ボビー・オア
| ボビー・オア OC | |
|---|---|
|
| |
| 本名 | ロバート・ゴードン・オア |
| 原語名 | Robert Gordon Orr |
| 生誕 |
1948年3月20日(78歳) オンタリオ州パリーサウンド |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 197 lb (89 kg; 14 st 1 lb) |
| ポジション | ディフェンス |
| シュート | 左打ち |
| 所属したチーム |
ボストン・ブルーインズ シカゴ・ブラックホークス |
| 代表 |
|
| プロ選手期間 | 1966年 – 1978年 |
| 1979年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子アイスホッケー | ||
| カナダカップ | ||
| 1976 カナダ | ||
ボビー・オア(英語: Bobby Orr OC, 1948年3月20日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州パリーサウンド生まれの元プロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。
得点力にも秀でており、ディフェンスマンで唯一NHLのポイント王 (2度) に輝いている。多くのファンから、史上最高の選手の1人と称されている。
経歴
[編集]幼い時からアイスホッケーに対する才能を発揮した。14歳で州のジュニアAリーグOHLのオショワ・ジュネラルズに所属し、19-20歳前後の選手とともにプレーした。18歳でNHLの指示によりボストン・ブルーインズに入団する。
プロ入り初年度に、カルダー記念賞(リーグ新人王)を獲得し、1970年5月10日にホッケー史上最もアクロバティックなと形容される「フライング・ゴール」を決めて万年最下位チームであったブルーインズを29年目にして初のスタンレー・カップ進出に導き、チームの黄金時代を築いた。
アイスホッケーの競技スタイルに革命をもたらしたとも評価され、攻撃的な役割を果すディフェンス選手という新たなスタイルを創造し、その役割を永遠に変え、後世に多大な影響を残した。以前のディフェンスマンは主に自陣をどれだけ上手く守れるかで評価されることが多かったが、オアはリンクの両側でゲームをほぼ完全にコントロールできた。自陣では激しいボディチェッカーであり、鋭いショットブロッカーでもあり、攻撃ではスピード、とりわけその顕著な加速力、プレーの芸術性で、ディフェンス選手としておよそありとあらゆる記録を樹立し、ファンを熱狂させた。
キャリアを通して膝の怪我に悩まされ続け、より若くして引退を余儀なくされたが、その現役時代(12シーズン)は、NHLを支配したとも形容されることがある。最優秀ディフェンス選手に贈られるジェームス・ノリス記念賞の受賞回数8回は、NHL史上最多(2026年現在)である。
ディフェンス選手としてはただ一人のリーグポイント王、アート・ロス記念賞を2度(1969-1970、1974-1975シーズン)にわたって獲得しており、特に1970-1971シーズンに記録した、シーズン139ポイントは、NHLディフェンス選手の記録として(2026年時点で)だれにも破られていない。また、アシスト数においてもリーグ最多を5度記録している。
リーグ最優秀選手に与えられるハート記念賞は3年連続、ジェームス・ノリス記念賞は8年連続で獲得している。1970年はハート記念賞、ノリス賞、アート・ロス記念賞、コーン・スマイス賞を受賞し、1シーズンで4つの個人トロフィーを獲得した史上初の選手となった。また、攻守の貢献度の指標となるシーズンのプラス/マイナス統計でリーグ首位に立ったのは史上最多の6度あり、通算では歴代2位の+582を記録している。[1]
1970年にはスポーツ・イラストレイテッドの年間最優秀スポーツマン賞を受賞している。1972年のサミットシリーズではカナダ代表に選出されていたが怪我のため参加は見送られた。1976年には、数度にわたる膝の手術を受けプレー中の激痛と戦いながら、国際試合のカナダ・カップの最優秀選手賞を受賞し、ハート記念賞、コーン・スマイス賞、カナダカップMVPのNHL主催大会3つのMVPを受賞した初めての選手となった。
1975-1976シーズンを終え、契約期間満了をむかえたブルーインズは、オアに対しチームのオーナーシップの18%を与えるといった魅力的な内容のオファーを行った。しかし、オアの代理人アラン・イーグルソンはこの条件をオアに開示せず、シカゴ・ブラックホークスとの契約を勧めたと伝えられる。このため、ブラックホークスと契約し、2シーズン後には膝の問題により引退する。怪我はオアの革新的なプレースタイルに対して守備方法が追いつかない時代の結果であった。膝の軟骨はなくなり骨は擦れて欠けていたため、最終的に金属製の膝関節に交換した。
1970年代後半に、新聞『ボストン・グローブ』紙が行ったニュー・イングランダーの投票で、野球のテッド・ウイリアムス、バスケットボールのビル・ラッセル、野球のカール・ヤストレムスキー、バスケットボールのボブ・クージーといった選手を押しのけて、ボストン史上最高のアスリートに選出されている。
引退直後の1979年、3年の待機期間を待たずして特例により史上最年少の31歳でホッケーの殿堂入りした。また、Canada's Walk of Fame にもその名を止めている。オアの栄誉を称えるため故郷のパリーサウンドに建てられた記念館は、「ボビー・オアの殿堂(Bobby Orr Hall of Fame)」と呼ばれる。
1979年には、カナダ最高の勲章オーダー・オブ・カナダを受章している。
詳細情報
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レギュラーシーズンとプレーオフでの成績
[編集]太字斜体はリーグ記録
| レギュラーシーズン | プレイオフ | ||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | +/- | GP | G | A | Pts | PIM | +/- | |
| 1963-1964 | オショワ・ジェネラルズ | OHA | 56 | 29 | 43 | 72 | 142 | ||||||||
| 1964-1965 | オショワ・ジェネラルズ | OHA | 56 | 34 | 59 | 93 | 112 | ||||||||
| 1965-1966 | オショワ・ジェネラルズ | OHA | 47 | 38 | 56 | 94 | 92 | ||||||||
| 1966-1967 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 61 | 13 | 28 | 41 | 102 | 1 | - | - | - | - | - | - | |
