ボナンノ一家

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ボナンノ一家(ボナンノいっか、Bonanno crime family) はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。ニューヨークのマフィア五大ファミリー一つ。シチリアカステッランマーレ・デル・ゴルフォ出身者を中心としていた。

初期[編集]

カステランマレ移民は、ブルックリン北部のウィリアムズバーグや、マンハッタンのイースト・ヴィレッジの一角に固まって住んでいた。初期の派閥はコラ・シーロをボスとして、ヴィト・ボンヴェントレ、マリアーノ・ギャランテ、ベンジャミン・ギャロ、サルヴァトーレ・ボナンノ、ステファノ・マガディーノ、フランク・ガロファロらがいた。この派閥の特色はアメリカ北東部にカステラマレ出身者の広範なネットワークを持っていたことで、他のシチリア移民に比べて同郷の結束力が高く、ライバルギャングと対峙する時は、緊密な連携体制を取り協力し合った。もっとも強力なグループはコラ・シーロに仕えたヴィト・ボンヴェントレが1907年頃に、同じカステラマレ出身のブチェラート一家に対する闘争を目的に結成したグッドキラーズと呼ばれる殺人組織で、1910年代から1920年代にかけてアメリカ北東部でライバルや反逆者の処刑に暗躍した。主要なメンバーにジュゼッペ・ロンバルディ、マリアーノ・ギャランテ、バルトロ・ディグレゴリオ、フランチェスコ・ピューマ、ステファノ・マガディーノらがいた。1920年代初めにブチェラート家との抗争が収束し、続く禁酒法時代に比較的平穏な時代を迎えて、ボンヴェントレなど多くの者が酒の密輸ビジネスを始め、富豪になった。

カステランマレーゼ戦争[編集]

カステランマレのマフィアリーダーは長らくコラ・シーロが務めていたが、1920年代後半からジョー・マッセリアに上納金を要求され、圧力をかけられた。1925年にアメリカに渡ったサルヴァトーレ・マランツァーノが密輸ビジネスで勢力を拡大し、反マッセリアの武闘派はマランツァーノを中心に結束し、マッセリア傘下のスピークイージーを荒らしたり、マッセリアの密輸トラックを襲って酒を横取りするなどして公然と対決姿勢を強めた。1930年はじめ、和平主義者のコラ・シーロはマッセリアに上納金(一説に1万ドル)を払って行方をくらませた(イタリアに帰国)。副ボスのジョー・パリッノはマッセリアに譲歩を続けて事態を収拾できず、やがてマッセリアの傀儡になっていたことが判明して指導者の地位をはく奪され、マランツァーノが新ボスに選ばれた。副ボスのアンジェロ・カルーソの下、ヴィンセント・ダッナ、セバスチャン・ドミンゴ、カロゲロ・デベネディット、ジョゼフ・ボナンノガスパール・ディグレゴリオ、ステファノ・マガディーノらを第一親衛隊(Boys of the First Day)として、更にその下に暗殺や襲撃を行う兵隊を組織した。1930年戦争状態に突入して互いに相手陣営の有力者を殺しあう血みどろの展開となった。戦争資金を出していたボンヴェントレが殺害されるなど痛手をこうむったが、最終的にマランツァーノは、マッセリアの側近ルチアーノと通じ、マッセリアはルチアーノの裏切りにより、1931年4月15日に謀殺され、戦争は終結した。その後マランツァーノはマフィアの各勢力を5つに整理して五大ファミリーとし、自らボスの中のボスと宣言した。

五大ファミリー再編[編集]

1931年9月10日、マランツァーノはラッキー・ルチアーノによって暗殺された。ジョゼフ・ボナンノを含めカステランマレーゼの有力者たちはボスが殺されたにもかかわらずルチアーノに対し復讐をしなかった。マランツァーノを支えた第一親衛隊は、マランツァーノが戦争終結後、尊大に振る舞うようになったため、離反していたとも言われる。次期ボスの投票が行われ、ジョゼフ・ボナンノがフランチェスコ・イタリアーノを負かして新ボスに選出された。ボナンノはその後30年以上一家のボスに君臨し、全米のビジネスに積極的に参入した。マフィアの協定を侵してアリゾナにも進出し不動産開発や保険業を展開、綿農園を買収し、カナダのモントリオールにも地歩を伸ばしヘロイン密輸の一大拠点にして一家の幹部カーマイン・ギャランテを派遣して管理させた。またランスキーとキューバの賭博事業に投資し、ハイチに独自の賭博投資を行なった。

