ホキ徳田

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ホキ 徳田(ホキ とくだ、1937年11月14日 - )は、ピアニスト・クラシック音楽・ジャズ歌手・女優、アメリカの文豪 ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる。

エスペランティストNHK解説委員の徳田六郎の長女として東京上野に生まれる。本名浩子。母方は弓の達人那須与一の子孫にあたり祖母は東京六本木の東洋英和女学院の創立者である。 3歳からピアノと音楽を学び、桜美林高等学校卒業後、カナダの音楽学校アルマ・カレッジに留学。級友が「ヒロコ」をなまって「ホキ」と呼んだためこれを芸名とした。帰国後、1958年にコーラスグループ[スリーバブルス]としてデビュー。日劇ミュージックホールやテレビドラマ『サラリーマンの勲章』『ザ・ガードマン』 映画『にっぽんぱらだいす』(1964年) 『怪談昇り竜』(1970年)などに出演する。

ホキ徳田が助演を務めた(1970年)怪談昇り竜「石井輝男監督作品」はクエンティン・タランティーノ監督が石井輝男監督の大ファンであり、主演の梶 芽衣子演じる昇り竜・明美と、ホキ徳田が助演で演じる盲目の女剣士・藍子のクライマックスでの決闘シーンは、「キルビル」のブラック・マンバとオーレン石井の決闘のシーンにそっくりである。怪談昇り竜の決闘のクライマックスシーンにインスパイアされ演出されたと言われている。

1966年ロサンゼルスへ渡り日本ホテルでピアノを弾いて歌っていてヘンリー・ミラーに出会う。46歳年上のミラーと結婚し、日本のマスコミを賑わすが、3年後別居、1978年離婚。 ホキ徳田とヘンリー・ミラーとの結婚は、ミラーが75歳の1967年で、50歳近い年齢差があったことから、遺産目当てと目されて欧米では批判的な記事が踊った。あるパーティで徳田を見染めたミラーは、ロスの日本料理店でピアノを弾いていた徳田のもとに通い詰めた。300通以上の膨大な数の熱烈なラブレターを徳田に送り続けたが、徳田自身は、単に日本女性を自分の恋愛コレクションに加えたいだけのようだったとインタビューに答えている。徳田の滞在ビザが切れそうになったのをきっかけに、寝室は別にすることと友人の同居を条件に、徳田が結婚を承諾。3年で別居したが、離婚したのは1978年である。300通にのぼるミラーからのラブレターは、当初徳田がミラーに興味がなかったことと英語の問題で未開封のものもあったが、のちに本としてまとめたられた。手紙の実物は徳田の生活費のために売却された

2000年に再び帰国。2010年5月から2014年12月までインターFMにて「ホキ徳田のYummy Music」のパーソナリティを務める。

現在、六本木1丁目にて、ヘンリー・ミラー メモリアル バー「北回帰線」のオーナーとして月曜日から土曜日までピアノ弾き語りをしている。

また、コンサート、ライブ活動も積極的に行っている。

2014年4月より集英社発行の月刊誌「すばる」にて「優しい友へのレクイエム」を連載。

主なテレビ出演[編集]

出演映画[編集]

著書[編集]

  • 『文豪夫人の悪夢』 主婦の友社 1986.12
  • 『ヘンリー・ミラーの八人目の妻』水声社 2013/12

参考文献[編集]

  • 江森陽弘『ヘンリー・ミラーのラブレター ホキ・徳田への愛と憎しみの記録』講談社、1982