3月に第5子二男誕生していた”. スポニチアネックス. (2016年11月24日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/24/kiji/K20161124013782430.html 2016年11月24日閲覧。 
  20. ^ a b ボビー・オロゴン容疑者、逮捕で7歳サバ読みバレた”. スポーツニッポン出版社 (2020年5月17日). 2020年5月19日閲覧。
  21. ^ お騒がせ男ボビー”. 菊田早苗日記 (2006年2月3日). 2014年5月10日閲覧。
  22. ^ 【K-1】12・31 ベルナルドが負傷欠場。ボビーの相手はアビディに変更”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2004年12月25日). 2014年5月10日閲覧。
  23. ^ 【K-1】12・31 曙とボビー・オロゴンが総合ルールで激突!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2005年11月8日). 2014年5月10日閲覧。
  24. ^ 【K-1】12・31 大晦日男ボビーの相手は何とチェ・ホンマン”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2006年12月19日). 2014年5月10日閲覧。
  25. ^ 【K-1】12・31 ボビー・オロゴンとボブ・サップの異次元対決が実現!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2007年12月13日). 2014年5月10日閲覧。
  26. ^ 【シュートボクシング】8・19ボビー・オロゴンが女子格闘技をプロデュース「客寄せパンダとして頑張ります」”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年6月14日). 2014年5月10日閲覧。
  27. ^ 【GRABAKA】10・15ボビー・オロゴンが金網でミノワマンと対戦!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年9月26日). 2014年5月10日閲覧。
  28. ^ ““バラエティタレント”ボビー・オロゴンが日本ボクシングコミッションから厳罰受ける!?”. リアルライブ. (2011年10月18日). https://npn.co.jp/article/detail/11222934/ 2014年5月10日閲覧。 
  29. ^ 【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2012年10月11日). 2014年5月10日閲覧。
  30. ^ 【RIZIN】ボビーの対戦相手はボディビルダーで元新日本プロレスの北村克哉「俺の筋肉が本物なのか、お前の筋肉が本物なのか、シロキロはっきりさせよう」(ボビー)安田大サーカス団長との空気読めないコントに榊原CEOが「裏でやれ」と一喝”. ゴング格闘技 - GONKAKU (2021年10月29日). 2023年9月19日閲覧。
  31. ^ 【RIZIN】RENAが山本美憂にヒザ蹴りTKO勝ち! 皇治が祖根からダウン奪う判定勝利でシバターに直接対決を要求、砂辺vs.前田は熱闘に、オロゴンが北村に一本勝ち、ベイノアが大逆転TKO勝利! 大原は渡慶次を衝撃KO、越智が判定勝ち、地元にっせーが指笛応援の中、接戦制す!”. ゴング格闘技 - GONKAKU (2021年11月20日). 2023年9月19日閲覧。
  32. ^ ボビー・オロゴン「戦いたくない」14年ぶりMMA参戦は「みそぎのため」 - リングにかける - 相撲・格闘技コラム”. 日刊スポーツ (2021年12月1日). 2023年9月19日閲覧。
  33. ^ 芸能界最強の投資家ボビー・オロゴンが伝授!「世界4分割投資法」”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2016年6月2日). 2023年2月18日閲覧。
  34. ^ 芸能界最強の投資家ボビー・オロゴンが伝授!「世界4分割投資法」 (2ページ目)”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2016年6月2日). 2023年2月18日閲覧。
  35. ^ ボブ・サップも参戦!武井壮プロデュースのアスリート頂上決戦『5種競技HAOOO5!』AbemaTVで10・22放送”. TVLIFE web (2017年10月3日). 2017年11月26日閲覧。
  36. ^ 映画 南の島のフリムン - allcinema 2023年2月25日閲覧。
  37. ^ Bobī dato omoimasu. Bobby Ologun. Tōkyō: Wani Bukkusu. (2005). ISBN 4-8470-1607-6. OCLC 675159443. https://www.worldcat.org/oclc/675159443 
  38. ^ Moshimo 8sai no kodomo ga daitōryō ni erabaretara. Makoto Kanō, Bobby Ologun, 真士 加納. Tōkyō: Popurasha. (2010). ISBN 978-4-591-11745-3. OCLC 703505929. https://www.worldcat.org/oclc/703505929 
  39. ^ Bobby, 1973-, Ologun (2016). 1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えた本当の理由. 東京: サンマーク出版. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027095473-00 
  40. ^ ボビー・オロゴン [出演 (2007). 美しい国、ニッポン。 ボビー・オロゴンの日本文化講座. 東京: トランスフォーマー. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011289071-00 

関連項目

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外部リンク

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