| 1967-1968 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 46 | 11 | 20 | 31 | 63 | 28 | 4 | 0 | 2 | 2 | 2 | -1 | |
| 1968-1969 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 67 | 21 | 43 | 64 | 133 | 55 | 10 | 1 | 7 | 8 | 10 | 9 | |
| 1969-1970 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 33 | 87 | 120 | 125 | 54 | 14 | 9 | 11 | 20 | 14 | 24 | |
| 1970-1971 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 37 | 102 | 139 | 91 | 124 | 7 | 5 | 7 | 12 | 10 | -2 | |
| 1971-1972 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 37 | 80 | 117 | 106 | 83 | 15 | 5 | 19 | 24 | 19 | 20 | |
| 1972-1973 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 63 | 29 | 72 | 101 | 99 | 55 | 5 | 1 | 1 | 2 | 7 | -4 | |
| 1973-1974 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 74 | 32 | 90 | 122 | 82 | 84 | 16 | 4 | 14 | 18 | 28 | 7 | |
| 1974-1975 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 80 | 46 | 89 | 135 | 101 | 80 | 3 | 1 | 5 | 6 | 2 | 7 | |
| 1975-1976 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 10 | 5 | 13 | 18 | 22 | 10 | - | - | - | - | - | - | |
| 1976-1977 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 20 | 4 | 19 | 23 | 25 | 6 | - | - | - | - | - | - | |
| 1978-1979 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 6 | 2 | 2 | 4 | 4 | 2 | - | - | - | - | - | - | |
| NHL合計 | 657 | 270 | 645 | 915 | 953 | 582 | 74 | 26 | 66 | 92 | 107 | 60 | |||
国際試合成績
[編集]| 年度 | チーム | イベント | GP | G | A | Pts | PIM |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | カナダ | サミットシリーズ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1976 | カナダ | カナダカップ | 7 | 2 | 7 | 9 | 8 |
表彰
[編集]
- カルダー記念賞 - 1967年
- NHLオールスターゲーム出場 - 1968年、1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1975年
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:8回(1968年、1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1974年、1975年)
- 2ndチーム:1967年
- ジェームス・ノリス記念賞 - 1968年、1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1974年、1975年
- アート・ロス記念賞 - 1970年、1975年
- コーン・スマイス賞 - 1970年、1972年
- ハート記念賞 - 1970年、1971年、1972年
- ルー・マーシュ賞 - 1970年
- レスター・B・ピアソン賞 - 1975年
- カナダカップ最優秀選手賞 - 1976年
- カナダ・カップオールスター戦 - 1976年
- レスター・パトリック賞 - 1979年
- ホッケーの殿堂 - 1979年
- カナダスポーツ殿堂 - 1982年
- 最高のNHLプレーヤー100人 - 2017年
記録
[編集]- NHLディフェンス選手シーズン最多ポイント (139; 1970-71)
- NHLディフェンス選手シーズン最多アシスト (102; 1970-71)
- NHLディフェンス選手シーズン最多ゴール 連続1971年から1986年まで保持 (37 、1971年, 1975年に46に更新; 1986年 ポール・コフィーにより更新)
- NHLディフェンス選手1試合最多アシストタイ (6; 他にBabe Pratt, Pat Stapleton, Ron Stackhouse, Paul Coffey and Gary Suter)
- NHLディフェンス選手1試合最多得点 1973年から1977年まで保持 (7; Tom Bladonにより更新)
- NHLディフェンス選手プレーオフ最多プラスマイナス(24; 1969-70)
- NHLディフェンス選手スタンレー・カップ・ファイナル最多プラスマイナス(18; Serge Savardとタイ記録)
- NHLシーズン最多アシスト 連続1971年から1981年まで保持 (102; broken by ウェイン・グレツキー)
- NHLシーズン最多プラスマイナス(124; 1970-71)
- NHLシーズンプラスマイナスリーダー (6回)
背番号
[編集]- 4(1979年1月9日 ボストン・ブルーインズの永久欠番)
脚注
[編集]- ↑ 「NHL All-Time Plus-Minus Leaders」QuantHockey 2026年8月3日閲覧