1957年、ヴィト・ジェノヴェーゼフランク・コステロの間で熾烈な権力闘争が起こっている間、ボナンノは南国のバカンスで肌を焼き、ルチアーノらとシチリアの麻薬サミットに参加したりしていた。ニューヨークに帰るたびに他ファミリーのボスが変わっていることに驚いた。

バナナ戦争[編集]

新しくボスになったガンビーノとルッケーゼ一家のボストーマス・ルッケーゼの強い連携に脅威を感じたボナンノは、プロファチ一家をボスのジョゼフ・プロファチの死後継いだジョゼフ・マリオッコと組んで、ルッケーゼ、ガンビーノ、バッファローのマフィア一家のステファノ・マガディーノの三者を一気に抹殺しようとした。暗殺計画はプロファチ一家のコロンボが密告し、マリオッコは全面屈服した後まもなく死亡した。暗殺計画自体、策謀が好きなガンビーノのでっち上げとする説もある。ボナンノは1950年代以降地盤を築いていたアリゾナのツーソンに退避した。ガンビーノ主導のコミッションは、ボナンノにコミッション席上で釈明するよう要求し、ボナンノがこれを拒否すると、今度は引退を要求した。ボナンノが再び拒否すると、コミッションは一家のボスの座を剥奪してガスパール・ディグレゴリオを新ボスに就かせた。

1964年10月、当局の追及を受ける中、マガディーノ一味に誘拐され、消息不明となった(誘拐は当局の追及を逃れるための自作自演だったとも)。ボナンノは息子のビルにファミリーを継がせ自分は引退するという考えで譲歩を迫ったとされるが、ビルを通じた支配力が温存されると見たガンビーノに拒否された。

その後一家はボナンノに忠誠を誓うグループと、古参幹部ガスパール・ディグレゴリオのグループに分裂し、抗争状態に突入した。後者のグループはルッケーゼ、ガンビーノ、マガディーノに加えてマリオッコの後を継いだジョゼフ・コロンボの支持を受けていた。『バナナ戦争』と呼ばれた一連の抗争は双方に多数の犠牲者を出しながら続いた。1968年、抗争のエスカレートで当局の弾圧が厳しくなるのを恐れたコミッションのマフィアボス達は、ディグレゴリオを罷免して、ポール・シャッカに替え、事態の収拾を図った。分裂の背景には地元ニューヨークより海外のビジネスを優先しているボスへの内部の不満があったとも、長年の奉仕にもかかわらず息子を相談役に据えたボナンノのトップ人事に対する古参幹部の不満があったともされるが、騒動が長引いたのは一家の弱体化を狙うガンビーノの扇動が功を奏したとも言われた。 1969年持病が再発し、本当の引退を余儀なくされたボナンノは、息子ビルと共に忽然とニューヨークから姿を消し、事実上引退した(ツーソンに移住)。

ボナンノ引退後[編集]

その後、ボスの座は、ナターレ・エヴォラフィリップ・ラステリへと引き継がれた。

1970年代には、カナダモントリオールヴィト・リッツートが起こしたリッツート一家と繋がりを持ち、麻薬取引を行う。その中心となったのは、シチリア出身のZIPSと呼ばれるメイドマンであった。

その後、麻薬取引の罪で収監されていた、一家の大幹部のカーマイン・ギャランテは出所すると共にボスの座を当時収監中のラステリから1975年に奪った。ギャランテは収監中から、出所したら五大ファミリーを制圧して、当時最有力のボスであるカルロ・ガンビーノをして "Shit in the middle of Times Square!" 「タイムズスクウェアのど真ん中でクソをさせる」と豪語していた。ガンビーノの後を継いだポール・カステラーノ、ジェノヴェーゼ一家のボスのフランク・ティエリらは共謀して1979年にギャランテの暗殺に成功した。

ギャランテの死後、再びフィリップ・ラステリが獄中からボスとなったが、彼は1991年に獄死。その間に、内紛によりアルフォンス・インデリカートら大物幹部が殺害されたり、FBIの潜入捜査官ドニー・ブラスコことジョゼフ・ピストーネの壊滅作戦により多くの幹部が逮捕されるなど、組織は弱体化した。ピストーネの壊滅作戦は、『フェイク』として映画化された。

その後、ラステリの後を継いだジョゼフ・"ビッグ・ジョーイ"・マッシーノは強引な手段により勢力回復に一旦は成功したが、逮捕後の2004年に死刑回避のためにマフィアのボスとしては初めて当局の情報提供者となり(翌2005年に終身刑の判決)、ファミリーの権威は完全に地に墜ちた。

現在のボス代行は2009年から就任したヴィンセント・バダラメンティ(Vincent "Vinny T.V." Badalamenti)であり、彼は2012年1月に逮捕されている。

ボナンノ一家のボス[編集]

関係者[編集]