ホルン協奏曲 (グリエール)

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音楽・音声
Glière: Concerto For Horn And Orchestra In B Flat, Op. 91 - マリー=ルイーズ・ノイネッカーのホルン独奏、ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮バンベルク交響楽団の演奏。Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック。
Concerto for French Horn and Orchestra in B-flat Major, Op. 91 (1951) - ラデク・バボラークホルン独奏、トマーシュ・ブラウネル (Tomáš Brauner)指揮プラハ交響楽団による演奏。Supraphon提供のYouTubeアートトラック。
Glière: Horn Concerto in B flat, Op. 91 - ヘルマン・バウマンのホルン独奏、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏。Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック。
映像
Horn Concerto - R. GLIERE - F. DERVAUX / F-Vienna Horn - フェリックス・デルヴォー (Félix Dervaux) のF管ウィンナホルンによる独奏、ディラン・コルレイ (Dylan Corlay) 指揮トゥールーズ・ウインド・オーケストラによる演奏。当該楽団の公式YouTubeチャンネル。

ホルン協奏曲変ロ長調Концерт для валторны с оркестром)作品91はレインゴリト・グリエール1951年に作曲したホルン協奏曲。未完成のものを含めて5曲が遺されているグリエールの協奏曲のうち、完成された最後の作品である。演奏時間は約25分。

作曲の経緯[編集]

1938年から35年間にわたりボリショイ劇場管弦楽団の首席ホルン奏者を務めたヴァレリー・ポレフの依頼で作曲された[1]。グリエールは活動のごく初期、1908年にホルンとピアノのための小品[2]を作曲しているが、ホルン協奏曲の構想はそれまで持っていなかった[1](グリエールだけでなくそれまでのロシアの作曲家全般に言える[3])。依頼者であるポレフからは、チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲を模範とするよう提案があったというが、両曲に顕著な類似点は見られない[3]

初演[編集]

1951年5月10日レニングラードのフィルハーモニー大ホールでポレフ独奏、作曲者指揮レニングラード放送交響楽団にて初演[1][4]

編成[編集]

独奏ホルンフルート3、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、テューバティンパニバスドラムスネアドラムシンバルトライアングルハープ弦五部[5]

構成[編集]

第1楽章 Allegro

ソナタ形式。祝典的な明るい響きの第1主題が全奏で出た後、独奏ホルンが繰り返す。逆に穏やかな表情を持つ第2主題は独奏ホルンから入る。展開部はやや行進曲調に進み、再現部直前に長大なカデンツァが置かれる。グリエールが当初用意したカデンツァはスケッチ程度のもので技術的に易しすぎたため、ポレフの助言に基づいてカデンツァを作曲し直し初演を迎えている[1]。出版譜もポレフ版カデンツァが採用されている[4]。再現部は第1主題が管弦楽のみで奏された後、第2主題が独奏ホルンで歌われ、最後は管弦楽で堂々と締め括られる。

第2楽章 Andante

三部形式。オーボエによる前奏の後、弦楽器を伴奏として独奏ホルンがゆっくりと主題を奏でる。中間部はやや高揚した気分となる。

第3楽章 Moderato - Allegro vivace

三部形式。荘重な前奏の後、ロシア舞曲を思わせるような曲調となる。中間部はコラール的な響きとなるが、すぐに舞曲調に戻り、独奏ホルンの技巧を誇示しながら熱狂的に終わる。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Valery Polekh (1999年5月). “Birth of the Gliere Concerto” (英語). 国際ホルン協会英語版. 2023年9月5日閲覧。
  2. ^ 11の小品 作品35のうち、第10曲「夜想曲」第11曲「間奏曲」。なお、第1曲から第9曲まではホルンのための作品ではない。
  3. ^ a b シャンドス盤ライナーノーツによる。
  4. ^ a b 名フィルプログラムによる。
  5. ^ tutti管弦楽編成表 Ver.2p.31。なお、名フィルプログラムにも楽器編成が掲載されているがハープが脱落している。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]