ホランド級潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潜水艦「ホランド」の概略図。

ホランド級潜水艦英語: Holland class submarine)は、アメリカ合衆国の発明家ジョン・フィリップ・ホランドが開発に携わった、あるいは彼の名に因んだ一連の潜水艦潜水艇の通称である。最初に実用化された潜水艦「ホランド」は彼の会社であるホランド・トーピード・ボート・カンパニーHolland Torpedo Boat Company)で製造されたが、同社はその後「エレクトリック・ボート・カンパニー」に合併され、「ホランド」級も同社で製造されるようになった。それにも拘らず、「ホランド」のブランド力は効果的であったので、同社の製造する潜水艦は「ホランド」級潜水艦と呼ばれ続けた。「エレクトリック・ボート・カンパニー」製の「ホランド」級潜水艦は、アメリカ合衆国のほか、イギリスオランダカナダ大日本帝国ロシア帝国で建造された。

ホランド級潜水艦の登場は世界中で注目され、「ホランド」の名は潜水艦の代名詞のように世界へ広まった。しかし、ホランドは「エレクトリック・ボート・カンパニー」の経営方針や潜水艦の真価を理解しない海軍に幻滅して1904年に同社を離れ、同社の製造する潜水艦に自分の名を使用することを禁じた[1]

しかし、実際には本人の禁止にも拘らず「ホランド」の名は潜水艦に使用され続けた。とりわけロシア帝国では「エレクトリック・ボート・カンパニー」のことも「ホランド」社(ロシア語では「ゴーラント」社)と呼んでいたほどであり、帝国の滅亡まで「ゴーラント」級と称する潜水艦を製造し続けた。アメリカ合衆国でも、ホランド自身が設計した潜水艦を元に開発した 602 設計(design 602)をホランド 602 型と称して「エレクトリック・ボート・カンパニー」が各国へ販売した。

結局、「ホランド」の名が潜水艦に冠されなくなるのは、彼の名が集客力を失う第一次世界大戦後のことであった。

アメリカ合衆国[編集]

科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』に掲載された「ホランド」の写真。

19世紀末、ジョン・フィリップ・ホランドは「ホランド I」から始まる一連のホランド級潜水艦を設計した。1897年進水した「ホランド VI」は、最初の実用級潜水艦「USS ホランド」として1900年アメリカ海軍へ引き渡された。これが、ホランド級潜水艦として人気を博すシリーズの始まりである。「ホランド」は各国海軍から引き手数多となり、ほとんど同じ設計を持つ艦が世界中に輸出された。原型となった「ホランド」は1910年までアメリカ海軍で使用され、退役した。

アメリカ合衆国・カナダ[編集]

労農赤色海軍で運用された 602GF 設計潜水艦「コムニースト」。

ジョン・フィリップ・ホランドが「エレクトリック・ボート・カンパニー」を離れたあとに建造されたホランド級潜水艦が、ホランド 19 型とホランド 602 級潜水艦である。ホランド 602 級潜水艦はカナダで起工、各国に輸出され、輸出先の現地でも建造された。大半は第一次世界大戦の需要を当て込んで製造した輸出用の艦であったが、アメリカ海軍とカナダ海軍も一部を取得している。

イギリス[編集]

ホランド 1」の模型。

海軍大国イギリスにとって最初の実用潜水艦もまた、ホランド級であった。イギリスではその後、アメリカ製の潜水艦の改良型を製造することで経験を積み、自前の潜水艦を整備するようになった。第一次世界大戦中には、再びアメリカ製のホランド級潜水艦を発注した。その一部は、同盟諸国に供給した。

イタリア[編集]

ホランド 602 級潜水艦は、イタリア海軍にも導入された。「H1」から「H8」まで 8 隻が建造された。主に第一次世界大戦と第二次世界大戦で実戦使用された。

オーストリア=ハンガリー帝国[編集]

U-5。

オーストリア=ハンガリー帝国海軍が発注した潜水艦U-5・6・12はいずれもホランド級とは称さないが、ジョン・フィリップ・ホランドの設計に基づいているのでホランド級に数えられている。第一次世界大戦に投入された。ゲオルク・フォン・トラップ艦長の指揮下で大きな戦果を挙げたU-5は、3隻のU-5級潜水艦のネームシップである。総じてオーストリア=ハンガリー帝国のホランド級潜水艦は戦場で目覚しい戦果を挙げたが、敗戦により、生き残った艦も1920年解体された。

オランダ[編集]

「O 1」。

オランダ海軍で最初のホランド級潜水艦「O 1」は、世界でも最も早い時期に発注されたホランド級潜水艦のひとつであった。就役当初は、水雷艇Torpedoboot)に分類された。一方、第一次世界大戦中に発注した K VIII 級はホランド級と称さないが、ジョン・フィリップ・ホランドの設計に基づいているのでホランド級に数えられている。第一次世界大戦には間に合わず、第二次世界大戦に投入されたが 3 隻とも失われた。

大日本帝国[編集]

第一潜水艇

大日本帝国海軍にとって初めての潜水艦がホランド級であった。小型であったので、当初は潜水艦ではなく潜水艇に分類された。第一型潜水艦はアメリカ合衆国で製作されたものを分解して日本に輸送し、ノックダウン方式で組み立てられた。次の第六型潜水艦は製造権を購入して建造され、初の国産潜水艦となった。導入のきっかけは、日露戦争中の旅順口封鎖作戦における戦艦初瀬八島の触雷による喪失(1904年5月15日)で、戦力回復の方策の一つとして当時の最新兵器である潜水艦が着目されたもの。整備が急がれたが、戦争には間に合わなかった。第一次世界大戦後まで、主に練習艦として運用が継続された。

ノルウェー[編集]

B-2」、「B-3」、「B-4」。

ノルウェー海軍が発注した潜水艦はホランド級とは称さないが、ホランド 602 級潜水艦の派生型であり、ホランド級に数えられている。第一次世界大戦には間に合わず、建造は1930年まで続けられた。第二次世界大戦に投入されたが、「B-1」以外の全艦が失われた。

ロシア帝国[編集]

アメリカ合衆国で建造が進められる「ゴーラント-7R」設計潜水艦「フルトン」。

公式にホランド級と称する潜水艦を最も多く保有したのは、ロシア帝国海軍であった。ロシア帝国では1906年まで潜水艦という類別は存在せず、潜水水雷艇と呼ばれた当時の潜水艦はいわゆる航洋水雷艇や水雷艇駆逐艦とともに水雷艇(миноносецъ)に分類されていた。初期のホランド級潜水艦もまた、水雷艇に分類されていた。その後、ロシア帝国では国内企業が「ホランド」社の代理を務めて設計案を提示する方式が多くとられた。第一次世界大戦中に発注された 2 種類のホランド級潜水艦が、ロシア帝国にとって最後のホランド級潜水艦となった。これらは二月革命によって成立した臨時政府、十月革命によって主権を握ったボリシェヴィキ政府に継承されたが、工事の進捗度合いの低かった艦隊潜水艦は建造中止となった。一方、「ゴーラント-602GF」設計潜水艦は遅ればせながら建造が続けられ、完成した艦はロシア内戦と第二次世界大戦で戦場を経験した。これらは、労農赤色海軍黒海艦隊の復興期にあってその中核となった。

脚注[編集]