ペラム・ハンフリー

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ペラム・ハンフリー
Pelham Humfrey
基本情報
出生 1647年
イングランドの旗 イングランドロンドン
死没 1674年7月14日
イングランドの旗 イングランドウィンザー
職業 作曲家
活動期間 王政復古期

ペラム・ハンフリーPelham Humfrey または Humphrey, Humphrys, 1647年 ロンドン - 1674年7月14日 ウィンザー)は、王政復古期初期のイングランドの新世代作曲家

生涯[編集]

17歳になった時には、ハンフリーの作曲したアンセムは既に歌われていて、おそらく1665年1月、チャールズ2世からパリ留学を命じられ、フランス王宮の音楽に強い影響を受けた。帰国すると、義父ヘンリー・クック(Henry Cooke)の後任としてチャペル・ロイヤルMaster of the Children(音楽を教える監督)に就任、さらに宮廷作曲家になった。

ハンフリーは27歳で亡くなったが、マシュー・ロックとともに仲間たちに強い影響を与えた。その中には、ウィリアム・ターナー(William Turner)、ヘンリー・パーセルジョン・ブロウらがいる。ハンフリーの早すぎる死はイングランド音楽史の悲劇と見なされている。ヴァース・アンセム『O Lord my God』などハンフリーが残した作品は非常に鋭く、また表現力に富んでいる。

サミュエル・ピープスの日記に、ペラム・ハンフリーの服装のセンスと品行についての否定的な言及がある。「リトル・ペラム・ハンフリーは恰好・自信・虚栄心に充ち満ちた絶対の若君で、自分以外の人間の技量をばかにした」。

参考文献[編集]

  • Dennison, Peter. Pelham Humfrey. Oxford: Oxford University Press, 1986.
  • Wood, Bruce. "Humfrey, Pelham", Grove Music Online, ed. L. Macy (accessed April 12 2006), grovemusic.com (subscription access).
  • Scholes, Percy (1970). Ward, John Owen. ed. The Oxford Companion to Music. Oxford University Press. 

外部リンク[編集]